第107話 現れたものは…
始めは何らかの棒のように思えたそれは、やがて足だと判った。その頃にはすでに白い肌が露わになりつつあり、身体、そして頭と続く。まるでもったいつけるかのような速度で、その全身を露わにしていった。
「…足?悪魔…サキュバスかっ!?」
一瞬悪魔かと思ったが、ただの悪魔のようには見えなかった。外見は美しい少女、色白の肌を包み込むのは真っ黒でぴったりとしたボディスーツのような衣装。ただしそれは布面積が小さく、露出度が高めな上に体のラインを強調するようなデザインで、とても煽情的だ。きっと男を騙して精気を吸うという女悪魔、サキュバスに違いない。
身体全体が暗黒の球体から吐き出されると同時に、サキュバスは閉じていた目をゆっくりと開く。そのまま、切れ長の美しい瞳で、自分の身体が無事にこの世界に出現したことを確かめるかのように、自身の姿を確認した。
熱のこもったため息を一つ。その後、まるでこの世の全てを恨むかのような厳しい視線を俺とエリエルに叩きつけてくる。怒りのあまりか頬を紅潮させ、わなわなと震えているようにさえ見える。
蝙蝠のような…ヘッドバンド?にメガネ?をしているので若干コスプレのようにも見えるが…そもそもサイズがエリエルと同じくらいだから、キッて睨まれてもあんまり怖くないっていうか。
これなら俺ひとりで倒せそう?いやいや油断は禁物。ああ見えてとんでもない強さを誇るとかいう可能性もあるぞ。って、あれ?羽は…黒いけど天使の羽?悪魔って蝙蝠の羽だったりしないのか?サキュバスじゃなくて堕天使とかそういうの?でも尻尾の先がハート形だし…。
「…っ!?エリエル!ダメだ!独りで突っ込むな!」
しまった!考え過ぎたようだ。押し寄せる違和感の波に混乱して動けなくなった俺を見て、エリエルが突貫をかけてしまった。猛烈なスピードでサキュバスに飛んで行ったエリエルを後ろ姿で確認した時には、もう止められない距離まで接敵している。
くそっ!体当たりで隙を作って、自分を犠牲にしてでも俺を逃がす気か!?そんなの許せるわけがっ!
「レナちーん!!」
「許せるわけがっ・・・レナちーん?」
エリエルは一直線にぶちかましたかと思うと、そのままサキュバスに抱き着いた。おかしな雰囲気を感じ取って、警戒はしつつも様子を見ていると、サキュバスも特にエリエルに危害を加える様子はない。それどころか、慈愛の笑みを浮かべて泣きじゃくるエリエルの頭を軽く抱きしめている。
「・・・何これ?」
・・・
「初めまして、私は天使レナエル。転生者ルイを導くため、この世界に降下しました。今後ともよろしくお願いします」
「あ、はぁ。どうも」
しばらく二人で抱き合っていたが、俺の視線に気づいた瞬間にレナエルは笑みを消し、きりっとした表情でメガネに手を添えて自己紹介してきた。急な展開についていけないのと、突然初対面の知らない人?に話しかけられたのとで、こちらのリアクションは薄くなってしまったが。
あの登場シーンとその格好で天使?悪魔とかサキュバスとか堕天使とかじゃなくて?それにしてもレナエル…どっかで聞いたような。何か思い出せそうな、けど引っかかってて思い出せそうにない感じ。話題を振ることもできずにしばらく見つめ合っていたら、気まずい沈黙を破って横からエリエルが話し始めた。
「ぐすっ。えへへ。改めて紹介するね!この子はレナエル。前に話したでしょ?私の親友で、ルイが来た時に受付するはずだった天使だよ」
「あぁー、なるほど!思い出した!あの、トイレに行ってたっていう…」
(ビシッ!)
「わっ!?わわっ!?シーッ!馬鹿ルイ!!」
「……エリエル…話があります。とても大切なお話です…」
「あ、あわわ、あわわわァハハハハハハハ…」
何故か急にヒビが入ったメガネを片手で押さえつつ、ゴゴゴゴゴと音がしそうな圧を背負って、エリエルに迫るレナエル。恐怖、からの諦めを見事に体現するかのような乾いた笑い声を響かせるエリエル。
「転生者ルイ。また後ほど、会いましょう」
「え、やだ!?やだやだやだぁ~嫌ぁ~!!!」
「え?あ、はい、また」
エリエルはレナエルに首根っこを掴まれた瞬間、まるで死んだふりをしていたセミが子供につつかれたかのようにジタバタともがき始めた。けれど、抵抗もむなしくレナエルに引きずられ、黒い球体へと引きずり込まれて…消えて行った。
「・・・・・・・・転職済ませて、ギルドでも行くか」
女神の間に独り取り残されたけど、いつ帰ってくるか分からないのにぼうっと待ってるのも何だし。そのうち帰ってくるだろ。
…あ!トイレに行ってた「常識的な」天使って言っといた方が印象良かったのか?
・・・
教会での転職はあっさり終わった。シスターに声をかけたら、入り口付近の礼拝堂ですぐに儀式を行ってくれたのだ。心ばかりの寄付だけして、転職完了。杖を活かすという意味ではウィザードという選択肢もあったが、バルバラに教えてもらった各種神聖系魔法を活かせた方が良いだろうと考えてプリーストを選んだ。
教会を出て、街路樹が並ぶ小洒落た通りをギルド方面へ。昼にはまだ早い時間、カフェのテラス席で軽食をとる人々を横目に、屋台で買った揚げパンをかじりながら歩く。飲み物は同じ店で売っていた温かい紅茶だ。手持ちのカップに注いでもらったのだが香りがとても良かったので、量り売りされていた茶葉も多めにお買い上げしておいた。
本当は教会に来るまでに見つけておいたクレープの方が気になっていたのだが、エリエルが居ないあいだにスウィーツ的なものを食べたら面倒なことになりかねないし。なお揚げパンだって砂糖がかかってるし甘いお菓子じゃないかと言われたら、これはパンだ、朝食だ!と言い張る準備はできている。
少し涼しくなってきたこの時季に揚げたてのパンが温かくて、より一層美味しく感じる。ザックリかじると甘い香りが口一杯に広がる。うむ。じゅわアマだ。温かい紅茶を流し込むと口の中がさっぱりリセットされつつも、砂糖の甘さと紅茶の香りがふんわりと混じり合ってかすかに残る。そこに再度揚げパン…紅茶…揚げパン…この無限ループは色々とやばい!
(っと、あの建物かな?…おや?)
ちょうど1本食べ終わるタイミングで到着。無限ループの2本目を取り出そうとしていたので助かった。危ない危ない。
この街はギルドまでお洒落なようだ。どんな用途か分からないが正面に屋根付きのテラスが併設されている。入り口から丁度ぞろぞろと冒険者の集団が出てきたので、目立たないようフードを目深にかぶり直して道の端に寄る。
「まー、良いじゃないか、狼さん!」
「るっせえな、馴れ馴れしいんだよ手前ぇ!チッ、依頼なんか受けてる暇は無ぇってのによ…」
先頭の二人は狼獣人?一人は二足歩行の狼かってくらい獣成分多めだけど、もう一人は狼ミミがズレてるし、尻尾も曲がってるし、よく見たら腕輪してるってことは転生者だから狼のコスプレ?仲が良いんだか悪いんだか分からない感じの、不思議な二人組だ。
転生者の方が狼獣人と肩を組もうとして、嫌がられている。周りの冒険者たちは少し距離を取りながらも二人に付いていく様子だ。みんなでお出かけかな?
入れ替りでギルド内に入ると、利用者の姿は無くガランとしていた。先ほどの冒険者集団はギルド内の全員だったらしい。何だろうとは思うけど、人が少ないのは好都合だ。あの人たちが帰って来る前に用事を済ませてしまおう。
「すみませーん」
「わゎーっ!?あ、あぁー、すみません。みなさん全員依頼で出られたかと思ってましたー。何か御用ですか?」
「配達依頼をお願いしたいんですけど…何かあったんですか?」
フードを取って話しかけたら驚かれてしまった。のんびり口調の受付嬢に配達依頼がてら話を聞くと、王都方面の街道にオーガが出没してるらしい。
今しがた、ちょうど大規模な掃討作戦を開始するとかで、ギルドに居た冒険者総出で受注することになったそうな。ふむ、レヴィ達の予定変更はこれが原因かな?何でトルヴに戻ったのかまでは分からないけど。
ヌルのみんなへの手紙とお土産の配達依頼を済ませ、ギルドを出る。用事は一応済んだし、久しぶりに大きめの街に来たんだ。どっかお店でもぶらぶらして、何か楽しいお買い物でも…。
「お待たせしました、転生者ルイ」
「おー、ちょうど今、こっちの用事も済んだと…こ」
背中越しにレナエルの声がした。
振り返った俺の目の前に現れたのは、
…変わり果てたエリエルの姿だった。
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