47

 ここに到着し一番最初に興奮したのを覚えている。山奥に聳えるたった一つの人口建造物。外観に削ぐ合わないゴブリンの噴水。逃げる者を阻むかのように囲んだ塀。


 クローズドサークルミステリーを象徴する館。これがコレクションの中に含まれないはずがなかった。


「一番大金を積んで買ったのがこの不知火館だった。そして、最後に買ったコレクションでもあった」


 つまり、長澤さんが父親から臓器売買を迫られた発端。人ではなくとも憎悪を向ける塊であり、復讐の対象としてこれ以上の理由は要らないだろう。


 父親が最後に買った館。後にそれを諸星謙一郎が買い、そしてミステリーイベントを開いた。大輔はこのイベントをネットで見つけたと言っていた。長澤さんも同じように見つけたとしたら、一体どんな気持ちだっただろう。


「父のコレクションだった館で殺人事件。そしてイベントを開いた諸星謙一郎。同種の人間を陥れ、尚且つ父のコレクションを汚せる。まさに一石二鳥、いいえ十鳥の価値があるわ。まさに僥倖。そんな僥倖を手放すわけがない!」


 願ってもないチャンス。きっと長澤さんにはそう映ったのだろう。躊躇うことなく諸星謙一郎に近付いたと付け加えた。父親のコレクションの一つを見せたら同じ様に飛び付き、タダで譲る代わりにこのイベントに参加させてくれと言ったら二つ返事で了承した、と。


「小野さんともそこで知り合ったのか」

「ええ。程度が低いながらも、小野さんも同じように収集する嗜好があった。標的になるのは当然よ」

「東郷要は? あいつもミステリー好きの収集家だったのか?」


 人は見掛けに寄らないとは言うが、東郷要という人物はどうもミステリー愛好者とは思えない印象を持っていた。どちらかというと……。


「今だから言うけど、東郷要はミステリー愛好者じゃない。ただの盗人、ドロボーよ」

「盗人?」

「空き巣、強盗、スリ。盗みを生業とした犯罪者よ。あの展示室には数千万円という値が付く本物の品がたしかにあるの。東郷要はそれを盗みにここに来た」

「盗みに来た、って……ここのイベントは抽選だったんじゃ?」

「本物の犯罪者がいた方がより盛り上がるだろ、だって」


 イベントに犯罪者を招く。いくらミステリー愛好者といえど、ここまで手を加えるその意志はもはや病気だ。


 今回の参加者も諸星謙一郎の意向で選ばれたというが、一席だけは空白だったらしい。そこに大輔が本当にランダムから勝ち取ったらしい。


「じゃあ、東郷要が犠牲になったのは本当に犯罪者だからか?」


 そう言った大輔の言葉に僕は納得した。バラバラ殺人なんて何の罪も犯してない一般人にする行為ではない。犯罪者だからこそきっと標的に――。


「えっ? 違うわよ」

「違うの?」

「もっと至極単純な理由よ。

「えっ……いや……はい?」


 もう何度目だろう。聞いた言葉が理解出来ずに脳がフリーズするのは。特に難しい言葉を使っているわけでも外国語を使っているわけでもない。小学生でも分かる基礎的な日本語だ。でも、僕の脳はエラーを引き起こしていた。


「ぶつかったから? そんな理由で本当に殺したのか?」

「おかしい? 生意気な口を利いた、って理由で事件が起きる世の中よ。そんな珍しくもないでしょ」

「じゃあ、あの時ぶつからなかったら誰を殺すつもりだったんだ?」

「白井君」


 朝礼で名前を呼ばれて返事をするように、反射行動のように長澤さんは僕の名前を出した。ごく自然に。一考の隙もなく。


 自分が標的だった。バラバラ死体を僕が演じていた。その未来がすぐ目の前まで訪れていた。自分が死んでいたかもしれない。これ以上のない衝撃。けど、怖じけてもおかしくないのに何故かまるで反応が出なかった。

   

 幾度となく起きた脳のフリーズ、非現実的な長澤さんの人生。受け止めきれる容量を超え、理解を投げ捨て、事実を浴びるだけの身動一つしないただの人形と化していた。


「何で雄吉?」

「一緒に館を回ってミステリーについて語ってる時、本気で反吐が出そうだった。トリックだの時間軸の盲点だの聞きもしない興味もない事をつらつらと。殺したいと今にも動き出そうとする自分の体を抑えるのに必死だった」

「それにしちゃ雄吉と会話が途切れなかったよな?」

「ミステリー愛好者としてここに来ているわけだし、油断させるためにも弾むようにしなくちゃダメでしょ」

「俺には楽しそうに見えたけど?」

「楽しいわけないじゃない。耳障りな雑音で不快極まりなかったわ」

「へー」

「これで事件の全貌はほぼ全部伝えたわ。何か質問あるかしら?」


 犯人の告白。まさにミステリー終盤の展開。これで“不知火館の殺人”という物語は幕を終える。


「質問というか、まだ答えを聞いてないんだけど」

「何の答え?」

?」


 もう一度、さっき大輔がした同じ質問を長澤さんにぶつける。


「愛唯ちゃんの過去は分かった。どういう流れで事件が起きたのかも分かった。けどごめん、俺にはそんなことどうでもいい」

「ど、どうでもいい?」

「うん。まっっったく興味ない。なんか愛唯ちゃんの過去ストーリーが始まってぶっちゃけ『えっ? 何この流れ? 聞かなきゃいけない感じ?』ってずっと思ってた」


 サァァァ、風が揺れた。とても冷たい風が。


「この館で事件が起きた。愛唯ちゃんが犯人と認めた。はい終了。一件落着。なのに何でアナザーストーリーが始まるんだ?」

「いや、犯人の告白だぞ。事件の全貌だぞ。誰だって聞きたいし興味出るだろ。それに、長澤さんの過去を聞いてお前は何とも思わなかったのか?」

「思いはした。けど、それについて投げ掛ける言葉はない」


 しちゃいけない、だって? 話を聞いていたのか? 苦しい思いをした相手に寄り添うことも優しい言葉を掛けることもしないというのか。


「それはいくらなんでも冷たすぎないか。境遇を考えたら同情するべきだし、それに――」

「同情? はっ。一番最低な言葉だな」

「最低、だって?」


 信じ難い台詞が飛んできた。学校の大輔は友達も多く、大きな信頼を得ている男だ。悪口の噂も聞かず、男女問わず別け隔てなく交流している。そんな大輔から同情は最低な言葉、と口から出た。


「いいか、雄吉。同情ってのはな、その相手と同じ立場にあって初めて成り立つんだよ。いじめを受けたらいじめを受けた事のある奴しか苦しさは分からない。片親と暮らしている家族がいるなら楽しみや辛さもまた同様。それ以外の人間には理解なんて出来やしない」

「そんなことないだろ。相手の立場を思ったら理解は出来るはずだ」

「無理。不可能」

「何でそんな頑なに」

「じゃあ聞く。雄吉の父親はお前の臓器を売ろうとしたことがあるのか?」

「あるわけないだろ」

「なら、どうして愛唯ちゃんの気持ちが分かる?」

「それは自分が同じ状況だったらというイメージすれば……」

「そのイメージは?」

「出来――」


 てる、と最後まで続かなかった。


 愛唯ちゃんの経験は僕の想像を遥かに超えている。そう、想像を遥かに超えているのだ。自分の親から迫られる恐怖。家庭が崩壊していく苦しみ。全て僕の経験にはない。経験がない以上、イメージでしかその時の感情を描けない。


「イメージが悪いとは言わない。けど、イメージは所詮イメージでしかない。経験のない人間には自分の都合のいいようにしか出来ない。なぜなら経験がないから。足を骨折した、でも骨折したことがなければ痛みのイメージは転んだ時の何倍とか、そういうやり方でしか表せない。それは本当に理解したと言えるのか?」


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る