第3章-14
恵太はベッドの上であぐらを掻き、自問自答した。結局竜海にも莉花にも、金曜日にあったことは話せなかった。二人が前を向き始めているのに、唯のことを持ち出すのは水を差す行為に思えたのだ。本当は自分も、一緒に進むべきなのだろうか。
「唯ちゃんを信じてあげて」
幽霊の声が蘇る。あれは一体どういう意味なのだろう。デタラメや悪意のある言葉にはどうしても思えなかった。
そしてもう一つ。唯の足取りを追うことで恵太が得た、消せない疑念。確かめるためにとる手段を、恵太は決めていた。
スマホを手に取り、幽霊の電話番号を見つめる。ほとんど考えることなく、勝手に手が動いていた。コール音が始まった後になって今更、思考が働き始める。もしも幽霊の、唯が自殺だという話が嘘だったとしたら。相手は全ての元凶なのかもしれない。こうして電話をかけることも、思惑通りの可能性だってあるのだ。今にも電話を切ろうかと迷いが生じた時、あの気だるげな声がした。
「もしもし」
反射的に耳にスマホを押し当てる。じっとりと耳元が湿っていることに気づいた。
「もしもし? どうしたの」
何も話し出せず、ただその声が耳を通り抜けていく。抑揚のない、まるで本当に感情を失った死人のような声。ママさんの店で声を荒げたのは、お酒のせいだったのだろうか。それも違う気がする。恵太には、今の抑揚のない声が作られたもののように思えた。
「なあ、教えてくれよ。あんたは一体何者なんだ」
ようやく出せたのは叶う可能性の低い、縋りつくような願いだった。
「何者ってどういうこと?」
「とぼけんなよ。莉花に聞いたんだよ。あんたから電話がかかってきたって。あんた前に言ったよな。テレパシーを使ったって。あれは嘘だったってことだろ」
「それがどうしたの?」
重く、揺らぎのない声。嘘である証拠を突きつけられたとは思えない態度。虚を突かれた恵太は、続けるべき言葉を見失っていた。ママさんの店で一瞬見せた、恵太への敵意が脳裏にちらつく。自然とスマホを握る手に力が入った。
「それよりも、大事なことがあるんじゃないの?」
恵太の予想に反して、拍子抜けするほど穏やかな口調が語りかけてくる。
「唯ちゃんが死んだ理由、まだ知りたいんでしょ? それを確かめる方が大事じゃない?」
「なんだよそれ、この間と言ってることが真逆だろ。答えなんて分からなくてもいいからとか言ってたクセに」
「言ったでしょ。キミに付きまとうのはムカつくからだって。キミがやりたいのが唯ちゃんの死の真相を確かめることなら、勝手にすればいいじゃない」
恵太は眩暈さえ起きそうな気がした。訳が分からない。ほんの三日前に言っていたことと、こうも主張が変わるものだろうか。あの時、幽霊が恵太に向かって声を荒げたのは、本当にただの酔いのせいだったとでも言うのだろうか。
「あれはどういう意味なんだよ。唯を信じろってのは」
「そのままよ。それは自分で考えることでしょ」
冷たく言い放たれた幽霊の言葉。恵太は声も出せず、唾液の塊を喉へ押し込む。唯を信じる。その言葉が頭の中で繰り返されるたび、恵太には全く違う思いがこみ上げていた。
ずっとしまっていた、胸の底にこびりついて消えない怖さ。誰でもいいから聞いて欲しいのに、誰にも言えなかったこと。
唯を信じろという幽霊に、恵太はなぜか背中を押されたような気がした。
「俺は、自分が信じられないんだよ」
張り付めた喉から、ようやく声を絞り出した。幽霊の返事があったかも定かではないが、恵太は続けた。
「唯が死んでも、悲しいのかも分からない。涙も出てこない。そんな薄情な奴なのに、好きだとか言えるわけないだろ。唯を信じる資格なんか、無いだろ」
一息に感情を吐き出した。電話口の向こうから、相づちの代わりに微かな息遣いを感じる。感情を押し殺しているような、震えを隠すような。
「そう」
ようやく短い感想。
「いろいろ考えてたのね」
恵太は話したことを後悔しそうになった。決して、いろいろでまとめられるほど簡単な感情のつもりではない。だがすぐに不満の矛先は自分へと変わった。こんな、得体の知れない相手に話す方がどうかしているのだと。
「私、コーヒーがすっごく好きだったの」
恵太は一瞬、自分が何か聞き間違いをしたのかと思った。
「でも、昔付き合った人がいて。その人がコーヒーを止めろってしつこく言うの。私、一時期不眠症気味だったことがあるんだけど、彼が言うにはコーヒーの飲みすぎが悪いんだって。私が飲もうとするとしつこく怒ってきて面倒だった」
幽霊は淡々と、ゆっくりと、自分の記憶をなぞるように続ける。恵太は幽霊の真意が分からないまま、その言葉を追った。
「それだけのせいじゃないけど、結局その彼とはダメになっちゃった。それは仕方ないんだけどね。厄介なことに、コーヒーが飲めなくなったの。飲もうとすると、彼の引きつった顔が浮かんできて。全然おいしくないから、結局飲むのやめちゃった」
「なんだよ、急に」
脈絡のない身の上話に、恵太は困惑した。弄ばれているのか、幽霊の気が触れたのかも分からない。幽霊は、そんな電話越しの戸惑いは一向に気にしない様子で続けた。
「意識していなくても、心の奥底で引っ掛かっているものがあるとね。人間はそれに簡単に縛られちゃうんだな、って思った昔の話よ」
分かるような分からないような、もどかしい感覚で恵太は前髪を握りこむ。
「何かないかな。トラウマとか自己暗示とか。恵太の中で、感情を抑えこむ理由になっているもの」
「そんなこと言われたってな」
どうやら幽霊が真剣らしいことは伝わってきた。だが突拍子もない内容に、恵太の頭は追いつくのでやっとだ。
「それも幽霊だから分かるのか?」
「さあね。幽霊だって神様じゃないし」
幽霊の余裕たっぷりな笑みが見える気がした。恵太は頭を掻き続けたが、それらしい考えは出てこない。大体、幽霊の話が恵太の疑問の答えになっているとは微塵も思えなかった。
「まあ、そう簡単に分かったら苦労しないよね。いいよ、またゆっくり考えてみて」
柔らかな声に我に返る。ムカつくと言い放った矢先のアドバイス。恵太は、また何を信じていいのか分からなくなりかける。
「幽霊、一つ頼みがある」
それでも、自分を支えている一つの予感を口にした。
「唯のお父さんに会いに行こうと思う」
答えはそこにある。唯の足跡を追ってきたことで、恵太が導き出した結論だった。これから言うのは、同時に幽霊の正体を暴くために仕掛ける罠。恵太は自分の考えを整理し、一度口を結んでから開く。
「幽霊も一緒に来てくれ」
恵太は頬の湿りを拭い、スマホを耳に押し付ける。予想では、幽霊は断るはずだ。
「分かった。もともと最後まで手伝うって約束してたもんね」
わずかな躊躇いもない、当然という意味合いすら含んでいそうな返答。玉になった冷たい汗が、一つ二つと恵太の頬を滑り落ちた。
「ああ」
恵太は生気のない返事をするのがやっとだった。幽霊が唯の行動パターンも把握している親族なら、行動に説明がつくのではないかと恵太は考えていた。親族なら、唯の父親と会うのは是が非でも避けるはず。それが恵太の用意した罠だった。
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