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小野さんの事件は僕的にはまだ完全には納得出来ない部分もあるが、犯人と名指しされた長澤さんは特にこれ以上の反論をしてなかった。当の本人が何も言わないのであれば傍らの僕は口を出せない。大輔には続けて話をしてもらう。今度は草薙さんの事件だ。
「草薙さんは自分が犯人だとバレたから殺した。至極単純」
「つまり口封じ、ね。ということは、草薙さんは私が犯人と決定付ける何かを得ていたということね」
「そういうことだね」
何を得ていたのだろうか、草薙さんは。僕は夜中、草薙さんと一緒に東郷要のバラバラ死体を調べた。けど、手掛りという手掛りはなかった。むしろ、未だにバラバラにした理由が分からないままだ。
「それじゃあ、萩原君は何を根拠に私が犯人だと結びついたの?」
「バラバラ死体。いや、バラバラ死体が出た後の愛唯ちゃんの行動が、かな」
「行動? どんな?」
「食堂で紅茶を飲んでる時の姿」
食堂? 紅茶? ああ、部屋を出た後に食堂に集まって皆で落ち着くために紅茶を飲んだ事を話しているのか。姿というと、怯えて震えていたという記憶がある。
「めっちゃ腕震えてカップ持ててなかっただろ、愛唯ちゃん」
「当然だろ。死体が目の前にあって落ち着けという方が無理だ」
「それが愛唯ちゃんが東郷要を殺した証明になるんだよ」
「いや、何も証明になってないよ。きちんと説明しろ」
「説明……う〜ん、う〜ん?」
頭を左右に振って唸る大輔。数秒後、口を開いた。
「俺のじいちゃん家、農家なんだよ」
何の話!? どういう経緯で大輔の祖父の話が出てくるの!?
「じいちゃん家って昔ながらの家でさ。機械で収穫はしないし米は釜で炊いて、風呂は五右衛門風呂だぜ? まあ、またそれが気持ちいいんだけど」
「いや、大輔。一体何の話を――」
「ただ面倒くさいのが、風呂沸かすのに薪を割らなくちゃならないんだよ。これが重労働でさ、その日使う分だけじゃなくて前もって補充しとかなくちゃいけないんだよ。理由は雨が降った日は割れないから。そりゃそうだよな。雨ん中やったら湿っちまう」
「大輔。お前のじいさんの家の話なんて今要らないだろ。話を戻せ」
だが、大輔は構わず話を続けた。
「んで、じいちゃんの口癖が『働かざる者食うべからず』。小学生の身で結構こき使われたんだわ。俺の仕事は薪割り。斧を何度も振り下ろして何十本も割ったんだよ。その日はもう握力なくなって茶碗持ちづらくて食いにくくてもう面倒臭い――」
「――大輔、いい加減に!」
「似てると思わないか? 食堂の愛唯ちゃんの姿と」
説教しようとしたが、急に話が戻って怒鳴るタイミングを逃してしまった。しかも今の話と長澤さんが似てると言う。もう理解が追い付かない。
「な、何が?」
「俺の姿と愛唯ちゃんの姿がだよ」
「どの辺がだよ」
「俺が茶碗を持てなかったのは薪割りで何度も斧を振って握力がなくなったから。愛唯ちゃんがコーヒーカップを持てなかったのは東郷要を斧でバラバラにして握力がなくなったから」
一瞬思考が停止したものの、大輔の台詞が追い付いて理解できた。
腕や手を酷使し疲労した筋力低下による震え。使用している物も同じ斧。対象が違うだけで内容はほぼ一致している。そう言っているのだ。
無関係な話をしていると思いきや、ちゃんと説明として成り立つための必要不可欠な話だった。結果的に感服していいかもだが、せめて前置きぐらいは欲しかった。
だが、今の説明には矛盾がある。
「たしかに握力がなくなれば物はそう簡単に持てない。でも、三十分も休憩すればカップを持てるぐらいの力は戻る」
「三十分も休憩出来てたらな」
「なんだよそれ。まるで休んでない言い草じゃないか」
「そりゃそうだろ。朝まで斧を振ってたんだから」
「何だって!?」
「たぶん、俺らが部屋に来るギリギリまで作業してたんじゃないか」
「何でそんなことが言える」
「俺らが部屋に入った時、血は完全に固まってなかったじゃん。血の中に寝てた愛唯ちゃんの髪はベタベタにはなっててもくっついてはいなかった。たまにじいちゃん家の近所で山で捕れたイノシシとかシカの解体見たりするんだけど、解体されたばかりの部位の血って中々乾かないんだよ」
血液凝固。体外に出た血液は量や室温といった環境に左右されるが、平均して約二時間〜五時間で固まると言われている。それも放置している場合だ。何らかの手が加わっていればそれだけ固まる時間も遅くなる。
バラバラ死体を発見したあの部屋の血は大輔の言う通り完全に固まってはいなかった。つまり、バラバラにされてからそう時間が経っていないことを意味している。
「あと、鉈じゃなく斧が使われたのも証明になるな」
「鉈?」
「展示室にあったろ。凶器の展示室に」
「あった。でも鉈がどういう……」
「何で持ちやすい鉈を選ばずに重い斧を選んだんだ、って俺ずっと疑問だったんだよ。解体なら鉈で十分出来るのに。わざわざ斧を選んだのは力のない愛唯ちゃんが解体出来る唯一の武器だったんだろ。小学生の俺が薪割り出来たように」
斧たった一つからここまでの情報が掘り出される。ホンの欠片の手掛りから次々と犯人への道標となっていく、僕がこれまで読み耽っていたミステリー小説のように。しかも、その探偵役を演じているのはミステリーとは無縁のあの大輔だ。
何の変哲もない光景。何の変哲もない仕草。ミステリーでいう伏線回収という実演が眼の前で繰り広げられている。
最初は長澤さんが犯人と信じられずにいた自分が、今はその伏線回収の虜になり長澤さんへの疑心が湧き上がっていた。
「というわけで、俺は愛唯ちゃんが犯人と思ってるわけだけど、愛唯ちゃんは何かある?」
「そうね。たしかに今までの指摘はポイントを捉えていると思うわ。私が犯人という理由付けのね」
振られた長澤さんは先程の微笑みから変わらず、淡々と答えている。
「でも、忘れてもらっては困る事が一つだけあるわ。とっても大事な、ね。それは証拠よ」
証拠。ミステリーで最も重要であり、証拠なくしてミステリーという物語は終われない。
「今の萩原君の推理はあくまで方法と手段による導きだけど、私が犯人という決定的な証拠にはならないわ。非力だから斧を選んだというなら他の人にも全然当て嵌まるし、血が固まってないのなら犯人が乾くギリギリで眠る私を運んだ可能性もあるし、カップが持てなかった理由付けもあくまで状況証拠。外堀は埋められたけど、まだ穴だらけのジグソーパズル。私というピースが嵌まらない」
そうだ。条件で言うなら誰にでも犯行は可能。長澤さんのみではない。僕にでさえ当て嵌まる。決定的な証拠がない。そして、その証拠が存在するのは東郷要のバラバラ死体だ。
ミステリーにおいてバラバラ殺人は典型的、そして王道的殺人方法だ。残酷で目を背けたくなる殺害方法であるが、それと同時に犯人を導く出発点になることも多い。なぜなら、犯人が死体をバラバラにするのは証拠を消すためだからだ。
揉み合った時に付けられた爪の肉片を隠すため。絞殺に使用したネクタイから自分の犯行と裏付ける殺害方法を誤魔化すため。現場に落ちた自分の血を被害者の血でカモフラージュするため。つまり証拠が必ず存在する。
しかし、その証拠がいまだ見つからない。何のために犯人が、長澤さんが死体をバラバラにしたのか。その謎が今も宙ぶらりんのままなのだ。
「何故死体をバラバラにしたのか。白井君が草薙さんと調べても分からなかった謎。そしてここにいる全員が悩ませているその謎を萩原君、あなたは解けるというの?」
「うん。解けてるよ」
「でしょうね――えっ?」
「は?」
さらっと流れるように答えたので呆気に取られた僕と長澤さん。そして、誰よりも驚いているのが長澤さんだ。
「だ、大輔。本当にお前はあの謎が解けたのか?」
「ああ」
「バラバラにした理由がお前には分かる、と?」
「分かる」
「そ、それは何だ?」
僕が必死に考えても解けなかったあの謎が、今ここで明かされる。固唾を飲み、期待の眼差しで大輔に詰め寄る。
「理由は……」
「理由は……」
「ない」
「……は?」
「理由はない」
「……」
よし、深呼吸しよう。焦ってはだめだ。ゆっくり息を吸って、吐いて……うん、落ち着いた。
「もう一度確認したいんだが、お前はたしかにバラバラ殺人の謎を解いたと言ったよな」
「言った」
「あのバラバラ殺人にちゃんと意味があるんだよな」
「ある」
「その意味は?」
「ない」
ある、ない、ある、ない……いかん、落ち着いたはずがまた頭が混乱してきた。
「頭を悩ませてるな、雄吉。普段、お前にミステリー話を聞かされる俺の気持ちがようやく分かったか」
「大輔、真面目に答えてくれ」
「俺は至って真面目だ。というか、忘れたのか雄吉」
「何をだよ」
「草薙さんの台詞だよ。お前が俺に言ったんだろ」
草薙さんの台詞……。
『意味はない。だからこそ意味がある』
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