第1章-7

「三時すぎたね」

 唯がスマホと睨み合いながら、せわしなく指を画面に当てる。何度か小気味良く画面を叩くと、スマホから垂れ下がった小指大の赤いピエロが揺れる。唯のスマホは、白いプラケースと赤い服のピエロの組み合わせがお決まりになっていた。

「来ないパターン、可能性高いかもな」

 内心、相手が来なければいいと期待していた恵太は安堵した。入口の自動ドアが頻回に開いては、スーツ姿の男や、ご婦人達のお茶会といった顔ぶれが入ってくる。昼時を過ぎているとはいえ、駅前のファミレスは見渡せるうちの半分以上の席が埋まっていた。会計をしていくグループもあるが、定期的に新しい入店者が現れる。恵太はそのたびに入口を見つめ、同世代の女が現れないことを祈った。

「すっぽかし? 確かに、今のところ遅れるとも連絡ないけど……もうちょっと待ってみようよ」

 そう言いながらも半ば観念したように、唯がスマホから顔を上げた。恵太とは対照的に、心から残念がっているようだ。

竹内からの依頼通り、唯はヘイトロッカのファンサイトに入会し、ファンの一人と今日の約束までこぎつけてしまっていた。何の義理も恩恵もない校内新聞の記事のためにここまで動く、唯の動機が恵太には理解できなかった。結局、恵太は唯について何も知ることができていない。カラオケに来なかった日のことや、暗い顔をしている時のことを聞いても、

『家の用事を頼まれちゃって』

『考え事ぐらいすることあるよ』

と言ってカラっと笑う。恵太にはそれが真実のようには思えなかった。唯の指に絡まったピエロが、嘲笑っているように見える。

 来客を知らせるチャイムが鳴り、恵太はもはや無意識に入口へ視線を向かわせる。物思いが消え去ったのは、目に留まった姿が探し人の条件そのままだったからだ。茶髪が肩にかかった黒光りするレザージャケットを羽織り、下に黄色いシャツ。自分のスタイルを見せつけるような出で立ちの、恐らく女子高生。だが、主張の強い服装とは違い、表情はあたりを見回して落ち着かない。恵太と唯は声をかけるべきか迷い、視線を交わせ合った。待ち合わせの相手である確証が無い。唯がなぜか小声になって「連絡してみる」とスマホに目を落としたところを恵太は制した。レザージャケットのポケットから、スマホを取り出したのが見えたからだ。恵太が人違いであることを願う間もなく、唯のスマホの着信音が響いた。



 赤いリップが映える口からストローを離すと、氷が崩れて音を立てた。と名乗った彼女は、席についてからの短い間に最初の一杯を飲み干してしまったようだ。白い指の先、恨めしそうにストローを弾いた爪も赤。細身のスタイルと輪郭から受ける華奢な印象を、チークの明るさが和らげている。恵太は初めの二、三言以外は口を開かず、二人の会話の聞き役に徹していた。

「ウチの学校に新聞部なんかあったんだ」

 それが彼女の最初に漏らした感想だった。新聞部と名乗った恵太を前にして、悪びれる様子もない。

「ごめんね。どうしても、会って話を聞きたくて」

「ホント、フツーに言ってくれたらこんな気合い入れなかったんだけど」

 首を斜めにし、莉花が自分の服を指して言う。唯は申し訳なさそうに言葉を変え、同じような詫びを繰り返した。その内容から、唯は新聞部の取材ではなくファンを装って会おうともちかけたらしい、と恵太は察した。

「ま、いいよどうせ暇だし。それに、ヘイロのことをカッコよく紹介してくれるんならアリかも」

「うん、頑張ってみる」

 恵太は黙ったまま、唯に抗議の視線を送る。俺は手伝わないぞ、と固く誓った。

「えっと、まずヘイトロッカってどんなバンドなのかな?」

 その質問を皮切りに、徐々に鼻息を荒くする莉花の独演会が始まった。ヘイトロッカ、通称はヘイロだそうだ。莉花が中学二年生の頃に聞き始めたことから始まり、ほとんど全ての曲を作っていたアキトというメンバーが死んだことまで触れていく。特にアキトの話に入ると、唯の相槌が追い付かないほどの勢いだった。

「私が一番好きなアキトはね、ライブで歌う前の時。ファンの皆に話しかけてくれるんだけど、それがヤバいの。なんていうかね……」

「ロマンチックな感じ?」

 唯の補足に莉花は頭を捻らせる。楽し気に指でトントンリズムを刻みながら、言葉を探していた。

「そうじゃなくて、あー、なんて言うんだろ」

「エロい感じ?」

 唯の突飛な答えに、恵太は咳き込みそうになる。恵太の動揺をかき消すように、莉花が手を叩いた。

「そう! すごいね、分かってるじゃん!」

 マジかよ、と恵太は口先だけ動かした。

「ロックは通常、男性のセクシュアリティと攻撃性を含んでいる」

 唐突に呟く唯に、恵太と莉花の注目が集まる。

「あ、えっと、ロックとは何かって一応調べて来たの。そしたら昔誰かが、そんなことを言ったんだって。だからエロいのかなって思ったの」

「へー、やるじゃんそいつ。昔の人の割には、できる人だったんだね」

 能天気に笑う莉花を横目に、恵太は半ば呆れていた。唯の一貫した研究心に気が滅入る。ロックが何かを調べるため、図書館を奔走する姿が目に浮かんだ。

「てか、そんなこと調べてきたの?」

 遅れて、莉花が瞬きを繰り返す。頷く唯を見て、改めて驚きの声を大きくした。

「そんなの、考えながら音楽聞くやついないって」

「でも、ロックってどんなのか全然知らなかったから。勉強した方がいいかなって思って」

 莉花は珍しいもののようにひとしきり唯の顔を眺めると、耐えきれないといわんばかりに声に出して笑った。

「ロックが何かとか? 別にそんなのどうでもいいんじゃない? なんていうか、スカっとしてカッコいいから聞くんじゃん。好きなことなんて、気軽で自由だからいいんだって」

「自由、か」

 唯は噛みしめるように呟いた後、「それもそうかも」と言って口の端を上げた。

「絶対そうだよ」

 莉花の言葉に後押しされたのか、唯は小さく笑った。

 始めのぎこちなさが薄れ、テンポのよい会話が続く。恵太は次第に気を緩めていき、耳だけ向けて会話を追っていた。弛緩していた流れが急に変わったのは、唯が本題の後追い自殺の件に触れた時だ。

「後追い自殺なんかまだあると思ってんの? あんなの頭おかしい奴が勝手にやってるだけでしょ。ほんと止めてしいんだけど」

 莉花は途端に顔をしかめ、一息で言い切った。

自殺者が三年続いたことに関しては、ファンの間で知らない者はない常識だそうだ。ただ、なぜ三年経っても自殺者が出るのか、その理由は分からないと莉花は話した。

「私だって、アキトが死んだ時はもう生きてる意味ないって思ったけどさ。しょうがないじゃん、そんな簡単に死ねないし」

 肩にかかった茶髪を指で遊ばせて莉花は言った。

「もう、今は死にたいって思わない?」

 唯が躊躇なく踏み込むので、恵太は慌てて気を張ることになる。その心配をよそに、莉花はそれまでと変わらない様子で続けた。

「まー、生きててつまんないし、とは思うけどね。でも死ぬのもめんどくさいじゃん。しかも、それならアキトが死んだ時に死ねって話だよね。タイミング逃したって感じかな。ウケる」

 生き死にの話とは思えない軽さで莉花は手を叩き、一人で笑った。恵太は不慣れな愛想笑いをしておいた。

莉花の隣に目を移したところで、恵太は思わず前かがみになった。唯の顔が、見過ごせないほど青ざめて見えたのだ。手を口に当て俯く姿が、絶叫を無理やり押し込めているようにすら感じる。

「唯、どうした。大丈夫か?」

 たまらず恵太は声をかけた。唯はハッと正気に戻ったような顔で、「ちょっと眩暈、かな? もう大丈夫だから」と取り繕った。

「大丈夫じゃなさそうだよ。顔色おかしいもん」

 莉花は俯く唯に顔を近づけて覗き込むと、背中をさすり始めた。それまで気ままに話していたのが嘘のように、莉花は真顔で唯の体調を案じた。

「スマホ、触る元気ある? 私のⅠDあげるから続きは調子がいい時にしなよ」

「いいのか?」

 予想外の提案に、恵太は正直に疑問を口にした。初対面でしかも騙された相手だというのに、莉花は心配そうに唯を見つめたままだ。

「まあね。私、意外と悪い奴じゃないし」

 自分で言ってのけるとは思わず、恵太は同じ感想をもちながらも曖昧に返した。その反応が不本意だったのか、莉花は「私もヘイロの話するの、楽しかったんだよ」と付け加え笑った。

「ごめんなさい、せっかく来てもらったのに」

 青ざめたままの唯の、消え入りそうな声。唯なら無理にでも続けると言い兼ねないと思ったが。その心配をする余地もないほど生気の尽きた声だった。

恵太と莉花は代わる代わる病院へ行くように声をかけたが、唯が頑なに「眩暈がしただけ」「もう大丈夫」と繰り返すので、最後は根負けした格好になった。確かに、そうこう言い合ううちに唯の顔色は血色を取り戻してきたようにみえる。

結局、インタビューは日を改める、病院へは行かないということで三人は合意した。

「最後にもう一つだけ、聞いてもいいかな」

 連絡先も交換し合い、後は席を立つだけというところで唯が二人を呼び止める。諦めが悪いぐらいの方が唯らしい気がして、恵太は妙に安心した。莉花も拒否することなく、帰り支度のためにバッグへ伸ばしかけた手を止め唯を見据えた。

「後追い自殺は、まだ続くと思う?」

「さあ?」

 間髪入れずに莉花が声を漏らす。後追い自殺の話はよほど煩わしいのかもしれない。一度はやり過ごそうとした様子だったが、肩をすくめて付け加えた。

「知らないけど、普通に考えたらもう死なないんじゃない? 今更死ぬの、意味分かんないじゃん」

 もっともな意見だと恵太は感じた。竹内はもっとオカルトの臭いやセンセーショナルな話を期待したのかもしれないが、莉花の言っていることはヘイトロッカのファンでなくとも抱く感想の範囲内だ。記事にするには収穫などほとんどないような結果になったが、恵太にはどうでもよかった。あわよくば、唯が頑なに作る他人への壁を、莉花が打ち壊してくれるのではという期待の方が勝っている。

「そうだよね」

 唯が繕って笑ってみせる。恵太は、確かにある胸騒ぎのような感覚に顔をしかめた。唯に抱く、また何かを押し隠されたのではないかという疑念。全て、気のせいでありますように。唯が繰り返す、体調が悪いだけだという名目に縋りたかった。

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