第4章-4

 恵太は今頃、スマホの中身を確認しているだろうか。

エレベーターを下り、遥は屋上を見上げた。始めた時に描いたものとは、随分違う形になった幽霊生活もこれでお終いだ。見上げても恵太の姿はおろか、屋上の大部分が見えないことを知って、遥は歩き始めた。

恵太と連絡をとるただ一つの手段は唯のスマホだった。それを返した以上、会うこともないだろう。遥は何度か鼻をすすり、今日までのことを思い返した。

 きっかけは、唯が去った後の席で見つけたスマートフォンだった。落とし主として現れるはずの唯を待っていたのに、一週間待ってもやって来なかった。カフェの店長に持ち主に心当たりがあると伝えると、休憩時間に中身を見て連絡先を調べるように言われた。悪い気もしたが、探しているかもしれない。連絡先だけ見て早く返してあげた方がいいと考え起動させたその画面の異様さに、遥は強烈な違和感を覚えた。吸い込まれるようにその異様さの元に触れた時、遥は全てを知った。

 すぐにあるべきところにスマホを返さねば。そんなことを考えながら、まだ残っていた午後の仕事時間を過ごす遥の前に、恵太が客として現れた。会話の内容から、恵太こそが自分の探している相手だという確信はすぐにもてた。スマホを返そうと近づいたところで、思いとどまる。恵太が、友人を連れていたからだ。渡す物の趣旨を考えると、一人の時に渡した方がいいだろう。タイミングを窺って、もし一人になるチャンスがなければやむを得ずスマホを返そう。そう考え、まずは機会を待った。そして見てしまう。店員として席に向かった時、恵太が「死にたい」と言い項垂れている姿を。

遥の中で、積もっていた何かが弾けたのはその時だった。唯という、他人を傷つけることを何よりも恐れた心優しい女の子。彼女の必死な戦いも知らず、軽々しく死にたいと口にした自分も恵太も、許容できるものではなかった。

唯によれば、恵太という名の彼から、唯の遺したそのスマホに電話がかかってくるのだという。それもどういうわけか、その番号は幽霊に繋がる番号だと伝わっているらしい。

遥に一つの閃きが降りた。唯の用意したこの設定に乗せ、自分を幽霊としてしまうのだ。そうすることで、過去の自分を殺してしまいたかった。生きているのか死んでいるのかも分からない日々を過ごしている自分には、幽霊という呼び名がお似合いだと思った。そう呼ばれることが、戒めになる気がした。

そしてもう一つの目的。恵太に、死にたいと言ったことを撤回させる。初めはそれだけだった。だが遥は恵太と過ごすうちに、それ意外の感情が生まれていることに気づいていた。恵太に、前を向かせたいと思った。唯の死因を探して奔走しながら、唯の考えが分からないと嘆き、唯も、自分すらも信じようとしない姿。その矛盾が、傷心の深さを感じさせた。

思えば、意地になっていたのかもしれないと、遥は長い息を吐く。幽霊として過去を捨てた自分は、今度こそ人を変えられる。そして、人は変われる。その可能性を信じたかったのかもしれない。

遥は、少し頬が緩むのを感じた。恵太はきっと、変わりつつあるのだろうということに気づいて。そして自分は、何一つ変われなかったのかもしれないと気づいて。

幽霊になると決めてからは、いくつか不安要素もあったが大方想定通りか、それ以上につつがなく進んだ。

まず、自分が自殺したという偽のニュース記事の画像を作っておいた。ネットで検索すると、作るためのツールは驚くほど簡単に見つけられた。そのデータを唯のスマホに移しておく。恵太と会う時は、唯のスマホだけを持っていくと決めていた。自分のスマホの中を見られ幽霊でないとバレたら、恵太と行動を共にするのは難しくなるだろうと考えた。

恵太から電話を受け、話を聞く。莉花という女の子にコンタクトを取りたいという恵太の希望は、唯のスマホを持つ遥には容易に叶えられるものだった。唯の姉と名乗り、莉花に連絡を取る。莉花には、遺族が勝手にスマホを調べたと知れると体裁が悪いので、連絡先を知った方法を人に聞かれても内密にして欲しいと伝えた。目的を達するまで、正体を知られる訳にはいかなかった。

桜町通りで唯の足取りを探したいと恵太が言い出した時、明確な計画は無かった。あの繁華街の中で、本当に行ったかどうかも分からない店を見つけることなど不可能に思えた。だからこそ、同行して現実を突きつけようと考えた。唯の痕跡を辿ることが困難だと分かれば、唯が死んだ現実を受け入れ次に進むことへ繋がる。それが、遥の考えの大半だった。

遥は今までのことを思い起こしながら、ふと足を止める。当てもなく歩いているつもりだったが、無意識に親近感のある景色を求めて学校の塀沿いに辿り着いていた。遥からすればゆかりの無い、唯が屋上から見下ろしていたという学校。高く白い壁で囲まれていて、中の様子は漏れてくる部活中らしい生徒の声から想像するしかない。

なるほど、と遥は思った。まだまだ、彼らは守られた世界に生きているのだろう。大人が思うより、当の本人たちも気づいていないほど、時に彼らの情報はバランスが悪いのだ。その気づきが、横にも縦にも店が連なる繁華街の中から、一軒の店に絞りこむという難題の突破口だった。

恵太は、桜町通りを過剰に警戒していた。もっとも、ドラッグや売春まがいの噂が過剰という話だ。実際に高校生が一人で大っぴらに歩いていたら、酔っ払いに絡まられるぐらいの面倒ごとや補導だってありえるだろうが。

恵太が警戒していた根拠は、全て学生たちの噂話によるもののようだった。であれば、唯も同じ認識だったのではないかと考えた。長い距離は歩かず入口に近ければ近いほど入りやすいだろう。桜町通りは途中で細かく枝分かれはあるものの、メインの通りは遥と恵太が通った一本道だ。細く暗い路地に入るよりも、明るく人が多い方を選ぶと想像した。後は、遥たちから見て入口になった側と、出口になった側のどちらから唯が入ったかだ。両方とも、最寄り駅からの距離は同じぐらい。条件として違うのは、ディミアンがある側がより開けた道に面しているということだろうか。恵太と一緒に入口に使った側は、一旦細い路地を通ってくる必要がある。危険と噂される通りに踏み入るには、開けている方が抵抗感が少ないのではないかと考えた。

とはいえ、唯がそこまで把握して入る場所を選んだかは分からない。遥からすれば、ママさんが唯のことを話し始めた時、人違いではないかと思ったほどだ。幽霊が想定していたのはせいぜい、唯の目撃情報に辿り着けるかどうかという程度で、唯が来た店そのものとは予想もしていなかった。

 結果的に、遥の選択は当たっていたということになる。ダメ元とは言え、少しでも確率を高くしようと想像力を働かせたのは、自分なりの良心の呵責だったのかもしれない。終始どっちつかずだった自分の優柔不断さに、遥は肩をすくめた。 

遥かが校舎を見上げながら歩いていると、自転車に乗る女性に無遠慮な視線を送られていることに気づいた。前から近づきすれ違っていくまで、訝し気な目で見てくる。学校を見て感傷に浸ることぐらい許されないのだろうか、と愚痴りたい気持ちを抑えて視線を校舎から外した。帰り方を考えるのも煩わしく、ひとまず大通りを目指して歩くことにした。

ディミアンに入った目的の本命は、恵太に考えを改めさせることだった。そのためには面倒な大人として説教も辞さない、という覚悟で臨んだつもりだった。景気づけに軽く口にしようと思ったアルコールが、必要以上に感情を煽ったのは否定できない。面倒な大人の役をするつもりが、本当に面倒な大人になってしまったと、あの後家に着いてから反省しきりだ。

恵太が唯の父親から真相を聞いたことで、自分の役目は終わったと思った。そんなものがあったのかも分からないが、もう、幽霊が恵太と関わる理由はなくなったのだ。遥が嫌悪していた、軽々しく死にたいと口にする恵太はもういない。あるのは、自分を薄情だと責め、唯を信じたくとも信じられないと苦しむ姿だ。それを救えるのは、唯と恵太自身に他ならないだろう。

スマホを返して詫び、幽霊は恵太の前から消える。死にたいと願っていた幽霊は過去のものにして、山岸遥として改めてやり直す。それが、遥が最後に選んだシナリオだった。

大きな通りを目指したことが功を奏してか、小さな商店の並びが見えた。ほとんどの店のシャッターが下りているが、本屋と帽子屋、和菓子屋が開いているのが分かる。どれを見ても、フサフサのはたきを持ったお年寄りが出てきそうな気がした。一生通りがかることがなかったはずの、町と町の隙間にある店に出会えたことが妙に愛おしく思える。遥は立ち止まり、和菓子屋に寄ってみることにした。恵太が、唯の願いを受け入れられるよう願いながら。

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