第38話 逃走
ヴェストファーレン王国にとって不都合なことに、第四王子ハーミースはすばやく王国東部の諸侯を味方につけると王都を奪還。
西部から北部、南部へと支配領域を広げようとするヴェストファーレン王国遠征軍と各地で睨みあった。
さらに北部においてバイデルの部隊が全滅し、フーリドマン辺境伯が南下する危険性が生じたためこちらへ手当をせざるを得ず、一気にノルガード王国を支配するというジョージの野望は画餅と化したのである。
とはいえ戦力においてヴェストファーレン王国が優位にある事実はゆるぎない。
王国西部を中心にヴェストファーレン王国は支配地域を拡大しつつあることに違いはなかった。
これは全くジョージにとって計算違いのことで、特に第四王子ハーミースを取り逃がしたことにジョージは激高した。
「あの馬鹿王子さえ逃がさなければ御輿のないノルガード王国がここまで抵抗することはなかったものを!」
もっともこの時点で彼の思考から完全に抜け落ちている人物が二人いた。
一人はマイヤリンク侯爵家に婿入りしていた第三王子アルトであり、もう一人は誰あろう、ウロボロスラントへと追放された第五王子のエルロイであった。
まさかバスチル関所でヴェストファーレン王国軍を全滅させたのが、そのエルロイであるなど神ならぬ身のジョージには知る由もなかったのである。
そんななか、ノルガード王国内の治安が安定していられるわけもない。
ヴェストファーレン王国軍には多数の傭兵が参加しており、彼らは目を離すとすぐに略奪を開始する荒くれものたちだ。
ノルガード王国側も傭兵を募集しており、その一部が野盗化するなどして、庶民もまたこれに対抗するために自衛団を立ち上げ始めていた。
マルグリットとコーネリアは完全に白昼の移動を断念せざるをえなくなっていた。
「正直ここまで人目が厳しいとは思ってもみなかったわ」
「これが……戦争なのね」
庶民の古着を調達し(魔道具を使って拝借した)、目立ちすぎる豪華な衣装を捨てた二人だが、生まれ持った高貴な顔立ちはどうにも隠せない。
のどかな村の子供たちですら、よそ者を見つけると敵対的な視線ですぐ大人たちへ告げ口をするのだ。
慌てて魔道具で姿を消した二人は、止む無く村から離れて山道で一休みすることにした。
王都から相当離れた村でも、買い物するどころか声をかけることすらできないのが現実であった。
「あとウロボロスラントまでどれくらいかしら?」
結婚式以来の緊張と慣れない深夜の移動、さらに履きなれない靴と服で溜まった疲労は相当に重かった。
あのマルグリットが持ってきた果実を食べて以来、まともな食事を口に入れていない。
かろうじて木の実や、とある民家のパンを拝借したが、森で襲ってきた獣の肉などはさすがに生で食べることはできなかったのである。
「ここがポイヤック村だとすれば、たぶんバスチル関所まであと三日というところね」
「結構歩いたと思ったけど、まだそんなところかぁ」
用心のために防御結界を張り終わるとコーネリアは枕代わりの木の根に頭を乗せて身体を横たえた。
「今頃エルロイはどうしてるかしら?」
「きっと私を助けるために動いてくれているわ」
「そうかな? そうだといいけど……」
きっとそうだ、とコーネリアも信じている。
だから早くエルロイに会いたい。
心細さからすぐに涙が流れてしまう自分をコーネリアは恥じた。
自分はずいぶんと弱ってしまったと思う。
だがなんとしてもエルロイにもう一度会うという気持ちは強くなるばかりだ。この気持ちがあるからまだ頑張れる。
「私が見張っておくから先に寝なさいコーネリア」
「うん……少し休んだら、すぐに元気になるから…………」
ポイヤックの村を含むメドック郡の領主、アルム男爵ムートンは村から報告の会った美しい二人の女性についてピン、と来るものがあった。
「その二人、王都から逃亡したというマルグリット王女とコーネリア王女ではないのか?」
ムートンの弟は王都で近衛騎士団に所属しており、ランス将軍の襲撃に伴って重傷を負っていた。
その経緯を知らせた早馬が届いたのがつい先日である。
どういう理由かマルグリット王女とコーネリア王女は、ヴェストファーレン王国軍と敵対して姿を消したという。
しかしムートンにとって大事なのは彼女たちが祖国と敵対しているかどうかではない。
彼女たちがヴェストファーレン王国の王女であるという血統そのものだ。
捕まえればどちらに転んでも大きなカードになる。
国王を失い、次代の国王も定まらない戦国の空気が、ムートンのような地方貴族にも野心を与えていた。
マルグリットはもちろん、コーネリアもまた誓いの儀式が済んでいなかったというだけで、すでに書面上はノルガード王国王子妃であるのだ。
どちらに転ぶにしろ二人の政治的利用価値は高かった。
「――――兵を集めろ。山狩りだ」
空腹に耐えつつ数時間ほど睡眠をとり、見張を交替したコーネリアは村の様子が騒がしくなっていることに気づいた。
身なりのよい騎乗した男が、数百人の兵に命令を下している。
さらに周辺の村人が加わり、松明が群れをなしてこちらを目指して動き始めた。
どうして自分たちが山にいることがばれたのだろう?
蒼白になったコーネリアは眠っているマルグリットの肩をゆすって起こした。
「どうしたの?」
「気づかれたみたい。追手が来るわ」
コーネリアの言葉に視線を移したマルグリットは、動き出した松明の光の波に気づいた。
「困ったわね。まだ魔道具が回復していないわ」
一度使用してから、再度使用するまでの半日のインターバル。
おそらく魔道具が使用できるまでにあと数時間は確実に必要であろう。
「今のうちにできるだけ離れましょう」
マルグリットの判断にコーネリアも頷くが、結果的にこの判断が間違いだった。
離れるということは包囲の網が徐々に収斂していくということでもある。時間が経つにつれて狭くなっていく包囲網から隠れる場所がどんどん少なくなっていくのである。
それでなくとも、ムートンにはひとつの切り札があったのだ。
「どうだ? 追えるか?」
「――――王侯貴族だけが使える極上の香水の香りは誤魔化せません。追えますよ」
嗅覚のスキルを持つ部下は、王都の商会が販売している王家ご用達の安楽香と呼ばれる微かな残り香を捉えていた。
「なんで? なんで私たちの後をついてくるの?」
隠れていた森の奥はセンガン山へと続いている。
少しづつ山道を登り始めた二人は、捜索隊が正確に二人を追ってついてきていることに気づいた。
しかも左右から逃げられないように退路を塞いでいる。
確実に二人の位置を把握している動きであった。
「もう少し……もう少しで魔道具が使えるようになるわ」
「でも、一刻以内に彼らが帰らなかったら……」
山の中腹にさしかかると、急激に木々の数が少なくなり、岩肌と背の低い灌木ばかりとなってしまう。
この先へと進めば逃げる二人の姿が捜索隊の目にも発見されてしまうのは明らかだった。
「どうしよう?」
「一度見つかったら、魔道具で姿を消しても彼らも引かないわ」
何らかの方法で姿を消しているだけ、とわかれば見つかるまで彼らも捜索を止めないだろうとマルグリットは言うのだった。
さすがにマルグリットも、自分たちが使用した香水の残り香から追われているとまでは考えてもみない。
やむを得ず大きな木の根の隙間に身を伏せた二人は、息を殺して捜索隊が通り過ぎるのを待った。
だが――――
「…………近いです」
「この一帯を厳重に探せ!」
ムートンは獲物に手が届いた喜びに顔を輝かせていた。
部下が近いという以上、経験的に半径二百メートル以内にマルグリット王女とコーネリア王女がいるはずであった。
「見つかりません!」
「いえ、先ほどから匂いが動いていない。このあたりに隠れているはずです」
すでに隠れることができそうな場所は十分すぎるほどに確認した。
それでも見つからないということは、何かしらの方法で見つけられないようにしているのだろう。
だがそうとわかればいくらでもやりようはある。
ムートンは戦場で鍛えた大声で叫んだ。
「出てらっしゃいマルグリット王女殿下にコーネリア殿下。このアルム男爵ムートンの名にかけて名誉ある処遇を約束いたします。ですが出てこないというのなら、この一帯をまとめて焼き払うことになりましょう。幸い松明と油には不自由しておりませんのでな」
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