第2話 神秘

 秘密結社、黄金の夜明け団。

 オカルティストの集団であり、魔術などと言う非科学的なものを扱う現代とは逆向の技術結社である。

 

「エドワード……彼が黄金の夜明け団の一員である可能性もあるが」

 

 椅子に深く腰掛けこめかみに右手を当てながら考え込んでいる様子であったが、女性の声が直ぐ近くから聞こえる。

 

「ドクター」

「……レディ、何故私の研究室に居るのかね?」

「あんな危なっかしい場所に私を一人置いていくつもりだったの!?」

 

 現在のロンドンは正しく犯罪都市と呼んでしまっても相違ない。至る所で事件が起こっている。

 

「君は売春婦だろう? 男に襲われてこそ本領を発揮すると言うものだ」

「襲われると言う意味が違って聞こえてくるのだけれど」

「……お得意のおまじないでもしていれば助かるだろう」

「それよりだったら貴方の近くにいた方がマシね」

 

 シェリーは研究室内にあった木製の椅子に腰掛ける。

 

「これって……アール・ヌーヴォー?」

「始まりは10年前だったね。娼婦の君が家具の知識もあるとは……」

「と言うか、ドクターはお金持ちだったのね……それもそうよね、ポンと10ポンドも出せるのだから」

 

 シェリーの胸中は悔しさが六割ほどを占めていた。アール・ヌーヴォーの家具は大量生産とは縁遠く、職人の手作りによって完成する美術品のようなものである。造形は東洋を感じさせる流線的デザイン。

 そんなマスターピースとも成り得るアール・ヌーヴォー製品は機械的に生産された粗悪な物とは見た目の良さもさることながら、価格においても高値である。

 

「それで、今回の事は分かったのかしら?」

「何も分からんさ。強いて言うならば、初めから分かっていたウイルスの仕業ということくらいだ。それと鋏で弾丸を弾けることか」

「ウイルス?」

「……まあ、実際は仮説でしかないがね。特効薬を作れると言ったが定かではない。とは言え、誰かしらが作り出したウイルスのような物だろう」

「何で言い切れるの?」

「ここまで特徴的な変化を与える物が自然界にあるのかと言う話だ。私の知る範囲ではあるが人為的な手段でしか発生しないだろう。今宵の件は人狼などとは考えないことだ」

「そ、それはそうよ! だって彼は毛深くなかったもの!」

「……ふふ、そうだな」

 

 彼女の言葉を聞いてドクターは思わずと言った様子で笑ってしまった。

 

「ねえ、ドクター」

「うん?」

「黄金の夜明け団、って何かしら?」

「……詳しいことは分からないが。まあ、敢えて言うのであればオカルティストの集団だ」

「オカルティスト……さっきの男の子も言ってたわね」

「正直、彼はオカルティストの中では熱心な方ではないのかもしれないが」

 

 彼はふと立ち上がるとシェリーの側を通って壁際の近くにある食器棚に近づくと食器とポットを取り出した。

 

「レディ、紅茶は嗜むかね?」

「頂けるの?」

「ああ、セイロンのものだ」

「セイロンね」

 

 中国の茶葉が主流であった物の、ここ19世紀末では紅茶の茶葉となってはインドやセイロンの物が主流となっている。

 

「因みに私はビートン夫人のゴールデンルールには尊敬の念を抱いている。私は男で独り身だがね」

 

 お湯が沸騰するまでの時間をシェリーとの会話でつぶすことにする。

 

「私なら本を買う金を出すなら食事やコンドームにでもお金を出すわね」

「コンドーム? 何故、避妊具に?」

「馬鹿ね……。私とやる男が誰でもコンドームを持ってると思ってるの?」

「聞きたくなかったな」

 

 彼女なりのジョークではあったのかもしれないが聞いたところで気分の良い話ではない。

 

「ゴムができて良かったわよ、本当」

「……ゴムができたことに感謝しているのは売春婦が多いのだろうか」

 

 ドクターは何とも言えない顔で呟く。

 ドクターも医学に関して理解はある。避妊具の大切さも分かっている。性病の危険性も。特に性交渉で発症する梅毒の歴史は300年ほど前に遡り未だ完璧と言える治療法は確認されていない。

 水銀の治療は効果はあった物の副作用も酷く、ユソウボクの樹脂を利用した治療法は明確な効果が見られなかったのだ。

 

「所で君は性病になったことがあるのか?」

「無いわよ」

「────レディ・シェリー、君は本当に幸運だな」

 

 感心したのか、それとも呆れているのか。ドクターは短く息を吐いた。

 

「それ、褒めてる?」

「褒めているとも。とは言え、性病になる事を覚悟してその仕事をしているのだろうが」

「まあ……そうね。でも、金を貰ってもやらないと言うのは初めてよ」

「金さえ払えば手伝ってくれると思ったからだと言ったはずだ」

「そうだったわね」

 

 お湯が沸いたのを確認してゴールデンルールに従いドクターは紅茶を淹れる。慣れてしまった淹れ方は行動に染みつき、何をするべきかを空読みも出来るほどだ。

 彼は紅茶の淹れ方には自信を持っていた。

 残暑の季節ではあるが夜は冷える。

 

「レディ、紅茶を持ってきた」

「どうもありがとう」

 

 カップに口をつければ、彼女は顔を小さく歪めた。

 

「っぅ……! 熱いわね」

 

 シェリーは夏日の犬のように舌を出す様子を見たドクターは意地の悪い笑みを浮かべ。

 

「気をつけたまえ」

 

 と注意する。

 ドクターを横目で見ながら文句を零した。

 

「言うの遅いのよ……」

 

 窓の外は霧が深く、星が見えそうにも無い。ただただ暗く深く、ロンドンの街並みはボヤけて見える。

 

「────君は帰らなくて良いのかね?」

 

 ティーカップを持ち上げたシェリーにドクターが問いかける。

 

「ホワイトチャペルに?」

「……チャペルか。本当に迷える者が住み着いてしまったとは笑えない話だ」

「それにここ最近はよく事件も起きるのよ」

 

 何の事件のことかはよく分かっている。

 現在まで起こった物は四件。運が悪ければ今晩のシェリーの殺害により五件目となる所であった。

 

「まさか、朝まで残るつもりか?」

「まさか帰らせるつもり?」

「……いや、不安になるのも良く分かる。無理にとは言わないが」

 

 ホワイトチャペルの現状を考えれば彼女の判断を間違った物と断ずる事はドクターには出来なかった。

 

「助かるわ」

 

 シェリーは感謝を述べてティーカップに口付ける。

 

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