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食堂に戻ると再び全員席に付き、事の経緯を説明してくれた。長澤さんと小野さんが食堂を出てからの経緯を。
逃げる小野さんを長澤さんは懸命に追い掛けた。館の入口で一度追い付き、格闘になった。包丁を振り回し腕や顔にかすりはしたものの、致命打となる一撃は与えられなかったらしい。その様子を他の皆が目撃している。
かろうじて逃げ出せた小野さんは扉を開けて外に。それを追おうとする長澤さんを止めようとしたところ……。
『邪魔するならあなた達も容赦しない!』
敵意剥き出しで荒谷さん達にも包丁を向け、とても割り込めそうになかったそうだ。逃げる小野さんを追い掛ける長澤さんに、それでも止めなくてはと距離を保ちながら追随した。
小野さんは外に出ると東の塔の方へ向かい、必死に助けの声を上げ続けていた。あの大人しい彼からは想像も付かない叫び声。庭中に響き渡っていたようだ。
「本当の恐怖に陥った人間の本質を垣間見た気がしたな」
東の塔に着くまで小野さんと長澤さんの攻防は続いた。追い付いては包丁を振り回し、それを避ける。まるで映画のワンシーンを観ているかのようだったと話す。
「ヘタなB級映画より迫力あったな〜。いや、ガチの闘いだから迫力はあって当たり前だけどね〜」
のほほんと話す中嶋さん。本当に映画の回想をするかのように話している。
塔に逃げた小野さんは再び長澤さんと激しく争った。包丁を振り回し、円のスペースをグルグルと回っていたらしい。
「ず〜っと半時計回りで追い掛けてたわ。もっと左右に動いたりするのかと思ったけど、そのスペースの形に合わせて一定方向にしか動けないのね」
その時の様子を語る山中さん。“逃げる”、“追う”しか頭にないから方向云々は考えられなかったのかもしれない。遊びの鬼ごっことは訳が違う。死と隣り合わせなのだから。
数秒の格闘の末、長澤さんが一瞬バランスを崩して床に倒れたそうだ。その隙を見て小野さんは螺旋階段を登り始め、三野瀬さんが長澤さんを抑えようとした。しかし、暴れる長澤さんが三野瀬さんの腕に噛み付いた。
「普通噛み付く? 幸い血が出る程じゃなかったけど、傷跡残るようだったらさすがにショックよ」
腕を擦りながら三野瀬さんが愚痴る。今でもその腕には歯型らしき痕が残っていた。
螺旋階段を登る小野さんを当然長澤さんも追う。カンカン、という踏み板を蹴る二人分の音が鳴り響いた。
「でも途中で妙な音が聞こえたわ。なんかこう、バチ? みたいな音が」
記憶を呼び覚ますように斜め上を見ながら占部さんが話す。
「そのすぐ後じゃな。悲鳴が聞こえたと思ったらその数秒後に上から何かが落ちてきた。小野さんじゃった」
ふ〜、と深い溜息を付きながら荒谷さんが続けた。気付いた時にはもう遅く、小野さんの体は床に叩きつけられ、骨の折れる音や肉の衝撃音が混ざった音が塔の中を反響したらしい。
「即死じゃったろ。首があり得ん方向に曲がっとったからな」
「そしてその十秒ぐらいして白井君と萩原君が姿を現した」
以上が僕があの光景を目にするまでの流れだ。つまり、小野さんは螺旋階段を踏み外したことによる転落死だった。
「じゃあ長澤さんは……」
「うむ。彼女は罪を犯してない」
長澤さんは殺人を犯していない。それを知った僕は安堵の息を吐いた。心の底から安堵していた。小野さんには悪いが、転落死という事故に終わって幸いだ。
当の彼女は今は食堂にいない。長澤さんは中央広場の噴水の所に一人でいる。
復讐を果たさなかった無念なのか、それとも殺人をしなくてよかった安堵なのか、どちらとも取れない表情をしていた。『一人にして欲しい』と告げてそれからずっとだ。
長澤さんの姿は見えない。今、彼女はどんな事を思っているのだろう。
「いや〜、でもなんか拍子抜けしたな〜」
伸びをしながら中嶋さんがぼやく。
「拍子抜け? 何が?」
「いやだってさ、イベント関係者が犯人って単純すぎない〜? 捻りがないっていうか〜」
「たしかに。物語としてもミステリーとしても物足りない感は否めんな」
「本当ならここから二転、三転はしないと面白くはないわね」
「まあ、これが現実と小説の違いということじゃろ。事実は小説より奇なりとは言うが、現実がそう複雑になることは滅多にあるまい」
何を言っているんだろう、この人達は。
つい数分前に犯人が誰かを追求し、そしてその犯人が眼の前で亡くなった。連続殺人という悲惨な状況を目の当たりにしていたはずなのに、落ち込むわけでも死者に弔いを向けるわけでもなく、まるで今読んだミステリー小説の評論会をしているようだった。
血を目撃し、バラバラにされ目から光が失われた死体。僕らは生涯遭遇しないはずの出来事を経験している。発狂して精神が壊れてもおかしくない程の経験だ。にも関わらずその兆候がある者はなく、むしろ和気あいあいとしている。
犯人がいなくなった。そこに安堵はしてもいい。だが、それにしても気が緩み過ぎではないだろうか。安全になったとはいえ、他にやることがあるはず。
そこで僕は失念していたことに気付いた。それは警察への連絡だ。犯人が判明した以上、直ぐにでも行動すべきだ、と。
僕がその事を伝えるとよろしく頼む、と荒谷さんから言われ、入口のカウンターにある電話へと向かった。そこに大輔が付いて来てくる。
一一○番なんて初めて電話したので最初は声が震えてしまった。何も悪い事はしていないはずなのになぜか緊張した。いや、殺人事件が起きても直ぐに連絡せず数日経ってからだから非はあるか。それでも相手の人は丁寧に対応してくれ、住所を伝えると場所が場所だけに三十分程で到着すると言われ、返事をすると電話を切った。
「三十分ぐらいで着くってさ」
「そうか。微妙な時間だな」
大輔の言うように、どちらとも言えない時間だった。この数日と比較すれば三十分は直ぐに思えるが、かといって直ぐにでも開放されたい心持ちのある中での三十分とでは天と地ほどの差がある。長く感じるのか、それとも短く感じるのか。僕の今の心境では後者だった。
「警察来るんなら愛唯ちゃん呼び戻した方が良いんじゃないか?」
「そうだな。呼んでこよう」
僕と大輔は入口のドアを開け、外に出た。顔に掛かる風が何処か生温かかった。
真っ直ぐ道を進むと長澤さんは噴水の前に立っていた。顔を見上げ、ゴブリンの像を見つめている。近付き声を数回掛けてようやく彼女はこちらに振り向いた。
「三十分後に警察が来るから食堂で待とう」
「……うん。分かった」
覇気のない返事。まだ彼女の中で整理が出来ていないのだろう、足取りも重い。僕は横に並ぶと何も言わず背中にそっと手を添えた。
「なあ、雄吉。質問していいか?」
入口に向かう途中、後ろから付いてくる大輔が尋ねてきた。
「後にしてくれ。それに後で警察が来るんだ。警察に言えばいい」
「いや、その前に確認したいことがあるんだよ」
「今じゃなきゃだめなのか?」
「今じゃなきゃだめだな」
正直、僕も疲れているので勘弁して欲しいのだがこの道中だけならと自分に言い聞かせ答えた。
「分かった。で、何だ?」
「なんか皆、小野さんが犯人みたいな空気になってるけどこの事件の犯人ってどうみても愛唯ちゃんだよね? 何で誰もそれ指摘しないの?」
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