第3章-6

 恵太は授業が終わるたび、用もなく廊下を歩くようになった。校内で妙な噂が立たないように、できるだけ立ち止まらずに莉花の姿を探す。いくら恵太がいる階だけで百人以上の学生がいるとはいえ、莉花がトイレにでも教室を出れば容易に会えるはず。という恵太の考えは裏切られ、捜索初日の今日は見つけられなかった。通りすがりの一瞬だが、教室内にも莉花の姿は無かったように思う。学校を休んでいるとみて間違いなかった。

 莉花のことは一旦諦めて、恵太は帰ってから竜海に電話をした。唯と莉花の関係や、幽霊女のことを自分以外にも知っていて欲しかった。知って、全て投げ出してしまいそうな自分を突き動かしてほしかった。

一通り聞き終えた竜海は多くを語らなかったが、幽霊女に関しては「病んでるんじゃないか」と嫌悪感を示していた。自分と大よそ同じ感想を聞けたことに、恵太は安堵感を覚えた。

 電話を切り終えてから、次にすべきことに思いを巡らせる。恵太は思い立ち、電話を切ったばかりの竜海へ向け、付き合ってほしい所があるとメッセージを送った。場所の確認もなしに了解と返事。莉花や幽霊女とのやり取りと比べると、清々しいほどのシンプルさが貴重なことに思えた。

 翌日も莉花に会えないまま、放課後に竜海と合流した。そのまま校門から右手に出て壁沿いに歩き続ける。真裏まで抜けると交通量の多い、大きな道路に出るがその手前。開発が進んだ新しい道路側と対照的な、灰色のビルが並ぶ。どれも似たような作りで、手狭なベランダから所々すだれが垂れ、シャツなどの洗濯物がかけっぱなしになっていた。もう何十年も止まっている気さえする景色の中を、印刷屋の看板を目印に路地へ入る。恐らく、ここまでは莉花が話していた通りに進むことができていた。

 険しい顔で空を睨む恵太の後ろを、竜海はポケットに手を突っ込み、ノシノシ音が鳴りそうな緩慢さで付いてくる。『なんだか分からないけど付き合ってやるか』と心の声が聞こえてきそうだ。

恵太は空に向かって手をかざしたが、目を凝らした甲斐はなかった。

「なあ、お前も探してくれよ」

「せめて何探してるのか教えてくれたらな」

 竜海は目標物も知らないのに、恵太と同じくビルの上に向け目を細め出した。調子が良すぎて、つい雑に扱いたくなってしまう。結局、何を探しているか伝えるより先に目的の物を見つけることとなった。

「あった」

 風に振られる風見鶏、を目印に目的地はもう一つ先。赤茶色のマンションの入り口が姿を現す。

「誰の家だ?」

 素朴な竜海の疑問に、恵太はようやく答えることにした。

「唯がいつも、サボりに来てたところだってさ」

 歩みを止めず、マンションの中に入ろうとしたところだった。想定外の物に面食らい、立ち尽くす。数字が並ぶパネルに、インターフォン。開く様子のない自動ドア。

「マジかよ、入れねえじゃん」

「唯から聞いてたんじゃないのか?」

 返事の代わりに舌打ちが出た。オートロックのことどころか、マンションの存在自体唯からは知らされていないのだ。

 お手上げムードの沈黙を、機械音が破った。無防備な背中側から表れた音に、恵太の心臓が跳ねる。一目で宅配便業者と分かるユニフォーム姿の男が、小包みを抱えて入って来た。帽子の脇から跳ねた茶髪が若さを連想させる。恵太たちが場所を空け渡すと、貼り付けてある伝票を見ながら、荒い手つきで番号を押し始めた。急いでいるのか、まだ出ぬ配達相手を急かすように小刻みに体を揺らしている。恵太が空になった頭のまま見つめていると、男の横目と視線がぶつかった。二度、三度と鬱陶しそうな目線が送られてきて、慌てて他所を見た。客観的に見れば、自分たちの存在が不審なのは明らかだ。恵太は一旦作戦を立て直そうと、一歩後ろへ足を引く。

「おいおい、マジでカギ無いのかよ」

 竜海が不自然なまでに声を張り、恵太の注意を引いた。無表情のまま、意味ありげに目線は離さない。その意図に気づき、恵太も出しうる一番自然なセリフを意識した。

「そうなんだよ、家の中に置いて来たみたいだ。マジで最悪」

「マジかー、そりゃ最悪だな」

 宅配便の男は二人が立ち尽くす理由に納得したのか、インターフォンに視線を戻した。番号ボタンの横にかけたままの手が、トントンと手持ち無沙汰を埋めるべく動いている。

 何とか自分たちがいる正当性を確保したと思ったのもつかの間、コール音と空白が繰り返される。時間が経つほど、疑念が再び顔を出すのではないかと焦りが募る。無言でいることが重圧に思えた。

「くそー。弟が取ったんだな」

「あー、お前の弟すぐそういうことするよな」

 苦し紛れの小芝居に、竜海の合いの手が差し伸べられた。恵太はどうにかして、架空の弟のイメージを手繰り寄せた。

「弟の部屋のエロ本、キッチンに置いておいたからきっと腹いせだなー」

 我ながら漫画のような兄弟像だと思った。竜海も同じことを思ったのか、上がる口角を隠すように顔を伏せた。

「マジかー、それはやりすぎだぞ」

 声が上ずっている。恵太もつられて笑いそうになってきた。ギュッと瞬きをしてにやけ顔をこらえていると、インターフォンの呼び出し音が女の声に変わった。宅配の男と短いやりとりをして、オートロックのドアが開けられる。ガッツポーズをこらえて後を追おうとしたが、男の予想外の動きに阻まれた。開いた自動ドアを一歩超えたところで、くるりと恵太たちの方を振り返ってきた。進めず戻れず、身動きが取れない。正面から対峙しただけで、浅黒い配達員に威圧感が生まれた気がした。

「君らの演技さー、棒すぎ」

 気だるそうに耳を指で掻きながら、男が言い放つ。調子に乗りすぎたことの後悔と、弁明のセリフを考えなければという思いで頭がいっぱいになった。何も浮かばなくて、逃げ出したくなる。

「君らって、あの女の子の仲間?」

「えっと」

 唯の顔がよぎったが、肯定していいものか分からない。

「すげーよな、高校生っしょ? そんで堂々と学校サボって酒飲んでるとか、君らかっけえよ」

「酒?」

 思わず口を挟んだ。唯のことを言っているに違いないのに、その単語は見当外れとしか思えなかった。

「そう酒。酒が最強に羨ましいんだよな。こっちは仕事中なのに、あんな昼間っからほろ酔いで歩かれたらたまんないよ。やべ、考えたら飲みたくなってきた」

 舌なめずりの代わりのように、男は手を口元に当てにやついた。

「つーか、入るんなら早く入れよ。お客さん待たせてるんだから」

 男は親指を立て、その背後に向ける。恵太は戸惑いながらも、後ろの竜海の気配を確かめながら足早に自動ドアの境界線を越えた。男は二人の様子を振り返ることもせず、一階の廊下へと進んでいった。

 エレベーターを見つけ上向きの矢印を押すと、恵太と竜海は壁にもたれずにはいられなかった。

「なんか分かんねえけど焦った」

 恵太が率直な感想を漏らすと、竜海もごつい体を伸ばし、解放感を噛みしめているようだった。

「あいつ、結構やるな」

 竜海が溜め込んだ息を吐き出す。

「どっちが? 唯? 宅配便?」

「どっちがって……両方だな」

「確かに」

 エレベーターが降りてくる音とともに重くなった体を起こし、二人でも窮屈な箱の中に流れ込んだ。わざわざ他人に見つかる危険を冒し、オートロックのドアを突破して溜まり場にするとは。恵太は、唯の考えは常人では届かないところにあると、改めて思い知らされた気がした。

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