第24話 それぞれの思惑

 軽く千人は入りそうな巨大な空間に、ぽつりと豪奢な黄金の椅子が浮かぶように置かれている。

 その椅子に機嫌よさそうに座るのは、この国でただ一人そこに座することを許された男であった。

「まあ、しばらく北は遊んでいてもらおうか」

「よろしいので?」

 片膝をつき、唯一の王に首を垂れながら微笑する一人の美丈夫――軍師カーライルは尋ねた。

「構わん。下手に勝たれて対等の立場に立とうなどと欲をかかれては困る」

「あの王子(ジョージ)にそれほどの度胸がありましょうか」

「平凡な日々のなかでは変わらぬさ。だが、勝利と敗北は男を獅子にも犬にも変えることがある。変わらぬとすればそいつは馬鹿か天才かのどちらかだ」

 ゆっくりとワイングラスを手の平で回し、香りを楽しむようにスペンサー王国国王ロイド一世は口に含む。

「よい出来だ。あと三年は寝かせておこうと思ったが、これはこれで味わいが深い」

「よいワインを一人で飲んでしまうのはワインに対する冒涜ですよ?」

「国王にはそれが許される……といいたいところだが、日頃の褒美だ。貴様もグラスを取るがよい」

「では遠慮なくご相伴に預かりましょう」

 カーライルは静かに立ち上がり、ロイドの前に進み出ると自ら玉座の対面に椅子を置いた。

「ロワール産の二十年物だ。香りの立ち方が違う」

「これからは不自由せずに済みそうですな」

「全くだ」

 二人は顔を見合わせてニヤリと笑った。

 先日のプロヴァン沖海戦において勝利したスペンサー王国は、海洋性国家であるティアロン王国海軍を撃破している。

 これまで北部七雄最強の海軍力を誇っていたティアロン王国海軍が喫した初めての敗北であった。

 このスペンサー王国の勝利はすなわち、陸軍のみならず海軍もスペンサー王国が北部七雄最強になったことを意味していた。

 そのためティアロン王国は重要な軍港であるプロヴァンを防衛することができず、ワインの積み出し港としても有名なプロヴァンはスペンサー王国のものとなった。

 今後ロワール産のワインに不自由しないというカーライルの言葉は、近々ロワールもスペンサー王国が占領することを意味していたのである。

「ティアロン王国も屋台骨の海軍が敗北した以上、そう長くはもたないでしょう。残るはレオン王国とグラスゴー王国を残すのみ――北部の二国は……」

「もちろん丸ごと飲みこむ」

 ヴェストファーレン王国の王太子、ジョージはスペンサー王国に従属する意思を表明しているが、同時にノルガード王国を併合することで侮られないだけの力を残そうと考えていた。

 だがロイド一世はそれを許すつもりはない。

 大人しくノルガード王国を献上してくるなら、ヴェストファーレン王国は残してやってもいいだろう。

 属国としてスペンサー王国の尻を舐めるなら、利用する価値もある、が、それをしてしまってはジョージの政治基盤がもつまい。

 ノルガード王国を併合した戦力をもってすればスペンサー王国に対抗することもできると主張する声を無視できぬはずだ。

 勝利とは大きな力を得ることもできるが、同時に毒を身体に抱えこむということでもあるのだった。

 ジョージは確かに優秀な男であった。時勢を見抜き、スペンサー王国へつくことを決めた。だが、それならばノルガード王国を得ようと欲をかくべきではなかったのだ。

 ノルガード王国を見捨ててただスペンサー王国へ味方するなら、ロイド一世はヴェストファーレン王国の存続を許すつもりであった。

 北部を統一し大陸全土の覇権を望むロイド一世にとって、必要なのは忠実な部下であって中途半端な同盟者ではないのである。

「そのためにはあまり簡単にノルガード王国に滅んでもらっては困る」

「それについては一応手を打っております」

「ほう?」

「第三王子であったマイヤリンク侯爵アルトの側近にこちらの手の者が入り込んでおりますので、亡命させるというのはいかがかと」

「ヴェストファーレンに気がつかれぬようにな」

「もちろんです。あとは……第四王子ハーミースに陰から力を貸し内乱を長引かせるのも手ですな」

 愉快そうにカーライルは笑う。

 どちらに転ぼうと、全てスペンサー王国の利益となるのに変わりはない。いや、そうなるようにしてみせるという自負がカーライルにはある。

「そういえば…………」

 ふと思い出したようにカーライルは呟く。

「第五王子は残念でしたな。相当に有能そうな少年だったようですが……不毛大地(ウロボロスラント)に追放刑を受けてしまったようで」

「いったい何をしでかした?」

「王妃暗殺未遂……の容疑、というか冤罪です。真偽のほどはともかく、新しい魔法を創造した神童という噂もあり、王妃には相当煙たかったのでしょうな」

「惜しいな……我が国に残る最後の課題は魔法部隊の強化であったものを」

 ロイド一世は本気で残念そうに言った。

 冷徹な政治判断を下す反面、ロイドは才能を愛する君主でもあった。

 ノルガード王国の血筋の悪い第五王子なら、スペンサー王国の将軍でも宮廷魔法士でも登用することは可能だ。

 いずれ叛旗を翻す危険もないわけではないが、それよりも才能を優先する度量がロイドにはあった。

 さすがにレダイグ王国王太子デルフィンほど血統がよく意思の固い者は無理だが。

「ではその第五王子に幸多からんことを祈って乾杯するとしようか」

「彼は迷惑だというかもしれませんよ?」

 ロイド一世は優秀な君主であり、カーライルは大陸を代表するような軍師である。

 その二人でもウロボロスラントという地は、運が良くて生き延びることができるかどうかと認識に変わりはなかった。

 エルロイ・モッシナ・ノルガードという男を間近に知る三人の王女だけが、違う将来があることを信じることができたのである。



 一方そのころ、ノルガード王国とヴェストファーレン王国の国境に、完全装備の兵団が姿を現していた。

「ヴェストファーレン王国近衛騎士ロズベルグである! コーネリア王女殿下の婚礼に我が国王陛下とともに参列いたす! よろしく通行の許可をいただきたい!」

「陛下自らのお運び、まこと慶賀の至り、どうぞ通られよ」

 関所を通過していく兵団の数はおよそ千五百。

 これほどの実戦部隊がノルガード王国内へ入るのはおそらく建国以来のことであろう。

 だがノルガード王国内には王都だけで数万、全土から招集すれば十数万の兵力があることを考えれば、ごく少ない兵であるとも言える。

 ひと際豪華な天幕付きの御輿を、ノルガード王国の兵士は片膝をついて見送った。

「…………陛下はこの婚礼のために少々無理をされておられる。挨拶なく通ること、許されよ」

「もったいなきお言葉にて」

 ヴェストファーレン国王が、老齢でもあり、国政の場に姿を表すことが少なくなったことを関所の長官アルノルト子爵は承知していた。

 ほとんど何のトラブルもなく、呆気なく千五百もの兵団は国境を通過しノルガード王国内へと入ったのである。

「話は通していたとはいえ拍子抜けいたしましたな」

 見るからに肩の力が抜けた様子でロズベルグは御輿のなかの人物に語りかけた。

「気を抜くなよロズベルグ。それよりこの道、地形をよく覚えておくのだ。事を為したあとには戻らなくてはならない道なのだからな」

「もっともそのころには関所は我が軍の後続によって陥とされているでしょうが」

「万が一、陥ちていないということもある。いずれにしろ生きて帰らなくては功を為した甲斐がないぞ? なにせ我らは敵国の国王と王子というこれ以上ない手柄をもって凱旋するのだから」

 たった千五百の兵団でテロを行い、かつ生きて故国へ生還するという困難極まる作戦だが、失敗することなど考えてもいない。

 国王の御輿のなかに替え玉として扮装した男――ヴェストファーレン王国将軍ランスは侍女の腰を抱き寄せ悠然と嗤うのだった。

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