第2話 追放王子
王国の異端児、建国以来の神童、そう謳われた第五王子の出発を見送ったコーネリアとマルグリットはどちらからともなく顔を見合わせた。
「どうなると思う?」
「この王宮ではあの子にはなにひとつ自由がなかった。私たちが庇ってやれることも限られていた。でも辺境にはもう彼を邪魔するものは何もない。虎を野に放つようなものでしょ?」
「きっととんでもないことになるでしょうね。あの子の魔法を無制限に使えば間違いなくそうなるでしょう」
「あ~~あ、本当なら私もついていきたかったわ」
「そこは哀しい王女の宿命よね」
王家に生まれた以上、結婚は自分の自由にはならない。
もしエルロイの血筋がよければ結婚相手に選ぶこともできただろうが、いかんせん下級貴族の母を持つ五男坊では政略結婚の相手としては不足しかなかった。
でもせめて、もう少し早くエルロイの異才がわかっていれば他にやりようもあったのだが。
「彼が何をしてくれるのか楽しみね」
「そのためにも邪魔ものが入らないように見張らせておかないと、ね」
幸いにして、辺境に送りこんだというだけで第一王子も第二王子もすっかり油断してくれている。
それほどに辺境の生活は過酷で知られており、気分的には辺境という檻に囚人を閉じこめたようなものなのだろう。
「…………本当はもしかしたらって考えてるでしょ?」
「な、にょわわわわっ!」
マルグリットにいたずらっぽく瞳を覗き込まれて、コーネリアは顔を真っ赤に染めて意味不明の言葉を放った。
第二王子のヘルマンは野心家で粗野な男だ。
兄であるアンヘルは怜悧で陰謀家の面が強いが、ヘルマンは頭で考えるより精力的な行動に移すことで良くも悪くも他人に与える印象が強い。
剣の才にも恵まれ、軍部の支援を取り付け第一王子に代わって王位継承者になろうという野望を隠そうともしなかった。
だがそれはコーネリアの好みとは百八十度違うことをマルグリットは知っている。
コーネリアの趣味は、実は年下でかしこくて優しく女性のような顔立ちの、まさにエルロイのような少年なのだ。
万が一、本当に万が一だが、エルロイがウロボロスラントで成功をおさめ、王宮内の事情によってヘルマンが失脚するようなことがあれば、婚約を破棄して新たにエルロイと結ばれるという可能性も絶対にないとはいえない。
それだけの規格外の才能がエルロイにはあるのである。
ゆえに、コーネリアはいまだヘルマンに唇すら許していないのだった。
「わわ、私は彼が新しい魔法を開発してくれれば、ヴェストファーレン王国のためにもなると思って……」
「あら、そんなことを言っていると私がもらってしまうわよ?」
「まま、まさかお姉さまも?」
「――――も?」
「いやいやいやいや、これは言葉のあやというか…………」
妹が派手な顔立ちのせいで百戦錬磨のように見られがちだが、実はとても初心な乙女であることをマルグリットは知っていた。
可愛いすぎて、ついからかってしまうのはご愛敬であろう。
「でもまあ……少しは夢を見させてもらってもいいわよね?」
もっとも婚約者のままのコーネリアと違い、マルグリットはアンヘルとの婚姻が成立している。
神の奇跡でも起こらない限りコーネリアのような可能性はマルグリットにはない。だが、夢を見るくらいは許されるのではないか、と思うマルグリットであった。
どうして外国からやってきた王女二人にここまでエルロイが好意を寄せられているのか。
それはやはり異世界転生補正というべきか。
しっかりとフラグがあったのである。
コーネリアが故郷から連れてきたペットをエルロイが治療したり、ノルガード王国の食事に慣れず、体調を崩したマルグリットにパンケーキをごちそうしたり。
もともと前世で人気飲食店を経営していたエルロイは、この美人姉妹の胃袋をがっちりキャッチすることにいつの間にか成功していたのである。
さらにこの世界は封建国家の多くがそうであるように、女性の地位が現代のように高くはない。
エルロイのごく自然なレディーファーストの態度が、彼女たちに非常に好印象であったことは想像に難くなかった。
王都を出立してウロボロスラントに到着するまでおよそ二週間近い時間を要した。
全員が高価な良馬に乗ってそれなのだから、まともに徒歩の旅であれば数か月を要するだろう。
商人の馬車であっても一か月以内ということはありえない。
ましてこれからエルロイたちが行くウロボロスラントの村は、さらに五日程度の奥地にあるという。
「やれやれ、さすがに尻が痛くなったぞ」
「いやいや、普通の王族は尻が痛い程度ではすみませんからね」
いかにも苦労人らしく渋みのある顔をした叔父のヨハンは、苦笑しながらそう言った。
法衣貴族ながら従軍経験のあるヨハンは、大抵の王族は長時間馬に乗り続けることに慣れていないことを承知していた。
今の王族でエルロイと同じことができるとすれば、それは第二王子のヘルマンだけであろう。
「……思ったより街道は綺麗ですね」
意外そうにあたりを見渡すのは乳兄弟のロビンである。
ユズリハが言うには、弓の才は自分を超えているという絶賛ぶりで、旅の途中時間を見てはロビンはユズリハに教えを乞うていた。
エルロイにとってはいたずら好きでやんちゃなお兄ちゃんだが、ここ数年は年相応に分別がついたようで、エルロイを相手にいたずらに誘うようなことはしていない。
本人は隠しているつもりらしいが、かなりの女好きなので、あわよくばユズリハの気を惹こうとしているのをみんながわかっているのは本人には内緒だ。
「――――危険は魔物ばかりではないようですね。ご主人様」
長年のつきあいであるユイの口調だけで、俺はある程度事態を察した。
「放っておいてくれると思ったが……」
「女の恨みはしつこいものですよ?」
「ユイもかい?」
「恨まれる覚えでも?」
にっこりと冷たく微笑まれて、背筋が寒くなったエルロイは慌てて首を振った。
「数はどのくらいになる?」
俺とユイの会話で、ガリエラとユズリハも話の内容を察したらしく、目つきが厳しいものに変わった。
彼女たち護衛にとっては、ユイが気づいて自分たちが気づかなかったということも大問題であった。
「…………油断したね。気配が薄い」
「相手もプロですね」
いるとわかってしまえば彼女たちも把握するのは難しくなかったらしい。
「プロ?」
「金で引き受ける暗殺者の類ということです。おそらくは王妃の差し金でしょう。だから言ったのです。女の恨みはしつこい、と」
正確には、王妃カサンドラの恨みの矛先はエルロイではない。
すでに大公の地位と引き換えに王位継承権をはく奪されたエルロイは息子たちの王位のライバルとはなりえないからだ。
すなわち、王の寵愛を一時とはいえ奪われたエルロイの母ライラに対する恨みを息子であるエルロイにぶつけているのである。
美しいとはいえ庶民のようにみすぼらしい侍女に負けたということが、どうしても彼女のなかで許せないのであった。
「念のいったことだ」
「五……六……八人でしょうか」
ガリエラとユズリハは潜伏する刺客の人数をそう予想するが、ユイはいち早くナイフを地面に向かって投擲した。
「残念、九人です」
「ええっ?」
ユイの放ったナイフから、地面に染み出すように赤い血が広がっていく。
大地に身を埋めて襲撃の時を待っていた刺客がいたのだ。
「さすがユイだね」
「ご主人様には指一本触れさせません」
何度となく刺客を送られ、そのたびにユイが撃退してくれた。
いくら前世の知識があっても、汎用人型決戦兵器でもあるまいし、多少人より優れている程度では無力な子供が生き延びることはできなかっただろう。
お礼代わりにユイのうなじにキスをすると、ユイもうれしそうに額をエルロイの肩に預ける。
「あの~~いちゃついてる場合じゃないと思うんですが……」
「殿下は女の敵だな」
悪びれもせずにユイはエルロイを背中に庇うと、大きな胸を張って得意気に微笑んだ。
「ご主人様のために最高の女であるのがメイドの務めというものですよ?」
奥の手であった地中の仲間をあっさり殺された刺客たちは驚愕していた。
彼らは王国でも随一とよばれる暗殺者集団、マギウスの一員である。
法外な依頼料の代わりに、彼らに依頼すれば暗殺の失敗はほぼないと噂される。
さすがに王族の暗殺はリスクが高いため、これまでは請け負ってこなかったが、エルロイが身一つで追放されるとなれば話は別だ。
それでも念には念を入れ、一族でも秘儀にあたる土遁の術まで使ったのにあっさり見破られるとは。
このままでは一族の名誉はぼろぼろである。
陰に潜むべき暗殺者である彼らが、一斉にエルロイの命を奪おうと風のように駆け出したのは当然の成り行きであった。
「――――ひとつ」
ユズリハが放った矢が刺客の一人の眉間を射抜いた。
避ける暇すら与えぬ電光の一撃であった。残念ながらロビンの矢はほんのわずかな差で躱されてしまっている。
弓の性能と技術の差が如実に表れた結果であった。
「――――ふたつ、みっつ」
ガリエラが大剣を器用に振り回してすれ違いざまに二人の刺客を叩き斬る。
豪快そうに見えるが、遠心力と体重移動を極限まで錬磨したガリエラだからできる芸当であった。
高身長とはいえ体格で男性に劣るガリエラの短所を補ってあまりある見事な技量である。
「よっつ、いつつ、むっつ」
ユイの戦闘スタイルは魔法と短剣術が主の万能型だ。
剣でも弓でも人並以上に使うのだが、なかでも魔法付与の短剣術が凄まじい。
加速、浮遊、隠蔽を付与された短剣が、上下左右からほぼ自動的に襲いかかってくるのは襲撃者にとっては悪夢であろう。
目の前でいきなり加速する短剣、躱したと思ったら浮遊してもう一度落下してくる短剣、それらが隠蔽の魔法によって極めて目で捉えづらくなっている。
しかも雷属性や火属性まで付与されているので、迂闊に剣で払うこともできない。
ほとんど抵抗らしい抵抗もできぬままに七人の刺客が斃れ、残るはわずかに二人のみとなった。
だが仲間の死をものともせず、無言のままに二人の刺客がエルロイに迫る。
所詮エルロイは子供、標的さえ倒せば目的は達成される。
「――――点火(イグニッション)」
閃光が走り弾丸が二人を貫いた。
「ぐばっ!!」
音速を超えたその衝撃が、まるで西瓜のように刺客の頭を木っ端みじんに吹き飛ばす。
「生憎俺が戦えないというわけではないよ?」
「――――すいません、いったい何をしたのかまるで見えませんでした」
「あれを避けるのは私でも不可能だぞ……」
接近すら許さずあっさり刺客を倒したエルロイを見て、ユズリハとガリエラが顔いろを青くしていた。
ただ者ではないと聞いてはいたが、まさかこれほどだとは思わなかった。
一流の戦士である彼女たちは、もしエルロイと戦うことがあれば、今の一撃を避けることができないと判断しりつ然とした。
だからといって絶対に勝てないというわけではない。
一流の戦士は大抵人に見せることのない奥の手というものを持っている。
それを加味してもエルロイは恐るべき敵たりえた。
ようやく王女に依頼された護衛という立場で捉えていたエルロイに対する認識が二人のなかで変わろうとしている。
種明かしをすればなんのことはない。
魔法の力で銃の構造を再現しただけである。
火炎(ファイアボール)ではその爆発の力は拡散してしまう。
爆発の力を一点に集中させ弾丸発射の際の摩擦を極限まで下げると、音速を超える弾丸が発射されるというわけである。
しかも本物の銃と違い、銃の構造まで魔力で代用できるので傍目には丸腰に見えるというのもポイントだ。
子供と思って迂闊に接近して返り討ちにあった刺客の数は二十や三十ではきかない。
「さて、日が暮れる前にもう少し進んでおきましょう」
この程度はなんでもない、と修羅場に慣れたユズリハとガリエラが引くほどの笑顔でユイが言った。
風が心なしか冷たくなり始めている。
野営の準備をするにしても、死体の傍はいつ魔物を引き寄せるかわかってものではない。
ユイの言葉に一行は慌ただしく馬を走らせることに決めた。
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