第37話 蹂躙

 そもそもいつから、どうやってこの天幕に入り込んだのかノリスに説明する間もなく、エルロイとユイは悠然とバイデル将軍を出迎えた。

 たった二人で本陣から進んでいくのを、フーリドマン領兵士が奇異なものでも見るような目で見つめている。


「見苦しく逃げようとしないことは褒めてやる!」


 ノリスの本陣がほとんど動く気配のないことを見て取ったバイデルは勝利を確信した。

 本陣の兵力はおよそ五百程度にすぎず、バイデルの兵力は千を越え、また士気にも雲泥の差があった。

 この数年、ヴェストファーレン王国が軍制改革を進めることができたのは、なんといっても男系王位継承者がジョージ一人しかいなかったことが大きい。

 ノルガード王国のように派閥争いが起きなかったこと。そして国王オズワルドが体調不良でジョージに政治を任せていたため世代交代も早かった。

 結果としてヴェストファーレン王国は実力主義で、新たな人材の登用に成功したのである。

 バイデルもそうした新規登用組の将軍であり、実力によって現在の地位を勝ち取った男であった。

 ゆえにこそ、先祖代々の地位に甘んじているノルガード王国などに負けるはずがないという自負があったのだ。

 だが今日ばかりは相手が悪かった。


「なんだ? あの場違いな餓鬼とメイドは?」


 防御陣形を整える暇もない本陣の兵たちを背中に庇うように佇む二人の影にバイデルは訝しむ。


「点火(イグニッション)、多銃身(ガトリング)」


 第一次世界大戦において、初めて塹壕戦に大量投入された機関銃は瞬く間に数千の兵を殲滅した。

 最終的に機関銃が殺戮した歩兵の数は大戦中で数十万に達したという。

 塹壕陣地と散兵戦術をもってしてこの数字である。

 まして逃げ場のない平地で密集した歩兵が、銃弾の雨を浴びて無事にいられるはずがない。

 複数の弾丸を浴びた兵士がぼろきれのように吹き飛び、前列のヴェストファーレン兵士数十名ほどがほんの一瞬で命を失った。

 衝撃に軍の前進が止まる。。


「まさか……魔法なのか? どこにそんな伏兵が……」


 バイデルは必死に周囲を見渡すが、兵を隠すような森や建築物などどこにも見当たらない。

 当然である。そもそも伏兵など存在しないのだから。


「ご主人様、私も行きますか?」

「いや、今日のところは待機してくれ」


 敵の目がある以上、奥の手であるユイの存在は隠しておきたい。

 何よりエルロイひとりで十分だ。


「防御魔法の出力を最大に! 本陣を落とすまで保てばよい!」


 いくら探しても伏兵の気配すら見当たらないことにバイデルはしびれを切らした。

 ここは迷って軍の勢いを止めるほうが問題だと、積極的な将らしく判断したのである。


「吶喊せよ!」


 雄叫びをあげ前進を開始するヴェストファーレン王国軍は、その間にも百名以上の死傷者を出している。

 それでも忠実にバイデルの命令に従っているのは、彼がよく兵たちを掌握していることの証であろう。

 だが――――


「俺が解析、増殖、結合できるのが土壌改良だけだと思うなよ?」


 悠然とエルロイはバイデル率いるヴェストファーレン王国軍を待ち受けた。

 ようやく我に返ったノリスが迎撃態勢を取らせようと天幕から出て部下たちを叱咤する。

 誰が見ても迎撃不可能な距離。

 もしここにエルロイがいなければ、ノリスが生き延びる確率は限りなく低かったであろう。

 退却するにもここは一本道の渓谷で遮蔽物がなさすぎた。


「エルロイ殿下をお守り参らせよ!」


 それでもなおエルロイを守ろうとするところに、ノリスの生真面目な古き良き貴族としての誇りがある。

 今後のために貸しを作っておくにはよい相手だった。


「大事ない。もう終わった」

「は……? それはどういうことでしょうか?」


 呆然とするノリスの前で、操り糸が切れた人形のようにヴェストファーレン王国軍が次々と倒れ伏していった。

 そのなかには主将であるバイデルも含まれる。

 目を見開き、ノリスの本陣を蹂躙しようと戦意に満ちた表情のまま凍り付いたように気絶していた。

 こんな魔法はノリスも見たことも聞いたこともなかった。


「な……これは、いったい何が起こったのですか?」

「神の意表を衝く技だそうだよ。こういう人体の機能は変わらないようだね」


 異世界でも、とは言わずにエルロイは嗤う。

 某格闘漫画で「神の意表を衝く技! 」を読んだエルロイはその再現を模索していた。

 空気中の酸素濃度が六パーセント以下になると、本来数分は呼吸を止めていられる人間が一呼吸しただけでなぜか失神してしまう。 

 正確には六パーセント以下の酸素濃度で、酸素と結びつきやすいガスを吸ってしまうと、入ってくる酸素が足りないのに加え血中の酸素がガスによって吸いだされ、一瞬にして血中酸素濃度が低下し、ブレーカーが落ちるようにして人は気絶するのである。

 目には見えない空気を操作するので、罠として用いるにはうってつけの技であった。

 ヴェストファーレン王国軍は、雄叫びをあげて吶喊することで、大きく空気を吸いこんでしまい、自ら夢の彼方へ旅立っていったのだ。


「死んだわけじゃないから今のうちに拘束しておくことをお勧めするよ。それじゃ俺はもう行かせてもらうから」

「どちらへですか?」

 王国からエルロイが追放されたことを知っているノリスはおそるおそる尋ねる。


「もちろん、王都へ――――遅れていた連中も来たようだしね」


 薄く笑って空を見上げるエルロイに、つられるようにしてノリスは空を見上げた。

 強い日差しのなかを横切る黒い影がある。

 それが鳥ではなく人であることに気づいてノリスはあんぐりと口を開けた。


「いやああああああああ! 下から見上げないでええええ!」

「だからそんな生足が出てる衣装でいいのか聞いたのに」

「まさかこんな大勢のいるところで見上げられるなんて想定してないわよ!」


 恥ずかしそうに太ももを隠そうとやっきになっているのはユズリハだ。

 ガリエラは平然としているようだが、地上を絶対に見ないとばかりに視線を前方に固定している。

 こめかみを冷や汗が伝っているのは見て見ぬふりをしてあげよう。


「ちょっと! あまり暴れないでください! 制御しづらいじゃないですか!」


 ベアトリスは頬を膨らませて怒っていたが、エルロイの姿に気づいて満面の笑みで手を振ってきた。

 彼女の飛行魔法によってユズリハとガリエラは空中を運ばれていたのだ。

 飛行魔法を使う魔法士はノルガード王国にもいるが、同時に二人を飛行させて運ぶなど聞いたこともない。

 エルロイがヴェストファーレン王国軍に使用した魔法も、ノリスには全く想像のつかぬものであった。

 これほどの力を今まで隠していたのか。

 やはり幼い日、建国以来の神童と讃えられたエルロイの噂は真実であったのだ。

 その後の悪い噂こそ王宮の派閥争いによる虚偽の噂だったのだろう。

 気がつけばノリスはエルロイの前に平伏していた。


「――――どうかご武運を」

「辺境伯は事後処理の後、バスチル関所を守備してヴェストファーレン王国の連中を入れさせるな」

「御意」

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