第4章-1
話し終えると、彰高はソファーの上で丸い背中をさらに丸め、疲れ切ったように顔を覆った。幽霊も、もう異を唱えることなく静かに唇を結んでいた。
「自殺じゃなかったんですね」
恵太はなんとか一言を発した。本当は、何を思えばいいのか分からない。唯が抱えていた苦しみに気づけなかったことを、悔いるべきなのだろうか。だが、あまりにも遅すぎた。悔やんだところで何も変えられないという徒労感が、何物にも勝っていた。
「私は、頬を張ってでも唯に生きろと言い続けるべきだった。それができなかった時点で、父親失格です。私が死なせたようなものだ」
彰高は顔を覆う指の隙間から、暗闇を覗き見るように床を見つめていた。額や頬に当たる指が、痛々しいほどに食い込んで見える。
「だから、自殺だなんて言ったんですか? 自分が死なせてしまったという責任を背負っていくために」
幽霊が遠慮がちな上目遣いで彰高を見据えた。どこか責めているような、刺々しい態度は影を潜めていた。
「その通りです。結果的に病死であっても、私がしようとしていたことは変わらない。許されてはならないんです」
その声は大きく震えていた。唯が死んだ直後の葬式でも、唯の死に様を話す時も見えなかった感情が、抑えきれずに体の震えに変わっているようだった。
「でも、それって間違いだと思います」
幽霊が力強く言った。
「私は正直、全て唯さんとお父さんの気持ちが理解できたわけじゃありません。でも、唯さんがお父さんに感謝していたのは確かなことだと思います」
諭すように、沈痛な面持ちの彰高から目を逸らさずに続けた。
「唯さんは、自分が死んだら遺された人が辛い思いをするからと言って、人との関係を断つほど優しい子だったんですよね」
恵太は、他のクラスメイトと話そうとしない唯の姿を思い出していた。唯の思いも知らず、苛立っていた自分がとてつもなく浅はかでくだらなく思えた。
「そんな優しい唯さんが、今のお父さんの姿を望むはずがないと思います」
幽霊が言い、視線を下げると言葉のない時間が訪れた。それぞれに、唯のことを考えていたのではないかと思う。沈黙を破ったのは彰高だった。
「ありがとう。少し、一人にさせてもらえますか」
わずかに頬が緩んだ。唯の父親らしい、知的さと穏やかさが宿っている気がする。恵太は幽霊と目を合わせ、この場を後にすることにした。体を起こしかけ、恵太は動きを止める。
「なんで、急に本当のことを教えてくれたんですか?」
「ああ、それはですね」
彰高が目を細める。
「最後の日に、唯が言っていました。一人だけ、本当のことを話そうか迷った人がいるから、もし訪ねて来たら全て教えてあげて欲しいと」
彰高が眼鏡をくいと持ち上げる。
「あの日の前日に会っていたということなら、間違いないでしょう。てっきり、友達のことを言っているのかと思っていたんですが、男の子だったとは」
彰高が心底意外そうに言うので、恵太は何か説明した方がいいか迷ったが彰高の言葉に遮られた。
「唯がお世話になりました。良かったら、また遊びに来てやって下さい」
束の間の迷いの後、恵太は言いかけた言葉を飲み込み「はい、また来ます」と頷いた。幽霊も一緒に会釈をして部屋を出た。
玄関ホールから外に出ると、忘れていた陽の明るさに目を細めた。慣れるまで手をかざした後、恵太は大きく伸びをして歩き始めた。
「唯のお父さん、元気になるといいな」
同意を求めて幽霊へ振り返った。幽霊は心ここにあらずといった様子で「そうだね」と、気のない相づちだけ返してくる。さすがに疲労感があるのだろうか。恵太は努めて軽く振る舞うことにした。そうしていないと、唯にしてやれなかったことへの後悔に押し潰されてしまう気がした。
「ありがとな、その、お父さんにいろいろ話してくれて。俺だったら何て言ったらいいか分かんなかったし」
「うん」
二人で並木道を歩いた。石畳の足先からも温められて、滲む汗を感じる。言葉を失くすと、葉っぱの緑色の匂いがして心地よかった。
「ねえ」
のどかな行進を破ったのは、幽霊の力ない声だった。
「聞かないの? 私が誰なのか」
「ああ、それ」
恵太は足を止めた。
「ま、案外悪いやつじゃないんじゃねーの」
自分で言って、どこかで聞いた台詞だと思う。恵太はすぐにその正体に納得した。莉花が自分を称した時と似ていたのだ。叶うのなら、もう何も聞かずに幽霊が言おうとしている重大な、恐らく後ろ暗い何かを許してしまいたかった。
「それじゃダメだよ」
幽霊は恵太の考えを見透かしたように否定した。端整な顔が、微かに苦く歪む。
「君は、全てを知るべきだから」
恵太は息を吐き、幽霊が語る全てとやらを受け入れることにした。そうするべきだと、本当は分かっていた。
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