第23話 不穏な気配

「まさかエルロイ殿下がそれほど姫様の信を得ておられたとは知りませんでした」

 マイヤーは物言わぬ屍と化したエルロイを前に苦笑した。

 基本的にカトレアは気難しい女性だ。

 あとにも先にも自分をお義姉ちゃんと呼ばせた男性などエルロイくらいなものであろう。

 背伸びしたがる年頃のカトレアが、エルロイにお義姉ちゃん呼びを強請る様子を想像しただけで、どうしても笑みを深くしてしまうマイヤーであった。

「ぷっ……カトレアお義姉ちゃんって……」

「あなたが言えと言ったんでしょうがっ!」

 がばっと顔をあげ、エルロイは理不尽な仕打ちを嘆く。

「きっとマルグリット様もそう呼ばれたがるんじゃないかしら?」

「まさか……ユズリハさん、こんなこと報告しないでしょうね? ね? 信じてますよ!」

「さあ、どうでしょうか」

 もしマルグリットに報告すれば、本人もそう呼ばれたがるであろうことは容易に想像できた。

 コーネリアの方は……別の呼ばれ方を望むかもしれないが。

「……正直気になる情報があります」

 一転してマイヤーは真顔になった。

「何か気になることが?」

「お隣、ヴェストファーレン王国が騒がしい。ヘルマン王子とコーネリア殿下の結婚式に国王が参列すると言う話ですが…………」

 そこでマイヤーはユズリハとガリエラを窺う気配を見せた。

 ユズリハとガリエラには心当たりがない。

 いかに彼女たちといえど、このウロボロスラントに来てからの情報は一切届いていないからだ。

「とうとう結婚するのか、コーネリアお義姉様」

「知らなかったのですか?」

「近いうちに、という話は聞いていたけど、追放の時点で詳しい日取りまでは決まっていなかったからね」

「うん、今決めたよ。今度から殿下はコーネリア殿下をコーネリアお義姉ちゃまと呼ばせることにしよう」

 憤然とガリエラは言った。

「なんでだよっ!」

 宮司として幾多の神前結婚式を執り行ったメンタルがそうさせるのか。婚約者や人妻をエルロイは恋愛の対象から完全に隔離しているのである。

 それはそれで信頼のおける貞節な夫になるだろうが、ガリエラにとって重要なのはコーネリアにとってエルロイがどうであるかということなのであった。

「ふっふっふっ……何を隠そう、私はユイお姉ちゃんと呼ばれていた時期があります」

「これ以上話をややこしくするなユイ!」

 なんなのこの羞恥プレイ。

 恥ずかしさのあまり全身を真っ赤にしたエルロイが哀れになったのか、マイヤーは話を進めることにした。

「ヘルマン殿下とコーネリア殿下の挙式自体はもともと決まっていたことです。ですが国王陛下が参列するというのは……情報が正しければ現在の国王はベッドから起き上がることもできないはずなので」

「確証が取れたわけではありませんが、私の伝手でもそんな噂を聞いたことはあります」

 ユズリハもマイヤーの話に頷く。

 しかしさすがにこの時点で、すでに国王は死去しているとまでは神ならぬ身の二人が知る由もなかった。

「ご存知かと思いますが、今の私は騎士ではなく傭兵であり、少なからず傭兵にも伝手があります。その傭兵仲間に聞いたのですが、どうやらヴェストファーレン王国は密かに傭兵を集めているらしい、と」

「傭兵を?」

「ユズリハ殿、ガリエラ殿、聞いたことは?」

「いえ、少なくともウロボロスラントに旅立った時点ではそんな話は聞いておりません」

「すると俺たちが追放された後の話か…………」

 今は戦国の時代である。

 どの国も優秀な兵を求め、それを維持しようとやっきになっている。

 だが傭兵は違う。傭兵を鍛えても、彼らは金で別の国へ行ってしまう危険性のある存在であり、傭兵を雇う理由はたったひとつであった。

 すなわち、戦争が間近に迫っているということであった。

「ヘルマン殿下とコーネリア殿下の結婚を理由にどこか外征に出るつもりか?」

「かといってレオン王国とも同盟を結んでおりますし……まさか今さらレダイグ王国をスペンサー王国から取り戻すとでも?」

「戦争の理由としては弱い気がするが…………」

 レダイグ王国に手を出せば、絶対にスペンサー王国が出てくる。

 そしてスペンサー王国を相手にするにはノルガード王国とヴェストファーレン王国が手を取り合っても難しかった。

 防衛戦争ならともかく、外征となればなおのことである。

「情報が足りないが、何か嫌な予感がするな」

「エルロイ殿下も?」

「マイヤー殿もか」

 マイヤーのように数々の戦争を経験していたり、エルロイのように常に暗殺者から狙われて生命の危機にさらされている人間にとって、勘というものはなかなか馬鹿にできないものだ。

 生命保存本能が無意識化で危機を知らせている場合が多いからである。

「マイヤー殿、これをカトレアお義姉……じゃない、カトレア殿下に渡して貰えるだろうか?」

 思わずカトレアお義姉ちゃんと呼びそうになってエルロイは口ごもった。

「これは…………?」

 マイヤーは突っ込まない。男の情けであった。

「魔力を流せば一刻ほど他人から身を隠すことのできる魔道具です」

「なんとっ!」

 質のよさそうなブレスレットを見てマイヤーは叫ぶ。

 そんな魔道具が量産され、もし軍にでも配備されればノルガード王国は北部七雄全てを滅ぼして統一することすら可能かもしれなかった。

「相手から見えなくなるだけで触ることはできます。一刻を過ぎると再び起動するのに半日近い時間が必要となりますのでご注意を。ああ、あと、このブレスレットをつけた人間に触れていれば、二、三人ならいっしょに隠れることができるでしょう」

「これは…………プロポーズと受け取っても?」

「なんでやねん!!!」

「ですが……これほどの魔道具を姫様に贈る理由が……殿下はこの魔道具がどれほど貴重なものかわかっておりますか?」

 マイヤーの見るところ、このブレスレットは国宝よりも貴重なものだ。

 そんなものをただで贈られると思うほどマイヤーは初心な男ではなかった。

「マイヤー殿が言ったのですよ? 同盟者として互いに利のある関係になりたい、と」

「――――なるほど、それでその対価は?」

「まず信頼のおける商人の派遣、そしてこのウロボロスラント――いや、我が公国に未来ありと思うなら、優秀な人材の移民を求めます」

「殿下も食えないお人ですな」

 人を派遣するだけなら容易いが、移民としてエルロイに忠誠を誓う人材となるとその選抜は困難を極めるであろう。

 どの国でも優秀な人材を手放したいはずがないのだから。

「エルロイ殿下、我が国の商人も呼んでいただけるのでしょうね?」

 こんなところでレオン王国にお宝をさらわれるわけにはいかない、とユズリハが慌てて口を挟む。

「もちろん、商売相手をひとつに絞り込むことは危険だよ。お互いに競い合ってもらわないとね。今はノルガード王国商人に関わらせたくないし」

 やはり食えない、とマイヤーもユズリハも思う。

 エルロイは無条件にレオン王国とヴェストファーレン王国を優遇するわけではないのである。

 光冠草をはじめ、ウロボロスラントには数多くの宝が眠っている。

 だがその開発にはマンパワーが必要であり、商人は自分がより儲けるためにはまずウロボロスラントに資金を落とす必要があるのであった。

 もちろん、エルロイにはノルガード王家と敵対しているという弱みがあるのだが、この弱みは下手をすると美味しいところを全てノルガード王国に奪われるというもろ刃の刃だ。

 さしあたりユズリハとガリエラの心配しているのは光冠草の納入先なのだが。

「ユズリハとガリエラも、ヴェストファーレン王国の動向を調べてお義姉様に報告してほしい。何かがあってからでは遅いからね」

「急いで鷹を飛ばします」

「私も昔の仲間にあたってみるよ」

 彼女たちなりに不穏な空気を察したのだろう。

 エルロイはマイヤーに向き直る。

「万が一、今回の兵が第四王子ハーミース殿下の派閥を葬るものであった場合、我が公国は亡命を受け入れる用意があります」

 その発想はしていなかった、とマイヤーは絶句する。

 可能性なし、と断言することはできなかった。

 現在もハーミースを排除するべく第一王子派が暗躍し、王宮では常に暗殺に警戒が必要な状態なのだから。

 第四王子の派閥――アルハンブラ公爵家の影響力を排除するためには、暗殺ではなく軍事行動が必要かもしれない。

「ただちに王都へ戻り、この魔道具を姫様にお渡しいたします。ところで――――」

 マイヤーは悪戯っぽくエルロイを見て尋ねた。

「もし姫様が未亡人になっても亡命を受け入れてくださると?」

「もちろんです」

 迷いもなくエルロイは答えた。

「エルロイ殿下に心から感謝を――」

 颯爽と立ち上がったマイヤーの晴れ晴れとした表情とは裏腹に、その日一日なぜかユイの機嫌が悪かった。

「女の敵ですね」

「女の敵だな」

「女の敵なの~~」

「だからなんでだよっ!!!!」

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