第51話 救出

 半魚人(インスマウス)は逃亡したモルドーを発見したことで、加虐的な悦びの声をあげていた。

 上手く監視の目を逃れ、仲間を犠牲にしてまで脱走したにも関わらず、捕まってしまうモルドーの無念を思えば胸が高鳴る。

 そんな底暗い笑みを浮かべた半魚人たちは、相手がどうやらモルドー一人ではないことを知って警戒の叫びをあげた。

「グギョッ! ガガガッ!」

「――――何話してるかわからねえよ」

 半魚人たちを敵対勢力――魔物に近い存在とエルロイは認識した。

 見た目はなんとか人に近いようだが、言語が違い、何よりこちらを明らかにコミュニケーション可能な者と認識していない。

 まともな交渉にはならない相手に有効なのは、目に見える実力行使あるのみだ。

「エルロイ様、油断なさいませんよう」

「わかっている」

 ベアトリスの忠告にエルロイは素直に頷いたが、ベアトリスは軽く首を振って否定した。

「ここにいる連中は大したことはありません。ですが村を奪還するおつもりなら、それ相応の覚悟をなさいませ」

「覚悟とは…………?」

 荒野の魔女の異名を取り、たった一人で数多の魔物を相手に生き延びてきたベアトリスがここまで警戒するとは。

「彼らのバックにいる存在が出てきたら、正直エルロイ様でも勝利するのは難しいかと」

「…………それほどか」

 ユイほどではないにしろ、ベアトリスはエルロイの実力を高く評価している。

 それでもなお勝てないと思えるほどの存在が、この半魚人たちの背後にはいるということなのだろう。

「まあ、いずれにしろ村を奴等から救出してからのことだ」

「そうですね」

 ここまで来て魔物に襲われている領民を見捨てるという選択肢はありえない。

 あとでこの村を捨て、ソルレイス村に戻るにしろ、ここをもう一度拠点として整備するにしろ、全てはこの薄気味悪い半魚人どもを殲滅してからのことだ。

「ギュヨワアアアッ!」

 モルドーと違い、エルロイたちがただ狩られる獲物ではなく、敵対する意思があることを察した半魚人たちは激高した。

 玩具にすぎない人間風情が生意気な、というところか。

 先頭をきって迫っていた半魚人の男が、三又槍を小枝のようにぶんぶんと振り回し威嚇の咆哮をあげる。

「うるさいよ」

 ユイの影が走り、男を貫くのとエルロイの撃ちだした弾丸が半魚人をハチの巣にするのは同時だった。

 あまりにあっさりと先陣が倒されたことで、半魚人たちの集団に動揺が走った。

 これまで自分たちが敗北するほどの強敵と一度も戦ったことがない彼らにとって、自分たちが逆に狩られる側に回るというのは想像の埒外にあることであった。

 警戒の度を増した半魚人たちは速やかに三つの集団に別れ、ふたつの集団がエルロイたちに、もうひとつの集団はモルドーの確保に向かった。

「ひいいいいいいいっ!」

 激痛で足の動かないモルドーは、それでも必死に這うようにして半魚人の魔手から逃れようと試みる。

 もちろんそんな有様で半魚人から逃げられるはずもない。

 ――――が、モルドーを半魚人が確保する前に、二人の影が一瞬で複数の半魚人を真っ二つに両断した。

「そのまま村民を確保しろトルケル」

「御意!」

 トルケルの本領は騎兵指揮官であるが、一戦士としての力量もそれに劣るものではない。前線指揮官にはそうした個の武勇が求められるものだ。

 戦局を打開できるほどの圧倒的な個の武勇があったからこそ、トルケルはスペンサー王国の大軍を相手に勝利することができたのである。

 その彼にとって、軍として全く機能していない半魚人など物の数ではなかった。

「あたしの獲物を取らないでおくれよ」

「…………早いもの勝ちだ」

 少し照れたように零すトルケルに思わず突っ込みたくなるのをエルロイはかろうじて我慢した。

 おっさんのツンデレは正直心に痛い。

 すでにガリエラを嫁認定して彼女を守ろうとしているのが丸わかりだ。

「妊娠してる可能性も高いですし、残念ながら当然でしょうね」

「ま、まだ早い!」

 ベアトリスに冷静に分析されてしまい、ガリエラは顔を真っ赤にして反論するが、ベアトリスは容赦なかった。

「何回注ぎ込まれたか数えてみますか?」

「勘弁してください。生言いました。すいません」

 藪蛇になったことを悟ったガリエラは、即座に尻尾を丸めた。

 気の強そうな見た目とは裏腹に、自分のプライベートをさらされる羞恥心に耐えられない初心さが残るガリエラであった。

 というかどんだけ出歯亀してたんだベアトリス。

「そこ、真面目にやれ」

 呆れたようなエルロイの声に応えるかのようにベアトリスの手から無数の蔦が放たれた。

「絡みつけ、吸蔦(サッキングアイビー)」

 蠢く無数の蔦が半魚人たちに絡みつき、その体液を吸い上げられて干からびていった。

 なかなかに見た目にもえぐい魔法であった。

 一方、エルロイとユイを強敵と認識した半魚人の部隊は、白兵と魔法の二手に分かれて二人を強襲していた。

「グギャッ! グギャギャッ!」

 まるで豪雨のような水の槍が降り注ぐ。

 水の属性に耐性がある味方事巻き込むこと前提の魔法攻撃であるが、いかんせん相手が悪かった。

「――ご主人様」

「おう」

 とぷん、とユイの影のなかに二人の姿が消え、誰もいなくなった空間に水の槍の雨が着弾した。

 急に目標がなくなったことで、白兵で接近していた半魚人たちの足が止まる。

「闇に沈みなさい」

「ギョッ?」

 まず先にユイが操る影のなかへと飲みこまれたのは後方にいた魔法部隊であった。

 転移してきたユイの影に全く抗うことができず、半魚人たちは必死にもがきながらずぶずぶと影へと吸い込まれていった。

 だが、白兵の半魚人たちが魔法部隊より生きられた時間はごく短かった。

「氷霧(アイスミスト)」

 極低温の霧が半魚人の肌の表面を覆うぬめりを凍らせ、一瞬にして体温を奪われたために意識を失った半魚人はそのまますぐに凍死してしまったからだ。

 一撃必殺の攻撃魔法もいいが、先ほどのベアトリスの反応を見るかぎり魔力は温存しておくにかぎる。

「さて――――大丈夫か?」

 捻挫しているモルドーに治癒魔法をかけると、ようやくモルドーは自分が助かったことを自覚するとともに、エルロイたちの正体に疑問を抱いた。

 こんな疑問すら抱く余裕がないほど、絶体絶命の危機に追い詰められていたということだろう。

「あんたいったい何者だ?」

「このウロボロスラントの統治を任されたウロボロスラント大公、エルロイ・モッシナ・ノルガードという」

「ノルガードってまさか……王族じゃねえか!」

 一時、王都へ出稼ぎに行った経験もあるモルドーは驚愕のあまり後ろに倒れこんで尻もちをついた。

 開拓団の大半は食いつめ者や犯罪者であるが、モルドーは王都のスラムに生活していて強引に拉致された口であった。

 次の瞬間、モルドーは弾かれたようにエルロイの前に土下座した。

「た、大公様! なにとぞ! なにとぞホルラトの村をお救いくださいませ!」

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