第36話 バスチル関所攻防戦

 一方、マルグリットとコーネリアは、マイヤーのように経験豊富な護衛がいない。

 二人とも水準以上の魔法戦士であるが、何分にも美しい容貌と花嫁衣裳は目立ちすぎる。

 まず二人が優先したのは王都から少しでも遠ざかることであった。

「もうすぐ一刻経つわね」

「あの森のなかで魔道具が回復するのを待ちましょう」 

 カトレアと違い、彼女たちは祖国であるヴェストファーレン王国と敵対してしまったとはいえ、同時にノルガード王国国王を暗殺したヴェストファーレン王国の王族でもあるという複雑な立場だ。

 迂闊にノルガード王国側に助けを求めるわけにはいかなかった。

 平民はともかく、貴族たちは捕えて手柄にしようと考える可能性が高かった。

 彼女たちが無条件に頼れる男は。エルロイ・ノルガードをおいて他にない。

 もう誰もその選択を否定することはできないのだ。

 その事実が、マルグリットとコーネリアの胸にじわじわとこみあげてきていた。

 思い描いてきた理想とはかなり異なる形とはなったが、今の彼女たちはノルガード王家にもヴェストファーレン王家にもなんら義理がない立場となった。

 むしろ新国王となるであろう兄ジョージは父の仇。

 エルロイに力添えをするのは十分に大義名分ある行動であろう。

 こんなところで志半ばで死ぬなど絶対にあってはならない。そのためなら野宿も空腹もなんら問題にならなかった。

「って言ってもお腹はすくわね…………」

 手近な森へと逃げこんだ二人は、木々に隠れたくぼみに身を潜めて一息ついた。

 おそらく王宮のヴェストファーレン王国軍は明日には本国へ退避を開始するだろうが、二人は街道を目立つ形で移動するわけにはいかない。

 基本的には人目を避けて夜に移動し、野宿を重ねることになるだろう。

「こんなこともあろうかと!」

 マルグリットが布袋から聖堂内に飾られていた果実を取り出した。

「わっ! すごい! よく持ってくる余裕があったわね!」

「パーティー会場だったら鳥の丸焼きを持ってこれたんだけどね……」

「そういう問題じゃないと思うの……」

 マルグリットは天然で、たまにこうした想像を超えたことを行う。

 だが、瑞々しい果実が食べられるのは幸いだった。

「最悪、魔道具で忍び込んで食糧を調達する必要があるかもね」

 しゃくしゃくと果実をかじりながらマルグリットはそんなことを言う。

「まさか私の人生で泥棒に入る機会があるとは思わなかったわ」

「あらあら、これからエルロイ君の心を泥棒しようって人が何を言うの?」

「うぐっ!」

 コーネリアは一瞬で沸騰したように顔を染める。

 ――――そうなのだ。

 もうノルガード王国第二王子妃にも、ヴェストファーレン王国王女にも戻れない。

 自分の意思で自分の人生を決めることができる。

 その歓びの感情がどこから来ているのかを自覚して、コーネリアはぷるぷると可愛らしく震えた。

「お、お姉さまだって…………」

「言っておくけど、私は肉食系だからあなたに遠慮する気は一切ないわよ?」

「ええええええええええっ!!」

「うふふ……年齢的に後がないの。優しい妹はまずは姉にチャンスを譲ってくれるわよね?」

「いやよ! 私だってずっと我慢してたんだから!」

「正直あなたにエルロイ君を誘惑できるとは思えないわ。まず私がお手本を……」

「だめよ! そんなの反則だわっ! プラトニックこそ王道なのよ!」

 スタイルという点で姉に大きく劣っていると思っているコーネリアは躍起になって抗議した。

 姉がわがままボディを使って誘惑したらエルロイはすぐに落ちるだろう。

 スタイル格差の残酷さをコーネリアは呪う。

 エルロイの視線が、ちらちらと姉の巨大メロンに注がれていたことに気づいていたコーネリアであった。

 それにユイも巨乳だし、ウロボロスラントで増えたという虫もきっと巨乳に違いない。

「うううううううう…………」

 涙目で唸るコーネリアにマルグリットは苦笑する。

(本当は顔を見つめられてることが多かったのはコーネリアの方だったんだけど……悔しいから教えてあげない)

 仲の良い姉妹も恋の駆け引きの前には、互いに譲ることのできないライバルなのだから。




 フーリドマンはノルガード王国北方でもっとも大きな交易都市である。

 比較的土地も豊かで畜産業も発達しており、ノルガード王国の都市としては五本の指に入るほどの規模を誇っていた。

 さらにはそこの領主であるフーリドマン辺境伯ノリスは、国王サルトー一世の従兄弟にあたる。

 王都での異変を商人に扮した間諜によって察知し、いち早く軍を整えたノリスであるが、フーリドマン領はひとつの弱点を抱えていた。

 フーリドマン領から王都へ向かうためには、ケイドラン渓谷という一本道を通らなければならないのである。

 一本道の先にはバスチル関所があり、国境を超えて侵攻してきたヴェストファーレン王国軍によって封鎖されてしまったのだ。

 関所とはいえ簡易な要塞としての防御力を与えられていたバスチル関所には、ヴェストファーレン王国の南方軍からバイデル将軍が二千の兵とともに籠城していた。


「くそっ! なんとかならんのか!」

「我が軍の兵力は三千ではありますが、何分攻城兵器など持ってくる余裕はありませんでしたので…………」

「そんなことはわかっている!」

 

 フーリドマン領の守備兵力をかき集めて出発したものの、まさか関所を城攻めするなど思ってもみなかった。

 そのため白兵で攻撃するしかなかったが、三度に渡る攻撃は全て撃退され、フーリドマン軍は五百人に近い損害を被っていた。

 このままでは攻めるどころか逆にこちらが攻め滅ぼされることにもなりかねない。

 かといってここで退却するなど、臣下としてあるまじき背信だとノリスは考えていた。

 国王が危機にある時、臣下はいかなる理由があろうとはせ参じなくてはならない。古き良き貴族の伝統を重んじるノリスの思いを、現実は裏切り続けている。


「このままではじり貧です。せめて関所の向こう側と連携が取れれば……」


 長年仕えてくれた配下の武官の視線をノリスはあえて無視した。

 彼が臣下としてではなく、領主としての決断を求めていることは明らかであったからである。

 しかしバスチル関所を抑えられるということは、フーリドマン領が北方に完全に孤立することを意味しており、いずれ降伏しなくてならなくなるのは自明の理であった。

 味方が結束してヴェストファーレン王国を撃退してくれると信じるほど、ノリスは楽天家にはなれない。

 だからこそ、今ここでバスチル関所を落としておく必要があるのだ。

 たとえいかなる犠牲を払おうとも。


「か、閣下! 御逃げください!」

「何があった?」

「敵が……バスチル関所から打って出ました!」


 ヴェストファーレン王国軍のバイデル将軍は有能で積極的な将であった。

 フーリドマン軍が損害を増やし、十分に疲弊したことを見て取ると、果敢に攻勢を決断したのである。

 たちまち攻守は逆転し、関所の防壁を相手に疲労していたフーリドマン軍の前線は一瞬で突破された。

 そうなれば本陣の兵力と関所の兵力では倍近い差となる。

 ただでさえ士気が下がっているフーリドマン軍にそれを止める力などないと、ノリスと側近たちは死を覚悟した。


「ちょうどよかった」


 ――――気軽そうな聞き覚えのある若い声。

 いてはならないその人物に思い当たったノリスは目を剥いて驚愕する。


「エ、エルロイ殿下?」

「ヴェストファーレンの裏切り者にも、少しは損害を与えてやらないと。あまりあっさり国が滅ぼされたら困るからね」

「な、何をおっしゃっておられるのか…………」


 散歩にでも出るようなエルロイの飄々とした空気に、ノリスの思考は千々に乱れていた。

 意味がわからない。

 そばに控えているメイドとたった二人で、この人は何をしようとしているのか。


「あいつらをぶちのめして先を急ぐから、後の始末は頼んだよノリス」

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