第11話 もうひとりの義姉

 エルロイはノルガード王家の五男だが、当然第一王子アンヘルと第二王子ヘルマン以外にも二人の王子がいる。

 第三王子のアルトはすでにマイヤリンク侯爵家へと養子に出されており、王位継承権を喪失していた。

 これはエルロイほどではないにせよ、アルトの母親もそれほど身分が高くなかったためである。

 だが第四王子のハーミースはそうではない。

 カサンドラ王妃とも引けを取らない側妃アルハンブラ公爵家の令嬢アンナの嫡子であり、現在カサンドラの派閥に対抗できる唯一の勢力となっていた。

 しかしすでに第一王子アンヘルの継承の流れは覆すことは困難で、そのハーミースがエルロイの追放を目撃した衝撃は大きかった。

 いずれは自分も同じように追放されるのではないか、と疑ったのである。

 その危惧は王位を争う王族の未来としては決して珍しい類のものではなかった。

「こんなことならもう少しエルロイと力を合わせるべきであった……」

 圧倒的に優位な派閥がいる場合、弱小派閥同士が手を結ぶのは常套手段といえる。

 エルロイの才能の眩しさに、みすみす兄たちへの対抗手段を失ってしまった、とハーミースは悔やん.でいた。

「奴がいれば、あるいは捨て石に利用することもできたろうに…………」

 失ったものを嘆いても始まらない。

 あの不毛の大地ウロボロスラントに行ったエルロイは十中八九まではすでに死んでいるだろう。

 それが王宮内の一般的な考え方であった。

「今からでも遅くはないのでは?」

「それはどういうことだカトレア?」

 ハーミースは妻のカトレアの言葉の意味を測りかねた。

 まだ十二歳でしかないカトレアは一応妻の立場ではあるがまだまだ子供だ。

 カトレアは母アンナがカサンドラへの対抗心から北部七雄のひとつ、レオン王国から輿入れした王女で、レオン王家特有の冴え冴えとした銀髪が特徴的な可憐すぎる美少女である。

 とはいえまだまだ体の発育は発展途上で、本人もそれを気にしているらしく大人の話に口を挟む気もないようであった。

 事実ハーミースはそう思っていたし、今までカトレアも子供らしく政治向きの発言などしたこともなかった。

 どういう風の吹き回しだろう、とハーミースが興味を持ったのも当然であった。

「あの人、もしかするとウロボロスラントに追放されたのを幸いに、不毛の地を豊かな領土に変えてしまうかもしれませんよ?」

「そんな馬鹿な! あの土地がどれほど過酷かカトレアは知らないんだ」

 とてもではないが開拓の労力に見合った報酬をあげることができない、と判断したからこそ王国は開拓に注ぎこんだ莫大な資本を諦めた。

 たった一人の優秀な男がどうにかできるものなら誰も苦労しないのである。

「もちろん可能性が低いことはわかっています。でも、万が一ということがありえそうなのがあの人なんです」

「――――根拠あってのことだろうな?」

「エルロイ殿下がどれほどの暗殺者を送られたかご存知ですか?」

「…………そういうことが何度かあったことは知っている」

「こんなことをお聞きするのは無礼かもしれませんけど、ハーミース様は金に糸目をつけず雇われた一流の暗殺者一ダースに囲まれて無傷で生還することができますかしら?」

「無理をいうな」

 ハーミースならば腕利きの護衛が常に付き従っている。

 対暗殺者用の陰も数名警護にあたっており、これは母方のアルハンブラ公爵所縁の信頼のおける者たちだ。

 それだけの護衛なくしては、いつ暗殺されてもおかしくない。良くも悪くもノルガード王家の王位を争うとはそういうことであった。

 だが、エルロイにはそんな部下は一人もいなかった。

 しかもいまだエルロイは十二歳の若さ、最初に襲撃されたのは十歳にすらなっていなかっただろう。

 それがいかに異常なことであるか、ハーミースはカトレアに言われてやっと気づいたのである。

「――つまり、エルロイには協力者がいた、と?」

「それならいいですわね。ですが私、エルロイ殿下が単独で撃退したのではないかと疑っておりますの」

「いくら神童といってもそれは…………」

 ありえない、と言い切ることはハーミースにはできなかった。

 正妃であるカサンドラだけでなく、側妃の母アンナですら警戒した相手である。

 決して表だっては認められないことだが、十歳時のエルロイの魔力量はすでに王国でも最大であり、おそらく宮廷魔法士の誰も勝つことはできないと言われていた。

 それどころか、これまで存在しなかったオリジナルの魔法を自作したという噂すらあった。

 数知れぬ暗殺者の群れを撃退してきた実績が事実であれば、噂は噂などではなく真実なのかもしれない。

「だが、今さら奴をウロボロスラントから連れ戻すことなど叶わぬ。奴の追放は王命によるものなのだから」

「…………私はそういう意味で申し上げたのではないのですが」

 カトレアは婚約者の飲みこみの悪さに苦笑した。

 いや、むしろハーミースの反応のほうが当たり前なのだ。

 エルロイの武はいずれ戦争や武力闘争が発生すれば切り札になりうるかもしれないが、遠いウロボロスラントからでは間に合わない。

 しかしカトレアの考えは違う。

 数年前彼女はお忍びで城下に出た際に、とある組織に誘拐されかけた経験がある。

 カトレアが把握しただけでも組織の人数は二十人以上はいた。

 王国から連れてきた護衛も捕らわれ、半ば諦めかけたとのときである。

「……てっきり俺を狙ってきたのかと思ったら、ハーミース兄上のお嫁さんを誘拐とはいい度胸だな」

「なんだこの餓鬼は?」

 身なりはいいがわずか十歳を過ぎたばかりほどの幼さ。

 そんな少年が厳重に見張を立てていたアジトにいつの間にか入ってきたのだから驚くのも当然であろう。

 だがそんなことはおかまいなしに、少年は憮然とリーダーらしき男を睨みつけた。

「この子は我が国にとっては大事な客人のようなものだ。返してもらうぞ?」

「寝言は寝て言え。お前も金持ちの奴隷に売り飛ばしてやるよ」

「そんなことができるものならね」

 次の瞬間、リーダーの頭が弾けるように後ろにのけぞった。

「ボス! ひぃっ! 死んでる!」

 いったいどこから何の攻撃をされたかもわからぬままにリーダーの男は頭を割られて死んでいた。

 動揺する誘拐組織の人間たちが悲鳴をあげて逃げ惑う。しかし一片の容赦もなく彼らは腹を突きさされ、顔を射抜かれ、首を切り裂かれて一人残らず死んだ。

 射撃用の魔法ではないか、とカトレアはあたりをつけるが、その発動がどうしても見抜くことができない。

 それだけでなく、どうやら射撃用の魔法以外にも目に見えない暗殺者がいて死角から誘拐組織の人間を殺して回っているようだ。

「あ~~と、大丈夫かな? カトレア殿下」

「エルロイ殿下ですね?」

「一度しか顔合わせしてないのによく覚えていたね……今日のことはお互いにないしょということにしてくれないか」

「どうしてですか? 私は恩知らずになるつもりはありません!」

「…………わかってると思うけど、俺は王宮では嫌われ者でね。これが大事になると俺に難癖つけようとする厄介な奴が多いのさ」

「それは…………」

 確かに王宮内でエルロイの噂はすこぶる悪い。カトレアも極力関わりにならぬよう言われていたからこそ、最初の顔合わせ以来一度もエルロイと顔を合わせることはなかったのだ。

 いわく、凶暴で思いやりに乏しく、陰険で人を陥れることに歓びを見出しているような人格破綻者。

 そう聞いていた噂が全く事実無根であることをカトレアは知った。

 ということは意図的に歪められた噂のなかで、エルロイは理不尽に孤立しているということになる。

 彼の政治的基盤はそれほどに弱い。

 弱いだけならともかく、途轍もなく有能であったことが彼の不幸なのだろうか。

 いずれにしろ事を公にすることは、逆に彼へ恩を仇で返すことになりかねないようであった。

「…………借り、ということにしておきますわ」

「そうしてもらえると助かる」

「お義姉様とよんでくれてもいいのよ?」

「ぶっ!」

「その反応はどういう意味かしら?」

 形のよい眉を逆立ててカトレアはエルロイを睨みつけた。

「いや、こんな評判の悪い弟をもっても仕方ないでしょってことで…………」

「――お義姉ちゃんと呼びなさい」

「はい?」

「お義姉ちゃんと呼びなさい」

 いささか、というよりかなり幼い容姿がコンプレックスになっているカトレアの触れてはいけない部分に触れてしまったらしく、カトレアの主張は強硬だった。

「カ……カトレアお義姉ちゃん?」

「よく言えたわ! これからちゃんとそう呼びなさいね!」

「そ、それはちょっと……」

「ああん? (ギロリ)」

「心からお呼びいたします。お義姉様(ワンブレス)」


 そんなやりとりがあったのに、カトレアとエルロイが再び顔を合わす機会はなかった。

 いったいどうやって再会しようか、カトレアが画策しているうちに、エルロイはカサンドラの罠に嵌ってウロボロスラントへと追放されてしまった。

 心にどこか疼く痛みを感じつつ、カトレアはハーミースを見た。

 政略結婚に愛情など必要ないとわかってはいても、あまり情のわかない愚かな男である。

 これほど情報を提供しているにもかかわらず、エルロイをただの一個人、優秀な武人であるくらいにしか考えていない。

(まあ、それも無理はないかな)

 あの圧倒的な存在感と覇気、そしてカトレアの目をもってしても微かに捉えるのがやっとだった死角からの攻撃。

 あれは失われたとされる伝説の影使いの技ではなかったか。

 実はカトレアには秘密のスキルがある。

 王族以外には他言無用のスキルのその名は看破、人が見逃してしまうような貴重な情報を無意識に見抜く真実の目である。

 だからこそエルロイとユイがうまく隠せたと思っていた攻撃の真相を見抜くことができたのだ。

 そしてエルロイの才が決して戦うことだけに特化してはいないということも。

「…………それでも誼を通じて損ということはないでしょう?」

「無駄だと思うがな」

「でしたら私のほうで適当に使者を送っておきますわ」

「好きにしろ」

 ハーミースはそこでこの話題に関する興味を失ったようであった。

 今後激化するであろう宮廷闘争において、いかに二人の兄から身を守り切るか、そのためには暗殺や陰謀も考慮しておくべきであろう。

 酷な言い方をすれば、第三王子のように臣下に下って王位継承権を放棄すればこんな悩みを抱かずにも済んだのだ。

 しかしレオン王国から王女を招いた以上、今さら臣籍に下ることもできなかった。

 何よりあのプライドの高い母が認めまい。

 ぐだぐだと答えの出ない悩みを堂々巡りしている夫に冷ややかな視線を送り、カトレアはウロボロスラントへの使者に持たせる土産を考え始めていた。

(恩を売っておくことは決して無駄ではないわ。私の勘がそう言っている)

 まだ幼くとも、ロリ体形に悩んでいても女は女。

 カトレアの視線は夫であるハーミースを完全にスルーして遠い空に飛んでいた。

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