第32話 花嫁を助け出せ
ガリエラたちから事情を聞いたユズリハは、咄嗟に王都へ向かおうとしたが、エルロイが止めた。
「今から出ても王都には間に合わない。結婚式は明日の午前中には執り行われるのだろう?」
「でもっ! 少しでも早く助けに行かないと!」
「あの二人がどちらを選択するかで対応が分かれるんだ。二人には姿を消す魔道具を渡してあるのを覚えているだろう?」
「ああ、あの一刻ほど他者から見えなくなるという…………」
「あれを躊躇せずに使ってくれればまずすぐに殺されるということはない。問題は彼女たちが誰に助けを求めるかということだ」
「それはどういう意味ですか?」
「コーネリアの結婚式を利用し、彼女たちを危険にさらしてノルガード王国を侵略するとはいえ――ヴェストファーレン王国は彼女たちの母国だよ? 追手から逃れて助けを求めれば嫌とは言わんだろう」
「何も知らせず裏切っておいて…………今さら!」
ギリリ、とユズリハは奥歯を噛み締める。
ユズリハがマルグリットに送った連絡用の鷹には、戦争に関する情報など一切なかった。
マルグリットとコーネリアが完全に蚊帳の外に置かれている証左であった。
「黒幕はおそらく王太子のジョージだろう。あるいは余命わずかな国王が大博打に打って出たという可能性もないではないが、噂に聞く人となりにそぐわない」
「はい、国王陛下は娘である王女殿下に大層愛情を注いでおられました」
「義姉上と王太子の仲は?」
「取り立てて悪くもないですが、さほど良いという話も聞きませんね」
「あそこの王族は女ばかりで、男は国王とジョージ一人だったし、さぞ肩身が狭かったろうさ」
ガリエラの言葉に思わず深く頷くエルロイであった。
かつての前世において、長男である自分以外は四人とも姉妹であったので、家族のなかで男は孤立する傾向があったのを思い出したのである。
もっとも政略のために、兄妹をも犠牲にするというジョージの思考法には顔を顰めるしかない。
「――――そうですね。マルグリット様は切り捨てられた兄にすがるのをよしとはしないでしょう」
「と、いうことは?」
エルロイの言葉の裏の意味を察してユズリハは頷いた。
「はい、このウロボロスラントへと逃げてくるかと思われます」
「ああ、そうだね」
コーネリアなら、せっかく結婚がなくなって、しかも祖国に対する義理もなくなるのだ。もう自分の気持ちに我慢する必要もない。
間違いなくこちらへ来るはずだ、とガリエラも確信していた。
「ということなら話は早い。彼女たちが魔道具を利用してこちらへ向かってくる途中で合流できればいいんだ」
合流することができれば、この辺境ウロボロスラントまでわざわざ軍を派遣するほどヴェストファーレン王国に余裕はない。
いかにうまく王族を殺害することができたとしても、ノルガード王国の歴史は古く貴族たちは独立心が旺盛であるからだ。
「…………一人くらいは生き残ってくれるといいがな。兄貴たちも」
よい思い出などひとつもない兄ではあるが、血の繋がった兄は兄。何より一人くらいは王族が生き残ってくれたほうがヴェストファーレン王国との戦争が長引く。
このウロボロスラントを本当の独立国とする時間が稼げる。
「カトレアお義姉ちゃ……義姉上がうまくやってくれることを願うばかりか」
マルグリットやコーネリアはともかく、カトレアがこのウロボロスラントへ逃げてくる可能性は低いとエルロイは考えている。
あの聡明な彼女のことだ。
ハーミースを連れて脱出し、レオン王国の支援を得てノルガード王国を奪還する手立てを考えても不思議はなかった。
もしそうなれば、条件次第ではウロボロスラント公国として手を結ぶのもやぶさかではない。
「ですが、本当に無事に逃げてこられるでしょうか?」
心から心配そうにユズリハは顔を歪める。
彼女にとってマルグリットはただの雇い主というだけの相手ではなかった。
それはガリエラも同じことである。
彼女たちはそれぞれの事情により、自ら主に忠誠を捧げているのであった。
「今から王都に向かうのは間に合わないが…………奥の手ってのは持っておくもんさ」
「私は気が進みませんが」
不機嫌そうにユイが唇を尖らせる。
「どういうことなのですか?」
「まさか姫様を助けるためにあらかじめ何か用意をしていたのか?」
ユズリハとガリエラが早く吐け、とばかりに視線をエルロイに叩きつける。
相変わらずセメントな女性陣であった。
彼女にとっての雇い主、主君はエルロイではないのだから、ある意味当然の反応であろうか。
「――――俺の使い魔がユイ一人だと言った覚えはないよ?」
とうとうヘルマンとコーネリアの結婚式の当日がやってきた。
花嫁であるコーネリアは憂鬱そうな表情を隠そうともしない。
もちろん、実際の会場ではそんな無粋な真似をするつもりはないが、控室でいるときくらいは自分に素直でありたかった。
「それにしてもお父様、大丈夫かしら?」
「わざわざこの国まで足を運んだのに……無理をされてないといいけど」
花嫁の父であり、ヴェストファーレン国王でもあるオズバルドが旅による疲労で今日にいたるも一度も人目に現われていない。
もともと病弱な父親で、ここ数年は政治の実権を兄のジョージに渡しているという話であった。
手紙のやりとりはしているものの、ノルガード王国へやってきて以来顔を合わせる機会もなく、久しぶりに父に会えるというのがコーネリアにとって数少ない楽しみだった。
「ユズリハから連絡が来たわ。ちょっとびっくりな話よ? ウロボロスラントで光冠草が大量に手に入ったらしいの」
「はああああ?」
王女という上流階級にいるコーネリアは、もちろん光冠草のクリームが高価なアンチエイジングの薬であることを知っている。
そんな稀少な産物があるというだけで、ウロボロスラントは決して不毛な荒野と呼ぶことはできないだろう。
「信頼できる商人を紹介してほしいと言われたわ。そうよね、このノルガード王国の商人を使えば芋づる式にウロボロスラントの実体がばれてしまうもの」
「相変わらず想像の斜め上をいく男ね…………」
「未練はない?」
「あるに決まってるわ」
もう少し時間があれば、もう少しエルロイの宮廷での地位が高ければ、もう少しもう少し、思うことはいくらでもある。
だがそんな未練を振り切って生きると決めた。
そもそも自分は、姉マルグリットの傍にいるために、顔を見たこともないヘルマンとの婚約を決めたのである。
自分の意思で決めた以上、その責任を取るのは自分しかいないのだ。
「――――なんだか、光冠草の錬金をする美人の魔女に迫られて陥落寸前らしいわよ? 彼」
「ぶっ殺す」
カッコよく未練を振り切ったつもりでも、まだまだ未練を捨てきれていない様子である。
「あはははははははっ!」
楽しそうにマルグリットは笑った。
「笑い事じゃないわよ! お姉さま!」
「いいじゃないそのままのコーネリアで。未練を捨てなくたって生きていけるわ。私みたいに」
「お姉さま…………」
王族として果たさなければならない責任はある。
だがそれと心のあり方は関係がないとマルグリットは言っているのだった。
責任を果たし続けているかぎり、心はいつも自由でいいのだ、と。
「だからいっしょにあの男をいじめましょう」
「そうね。思い知らせてやるべきだわ」
もしそこでエルロイが聞いていたら、冤罪だと心の底から叫びそうなことを話しつつ、姉妹は互いに顔を見合わせて笑う。
「花嫁様は支度部屋へお越しください」
「今行くわ」
いよいよコーネリアの結婚式が始まろうとしていた。
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