第33話 結婚式始まる
花嫁衣装に着替えたコーネリアは、髪を結い上げられ、この日のために集められた宝石で胸元を飾られた。
大胆に胸の開いたデザインを巨大なエメラルドが美しく装飾している。決してコーネリアの胸のボリュームが足りないからではない。
「なかなか様になっているじゃないか」
「まだ支度中なのよ。出て行って」
「そうつれなくするなよ。今日から夫婦になるってのにさ」
ヘルマンの舐めまわすような粘着質な視線にコーネリアは鳥肌が立つ思いだった。いや、実際に鳥肌が立っていた。
「夫婦になるから仲良くすると決まったわけじゃないわ」
「お前の姉のようにか?」
揶揄するようにマルグリットの名を出されて、コーネリアは反射的にヘルマンを睨みつけた。
その勢いに押されて弁解するようにヘルマンは苦笑する。
「あれはお前の姉が悪いんだぜ? あの餓鬼(エルロイ)を庇ったりするから」
「お姉さまは事実を言っただけで責められる筋合いはないわ。それに第一王子殿下がサマーセット子爵令嬢とよろしくやっていたのはそれよりずっと以前の話よ?」
「ちっ!」
コーネリアの反論に答える術がなかったヘルマンは悔しそうに舌打ちをする。
事実兄アンヘルはマルグリットとの結婚以前から複数の女性と男女関係を持っており、それを今は隠そうともしていない。
だがヘルマンが悔しそうにしたのも一瞬のことであった。
この気位の高い女の純潔を今夜にもいただけるのだ。ついに遠慮なく邪な劣情をぶつけられるとそれだけでヘルマンの心は寛容になった。
コーネリアをどうやって鳴かせてやろう、この日のために娼婦を相手に訓練を積んだ――と本人は思っている――のだ。
その楽しみを思えば憎まれ口を叩かれたところで何ということはない。
「ふん、聖堂で待っているぞ」
そのヘルマンの問いに答えず、コーネリアはたとえこの身がどうされようとも、彼の思い通りにはならないと固く心に誓っていた。
(私の身体は王女としてのもの。でも私の心は――心だけは自由でいてみせる)
ちょうどそのころ、主賓の二人を待つ聖堂ではひとつの騒動が持ち上がっていた。
花嫁コーネリアの介添えを務めるはずであった国王がオズワルドが、熱が下がらないということでなかなか姿を現さないのだ。
「それはさすがに……無理なのではないか?」
「ですが陛下は娘の介添え役だけはなんとか果たしたいと……最悪その数分だけでよいから、ということで」
「やむをえないか。介添え役以外は陛下抜きで進行していくしかあるまい」
ノルガード王国側としても、国王オズワルドが出席するとしないとでは結婚式の格がまるで違ってしまう。
特にヘルマンとしては兄アンヘルの時にも来なかった国王の出席をなんとしても達成したいという思いが強い。
時間は短くとも出てもらいたいという願望を捨てることはできなかった。
この時点で、いまだ国王オズワルドの姿を見た人間が一人もいないということは体調不良という大義名分の前に誰も気にする者はいなかったのである。
王国のいたるところで盛大なセレモニーが催され、城下では大量の酒と肉が振舞われた。
「ヘルマン王子万歳!」
「コーネリア王女万歳!」
こうして国をあげて式典が催されるのは数年ぶりのことである。
王国が国民に対して大盤振る舞いをする数少ない慶事に、ここぞとばかりに国民は酔いしれた。
商人たちは結婚期間限定商品で儲けようとし、また祝賀ムードを盛り上げるために多くの楽団が王都へと集結する。
すでに王都の人口は通常時の数倍に膨れ上がっており、宿はどこも満員御礼で経済効果もうなぎ上りの状態である。
もちろん警護の部隊も動員されていたが、逆に王都の地理を知らない地方の騎士が動員されたことで柔軟な動きは取りにくくなっていた。
あてがわれた王宮の貴賓室の窓から城下を見下ろし、将軍ランスは不敵に嗤った。
「その調子でどんどん浮かれてくれ。王国兵士が身動きができないようにな」
ヴェストファーレン王国にとってはただ敵国の民衆にすぎなくても、ノルガード王国にとっては守るべき自国民である。
事を為して逃げるにあたっては、あの大量の民衆は貴重な盾であった。
こちらはいくら殺しそうと踏みにじろうと痛くも痒くもないが、ノルガード王国兵士のなかには家族も顔見知りもいるであろう。
躊躇なく殺してヴェストファーレン王国軍を追撃するなど不可能であるに違いなかった。
「地獄になりますね」
「気が進まなそうだな副官」
「無辜の民を虐殺するために騎士になったわけではありませんので」
不満を隠そうともしない副官の愚痴を、ランスは肩をすくめて受け流した。愚痴はともかく、副官が自分の使命には忠実な男であることを知っているからであった。
「憧れるな。堂々と用兵と武を競う尊敬すべき敵、信頼すべき戦友、ひとふりの剣で戦場を疾駆する、男児の本懐だ」
そう言ってランスは皮肉気に口元を歪めた。
「だがこれから始まるのは堂々たる国家間戦争ではない。亡国を征服することのみが求められているのだ」
「わかっています」
「では準備するとしようか。これから俺は花嫁の父にして暗殺者に化けなければならないのだからな」
ランスは懐から王太子ジョージに直接託されたひとつの魔道具を手に取った。
「――――変化(トランス)」
魔道具が蓄えられた魔力を使って明滅する。
するとそこには、将軍ランスの姿はなく、年老いてやせ細った一人の老人の姿があった。
「余の可愛い娘を見に行くとするかのう」
「貴方、軍人より役者のほうが向いていますよ? 国王陛下」
副官の皮肉もどこ吹く風で、ランスは「かっかっかっ」と甲高い声で哄笑した。
花婿と花嫁、それぞれが互いの王国の騎士たちが整列して造り出した剣の門(ゲート)を潜り抜けた先に、介添え人が待っている。
ヘルマンの介添え人は母カサンドラであり、コーネリアの介添え人は国王オズワルドが予定されていた。
オズワルドの到着が遅れているという話を聞かされていたコーネリアは、花嫁衣裳のヴェールから向こうに見える父の姿を見てふと違和感を覚えた。
(お父様、何年も公務ができないほど弱っておられると聞いたけれど……)
なんだろう。まだ百メートルほど先にいる老人から、若々しい獅子のような覇気を感じるのは。
あれは到底現役を退いた老人が持っていられる覇気ではない。
あるいは、娘の結婚式を前に父親として往年の活力を取り戻した、と考えることもできるだろう。
だが、一歩一歩と近づいていくたびに、コーネリアの疑惑は確信へと変わっていくのだった。
祭壇へと続く道を共に歩むため、いとおしそうに手を差し出す男に覚めた視線を送ってコーネリアは毅然と言い放った。
「あなた…………誰ですの?」
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