第34話 惨劇

 花嫁の手を取ろうとして差し出した手をコーネリアはすげなく振り払う。

 これでは介添え役の役割は果たせない。

「何か気に入らないことでもあったかコーネリア?」

「私は茶番に付き合うつもりはありません」

 この時点でコーネリアが予想は、病床から動けぬ父の代わりに、父の影武者がやってきたのではないかというものであった。

 だが国王オズワルドの偽物の反応は、コーネリアの予想を遥かに上回った。

「――――やれやれ、勘のいい女は嫌いだぜ」

 姿形からは想像もできない若く力強い反応だった。

 目の前の男が、父の影武者などではなく、おそらくは若い男の変装であると気づいて、コーネリアは慌てて距離を取った。

「おい、コーネリア、お前陛下に対して何を――――」

 先に祭壇へと到着して、誓いの儀式を心待ちにしていたヘルマンが一歩コーネリアへと踏み出した瞬間であった。

「初めまして婿殿、そしてさようなら」

「ぐああああああっ!」

 瞬きをする間もなく接近した国王オズワルドに殴られた瞬間、ヘルマンの太い腕がちぎれて飛んだ。

 ヘルマンは知性はともかく騎士としての武力ではそれなりの力量を持つと言われているが、全く相手にもならない大人と子供、いや、魔獣と人間ほどの違いがそこにあった。

「――――同胞に魔法をぶっぱなすとはいただけませんな姫様」

「あなた――ランス将軍!」

 変化を解いた国王オズワルドは、ヴェストファーレン王国の東方将軍ランスの姿へと変わる。その足元は魔法の直撃で薄く煙があがっていた。

 ヘルマンが腕をちぎられただけで助かったのは、コーネリアの咄嗟の魔法が間に合ったからであった。

「ひいいいいいいっ! た、助けろ! 早く治癒魔法を!」

「おいおい、逃げんなよ。姫様も、次に何かしたら逆賊として成敗しますぜ?」

「お父様を殺した連中に逆賊呼ばわりされる筋合いはないわ!」

 あの変化の魔道具は父オズワルドが大切にしていた国宝である。最後に魔道具が写し取った姿に変身できるが、父は亡き妻レイチェルを写し取ってからは上書を決して許さなかった。

 上書されてしまえばレイチェルの生前の姿は永遠に失われてしまうからだ。

 その魔道具が使用されているのはオズワルドが死んだという証であり、使われている理由を考えれば暗殺されたと考えるべきであった。

 ――――とすれば、犯人は王太子ジョージ以外にはありえない。

「おい、生かしておいても面倒そうだ。姫様も殺しておけ」

「可能なら助けるよう言われていませんでしたか?」

「作戦達成のための障害は例外なく排除しろとも言われている」

「やむをえませんね」

 ランスと副官が話している間にも、聖堂の内部は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していった。


「ええ~~い! 来るな! 来るなあああああ!」

「血が止まらねえ……早く治癒魔法を……」


 ヴェストファーレン騎士が真っ先に集中したのはなんといってもアンヘルとヘルマン、そして国王のサルトー一世であった。

 もとより武にはからきしのアンヘルはひたすら逃げ惑っており、ヘルマンは片手をちぎり飛ばされた出血が止まらず意識が朦朧としかけていた。


「あああヘルマン! 私のヘルマンがっ! 何をしているのです騎士たち!」


 可愛い息子を助けようとヘルマンを抱きかかえていたカサンドラが最初の犠牲者となった。

 無防備の背後を一人の兵士に切り裂かれ、噴水のように噴き出す自分の血を信じられないものを見るように見つめたままカサンドラは絶命した。


「母上えええええええええ!」

「早く追いかけてやれ」


 母カサンドラの死体にすがりついて、その結果敵から注意を逸らしてしまったヘルマンは、あっさりと胸を貫かれ悲鳴をあげた。


「うそだ……俺がこんなところで……こんなのはうそだああああ!」


 滂沱と涙を流してヘルマンは絶叫する。

 花婿として全国民の祝福を受け、美しい花嫁をわが物とし、甘い初夜を迎えるはずだったのに。

 ふとヘルマンの視線の端に、今まさに襲われようとしているコーネリアの姿が映った。

 美しい――一目見て惹かれた戦女神のような清々しさ。

 あの姿に自分は惹かれていたのだ、と思う間もなく、ヘルマンの頸部を衝撃が襲った。

(こんなはずじゃ……こんなはずじゃなかった)

 それがヘルマンの最後の思考となった。


 兄であるアンヘルはかろうじて無傷で逃げ惑っていたが、ほとんど訓練らしい訓練もしていなかったのが災いした。

 味方に守ってもらうためには守られるための行動と訓練が必要なのだ。

 せっかくノルガード王国騎士が防戦してくれているのに、逃げることだけを優先して騎士から離れてしまうため隙が生じた。

「お前は馬鹿か?」

 孤立して無防備なアンヘルに短剣が投擲された。

 これがあるから守られるべき人間は騎士たちを盾として隠れていなければならないのである。

 腕利きの兵士が放った短剣はアンヘルの胸を正確に貫いた。

 肺を貫通したらしく、呼吸困難となったアンヘルは転げまわりながら喘いだ。

「かはっ! かはっ!」

 声がでない。

 灼熱の激痛と声の出ないもどかしさで、アンヘルは恐怖よりもむしろ怒りを抱いた。

(どうして私がこんな目に遭わなくてはならない? 第一王子にして王座にもっとも近いと言われる私が!)

 立太子して国王となるのはもはや既定路線だと思われていた。

 そうなればあの邪魔なヴェストファーレンの王女など離婚して、愛する女と結ばれるのに誰にも文句など言わせぬものを。

(そうだ、あの女が! ヴェストファーレン王国から来たあの疫病神が今この事態を招き寄せたのではないか?)

 理不尽な怒りに身を焼きながらアンヘルはマルグリットの姿を探した。

「かはっ! くはっ! (貴様)!!!」

 その視線の先にいたマルグリットの顔は、見間違いようもなく確かに笑っていた。

(ふざけるな! その勝ち誇ったような顔はなんだ! 貴様は仮にも俺の妻ではないか! 夫を助けるのが義務であろう!)

 そんなことを考えている間にも凶刃がアンヘルに迫っていた。

 助かるために、守られるために、するべきことをせず無駄な思考に時間を費やしていたアンヘルはあっさりと首を撥ねられた。


 国王であるサルトー一世はさすがに息子たちほどの醜態をさらしてはいない。

 近衛騎士のなかでも腕利きたちに守られて脱出の機会を窺っている。

 だが聖堂の入り口をヴェストファーレン王国に押さえられてしまっているため、応援の兵が助けに来るまで持久するしかなかった。

「…………余としたことが、裏切りは王宮内だけではないことを忘れていたわ」

 王族をめぐる権謀術数がどれほど薄汚いものか、十分にわかっていたはずなのに、隣国の誠意を信じるなど噴飯ものではないか。


「陛下御覚悟なされませ」

「――――ヴェストファーレン王国にはよい兵が揃っておるな」


 先ほどからノルガード王国騎士ばかりが一方的に倒されている。

 精鋭を選んでいたつもりだが、どうやら実力はそれほどでもなかったらしい。

 これも王宮内の勢力争いの報いなのだろう。

 家柄や派閥で近衛騎士が選抜されているという噂は以前からあった。

 これまで国王を守り続けてきた近衛騎士団長がランス将軍に倒されると、サルトー一世は諦念とともに嗤った。


「だがノルガード王家は滅びぬ。王宮のしがらみから解き放たれた虎が、いつか貴様たちを打倒すであろう」

「生憎と我が国では虎殺しには不自由せぬ!」


 銀光が一閃し、はたしてサルトー一世がエルロイをどう思い、何を望んだのかは永久に謎のままとなった。


 そのころコーネリアは三人の騎士を相手に奮戦していた。

 斃れた騎士から剣を奪い、剣技と魔法を駆使して全く怯む様子がない。

 もっともそれはヴェストファーレン王国騎士も、自国の王女を殺すことに抵抗を感じていたからであろう。

 

「よい腕です。なるほど、将軍の言うとおりここで殺しておいたほうがようよいですね」


 不甲斐ない騎士を制して副官の男が進み出た。

 一見しただけで並みの騎士とは実力が違うことがわかる。

(これは年貢の納め時かもしれないわね)

 あのエルロイの魔道具を使えばここを逃げ出すチャンスはある。

 だがそれを持っているのはマルグリットであり、彼女と合流するだけの余裕が今のコーネリアにはなかった。


『会ってよかったこの一冊! 貴方の願い叶えます! 主様のご命令とあらば! たまに時間に遅れるけどそこは勘弁してってこと!』


 なんだかテンションの高い少女の声が響き渡ったのはそのときであった。

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