第2章-3
あまり喫茶店というものに縁がない恵太は、ファミレスの倍近くするドリンクに戸惑いながらもコーラを注文した。唯なら、見慣れない名前のジュースや紅茶にするんだろう。唯ではなく向かいに座る竜海は、飲み慣れないコーヒーを頼んでみると息巻いている。
竜海から飯でも行こうと声をかけられた時は、自分でも想像していないほど身が軽くなった気がした。竜海と二人で会うのはいつ以来だろうか、と思い出すと唯にすっぽかされたカラオケが最後だった。唯が死んだと知ってから最初の土曜日の今日に至るまで。何を考えても唯に辿り着くので、唯のことを考えないのは無理だという結論に恵太は達していた。
気を紛らわせるように周囲に目をやる。店内の壁紙はほとんど水色で統一されていた。恵太たちが座る席も、台は薄い木目調だが椅子の淵の木製部分は水色で塗装されている。頭上にはテーブル毎に笠が着いたランプが吊るされており、優しい黄色で照らされる。竜海が指定した喫茶店だが、恵太は自分たちには不相応なのではと不安になった。
禁煙席と喫煙席は完全に別れているので喫煙席がどのぐらいの広さか分からないが、禁煙席はテーブルが八つある。恵太たちの他には大学生ぐらいに見える女の二人組と、夫婦らしい五十代ぐらいの男女がいるだけだった。見えるところに店員の姿がない。竜海が喫煙席との間にあるカウンターへ呼びかけると、若い茶髪の女店員がやって来て、テーブルの上のベルを鳴らしていいと笑顔で言う。恵太と竜海はなんとか取り繕って注文を終えることに成功したが、店員が去った後に急激な気恥ずかしさに見舞われた。
「なんでこの店なんだよ」
まだ後ろ姿のある店員に聞こえないよう、恵太は控えめに尋ねた。
「一度来てみたいって前から思ってたんだよ」
「違うだろ」
竜海の答えに、恵太は異を唱えた。外食といえば牛丼かラーメンかハンバーガーが持論の男が、そんな動機には辿り着かないだろう。竜海が選んだ理由は、恵太には明らかだった。ここは、唯がよく話していたお気に入りの喫茶店だ。
「唯が来てた喫茶店だからだろ。どうでもいい嘘つくなよ」
「そりゃそうだ。意味ない嘘だな」
「だからなんで、唯が来てた店に来るんだよ」
恵太と竜海が小さくもめていると、店員がドリンクを運んできたので二人とも会話を止めた。竜海がテーブルの脇に置いてあった小瓶を取り、蓋の中を見る。茶色い砂糖を難しそうな顔で眺めてから元の場所に戻し、ブラックのままのコーヒーを啜っている。
「親に聞いたんだよ。誰かが死んだとき、どうやって気持ちを落ち着かせるんだってな。そしたら、その人が好きだった場所を巡ってみたらどうだ、だと。そうしてると、なんか頭の中が整理されていくんだってよ。よく分からん理屈だけど」
「お前、結構落ち込んでるんだな」
恵太が意外そうに正直な感想を呟くと、竜海はわざとらしくこけるような仕草をして恵太を見た。
「そりゃそうだろ。お前ほどじゃないけどな」
「俺? 落ち込んでるか?」
「だいぶ。返信の遅さだけでも今までと違うって分かるぞ」
「お前、なんかキャッチャー系男子っていうよりオカンって感じだな」
ようやく二人は少し笑えた。竜海がコーヒーを飲んでいる姿の似合わなさも、恵太には可笑しさに拍車をかけて感じられた。
「なあ、やっぱり唯が死ぬ理由に心当たりないのか?」
葬儀後にも一度した質問だが、恵太は確かめずにいられなかった。
「ああ、全くない」
竜海の答えには、一度目と同じく迷いがなかった。恐らく、竜海も何度も反芻して出した結論に違いないのだろう。恵太としては予想していた答えとはいえ、残念なような安心したような、複雑な気分だった。
「むしろ恵太が知らないなら、誰にも分かりようがないんじゃないか」
「いや」
言いかけて、恵太は続きを飲み込んだ。唯が遊園地で言っていた『大切な人』のことを言おうとしたが、唯が秘密にしていたかもしれないと思うと気が引けた。
「いや、もしかしたら学校の連中とか、探せば一人ぐらい何か知ってる奴が出てくるかもしれないだろ。お前の周りで何か聞かないか? また変な噂レベルとかでも、なんでもいい」
なんとか不自然じゃないように言い繕った。竜海は疑問に感じる様子はなく、知っている情報を絞り出そうと頭を捻らせている。しばらく考えてから、口を開いた。
「すまん、あんまりいい噂じゃなきゃ聞いたが」
また身勝手な噂をしている奴らがいるのか。恵太は自分で聞いておきながら、唾でも吐きつけてやりたい気になってくる。顔には出さないよう、頷いて続きを促した。
「と言っても、くだらなさすぎて何の参考にもならないと思うがな。唯がその、ヤバイ連中とつるんでて、それで殺されたんじゃないかって噂だ」
「マジでくだらないな。小学生が作った話か?」
恵太は鼻で笑ったが、竜海は真顔のままだった。
「それが一応、根拠はあるらしくてな。桜町通りで夜にフラフラ歩き回ってるのを見たヤツがいるんだと。まともに歩けてなくて、クスリでもやってるんじゃないかって」
桜町通りというロケーションが唐突すぎて、漫画の話にさえ思えた。平和に暮らしている高校生には無縁の歓楽街だ。クスリという安直な登場人物。ここまでくると噂というよりも、デマ以外の何でもないだろうと呆れたくなる。
「そんな話、信じるやついるか?」
笑って同意してくれる竜海を期待したが、曖昧な言葉が返ってくるだけだった。まことしやかな話として竜海に届いたことは、恵太にも想像できた。
「結局何も分からないってことだな」
恵太はうなだれ、授業中のように机に突っ伏した。
「なんかもう、死にたくなってくるな」
「おい」
竜海が肩を揺すり、周りを見るよう目で訴えてくる。構わず、揺すられるまま居直った。
「こちら、試作品のサービスです」
頭上からするウェイトレスの声に驚き、恵太は渋々体を起こした。テーブルの上に並べられた小皿に、一口サイズにカットされたムースが乗っている。
「ほら、生きてりゃいいことあるだろ」
竜海は添えられたティースプーンを手に取り、恵太にも食べるよう促した。
「こんなんで喜べねえっての」
「なあ恵太」
「なんだよ」
竜海の改まった声に顔を向ける。
「死ぬなよ」
「は?」
「今の恵太に死にたいとか言われると、ガチっぽいんだよ。唯が死んでそりゃヘコむだろうけど、暗すぎて心配になるわ」
「マジでとるなよ。唯が死んだからって、俺が後追って死ぬようなことあるわけないだろ」
竜海はティースプーンにムースを乗せると、味わう様子もなく一口で飲み込んだ。
「唯が死んだのもよく分からないんだぞ。俺からすりゃ、恵太が突然死んでも不思議じゃないって考えるんだよ」
「お前の方が暗いよ」
吐き捨てるように言ったが、竜海の言うことが真っ当なのは分かる。自分の考えよりも反発した態度になってしまった気がして、恵太は口ごもった。
「そうだな、確かに俺が暗いのかもな」
意図せず竜海が苦笑いし、視線を外した。恵太はムースを必要以上に細かく切って食べ沈黙をごまかしていたが、すぐに無くなってしまった。
「ところでお前、どっちがタイプ?」
竜海が前かがみになり、耳元で聞いてくる。
「なんのことだよ」
「ここの店員のことだろ、当然」
店員に気づかれないようにするためか、竜海は顔は動かさず、目線だけでカウンターの方へ注目を促す。カウンターは禁煙席エリアを出てすぐのところにあるが、二人のいる位置からではトイレへ向かう通路があって見えない。
「見えねえ。つーかどっちって誰のことだよ」
「さっき顔見ただろ。最初に来た茶髪の子も、デザート持ってきてくれた眼鏡の子も二人とも可愛いぞ」
さっきまでの神妙な顔つきはどこへやら、竜海は楽しげに横目でカウンターに注目している。店員が出入りするときに、姿が見えないか窺っているらしい。恵太は店員の顔を思い出そうとはしてみたが全く印象がなかった。
反応が物足りないのか、竜海は恵太の肩を叩き、無理やり会話に参加するよう促した。
「俺が言いたいのはな。世の中にはまだたくさんいいことがあって、かわいい子もいるってことだ」
ようやく竜海の意図したところが分かった。竜海なりに、明るい方へ話題を向けたかったらしい。
「そういう話な。下手くそなんだよ、竜海は」
「ああ、悪かったな下手くそで」
竜海が肩をすくめ、自嘲気味に笑った。恵太も同調し、「悪いな」と今できる精いっぱいの謝辞を告げた。竜海が手のひらを見せ「気にすんな」と頷く。
恵太は、竜海の親が教えてくれたという『死んだ人の好きだった場所へ行く』という視点で再度店内を見渡す。唯が好んだのは、この店の淡い色調なのだろうか。それとも、気に入ったメニューでもあったのか。メニュー表を見てみても、見当もつかない。分かるのは、高校生の小遣いで常連になるには、かなりハードルが高い値段設定ということぐらいだ。バイトをしていたという話は聞いたことがないが、父親が大学の准教授だとやはり金にも困らないのだろうか。恵太はそんな思いを、竜海にぽつりぽつりと話し始めた。こんな無駄話が、『思いを整理する』ということになるのだろうか。分からなくとも唯についての話が尽きることはなく、恵太はそれが心地いい気がした。
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