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 時が止まったかのように、食堂は一瞬にして冷たい空気に包まれた。風の揺らぎも空気の震えもなく、呼吸の息すら止まっているのではと思うぐらい静かな時間が流れる。


 身動き一つ、瞬き一つ許されない状況。けど僕らは決して自分から動かず待たなければならない。犯人の小野さんが口を開くその時まで。誰が決めたわけでもない。けど、それが止まったこの時を動かすスイッチなのだ。


 そう。まさに犯人が判明したミステリーのクライマックスの如く、小野さんの――。


「へ……へっくしょい!」


 いや、大輔の豪快なくしゃみが場を盛り上げ――いや大輔お前何してくれとんじゃぁぁぁ!


 クライマックスの空気はホンの数秒で大輔のくしゃみで霧散した。


「小野さん、何か話すべきではないのかな? 否定するなら否定してよい。何かしら反応がなければ進まんじゃろ」


 荒谷さんの諭すような喋りに小野さんは一瞬体を震わした。顔を上げ、少し迷っているのか目線が泳いでいる。


 混乱しているのだろうか。それとも何を話せばいいのか整理が付いていないのか。口を開きかけては閉ざし、思考したと思えばまた口を開きかけ閉ざし、を繰り返していた。


 早く喋れ、とは誰も言わなかった。察しているのだ。小野さんの意思でまず口を開かなくてはならない、と。様子を見る限り小野さんは誤魔化すつもりはない。きちんと犯行を認め洗いざらい吐くと思われる。だから誰も急かさず待っているのだ。


 ただ一人を除いて……。


「話なんて要りません。あなたが犯人。それだけ分かれば十分です」


 長澤さんがきっぱりとそう告げると僕らは予想外の光景を目にした。なんと彼女は上着を捲ると腰から一本の包丁を取り出し小野さんに向けたのだ。


「ひぃ!?」

「長澤さん、何を!?」


 今にでも刺すかのように真っ直ぐ向けられ、小野さんは席から転げ落ちる。そして、誰もが長澤さんの行動に驚き自分の席から立ち上がっていた。


「言ったはずですよ。私は犯人を許さない」

「だからといってまさか殺すつもりじゃないだろ?」

「殺します」

「なんだと!?」


 殺害宣言。長澤さんははっきりと告げた。


「待て待て! なぜじゃ! 何故殺す必要がある!」

「何故? 血溜まりの中に放置。起きたら目の前にバラバラ死体。遺体の発見に利用された。これだけの仕打ちをされて説明が必要ですか?」


 真っ直ぐと包丁を向け小野さんを見下ろす長澤さん。口調は落ち着いていながらも目線は反らさず見据えている。本気の目だった。


 犯人を捕まえる。長澤さんはそう僕に協力を要請してきたが、ただそれだけではなかった。捕まえ殺す。それが目的だった。それほどに彼女は犯人への憎悪を抱えていたのだ。


「待て、落ち着くんだ。小野さんもまだ話をしていないじゃろ。何故こんな殺人を犯したのか我々は聞く立場でもある」

「要りませんよ。小野さんは諸星謙一郎の関係者。コレクションを盗もうとした東郷要を殺害。その恨みから遺体をバラバラにした。その犯行を知られた草柳さんも殺した。もう分かっているじゃないですか」

「本人の口から聞くことに意味があるだろ。殺す必要はない」


 そうだ。大輔のくしゃみで台無しになったが、皆小野さんが口を開くのを待っていたのだ。荒谷さんの言う通り、同じ館にいる者として僕らは小野さんの犯行の理由や経緯を知る権利がある。


「そんなもの聞くだけ時間の無駄です。犯人は……絶対に許さない!」

「ひっ、ひぃぃぃ!」


 逆手に持ち替えて腕を上げると、力の限り長澤さんは包丁を振り下ろした。間一髪で避けた小野さんだが、彼がいた床に包丁が深々と突き刺さっている。


「た、助けてぇぇぇ!」

「待て!」


 危険を感じた小野さんは食堂から逃走。長澤さんはその後を追う。悲鳴を上げながら逃げる小野さんの声が遠くなっていく。


「何ボーッ、と突っ立ってるんだ! 止めに行くぞ!」


 加賀山さんの怒声に僕らは我に還る。そうだ、長澤さんを止めないと。いくら憎いとはいえ彼女を殺人犯にしてはいけない。


 次々と食堂を出ていく皆に続こうと僕も動き出したが、バランスを崩して倒れてしまった。やけに動きづらいと思ったら自分がロープで体を縛られているのをすっかり忘れていた。


 くそっ! 早く止めに行かないと!


 立ち上がろうともがくも中々上手くいかない。腕を拘束されただけでこんなにも動きが制限されてしまうのか、とこんな状況で新たな知識を得ていた。


「何してんだ、お前?」

「大輔! ロープを解いてくれ!」


 床に寝る僕を呑気に見下ろす大輔。焦る僕とは裏腹にマイペースだ。


「勝手に解いていいのか? 拘束される条件だったろ?」

「今まで何を見てたんだ? 小野さんが犯人って判明したろ。もう僕が拘束される必要はない!」

「でも一応他の人に確認はした方がいいんじゃね?」

「居ないだろ! 全員長澤さん達を追ったんだから!」

「そうか。というと俺の判断が全てになるのか。後々文句言われても嫌だな。やっぱりこのまま――」

「いいから解けぇぇぇ!」


 大声で叫ぶとようやく大輔は僕のロープを解き始めた。


 状況を把握していないのか、こいつは? 一秒でも早く追いつかなくてはならないのに何を悠長に……いや、考えるのは後だ。直ぐに行かないと。


 拘束が解けた瞬間、僕も食堂を全力で出ていった。大輔も後に続く。


 入口に着くと耳を澄ませる。館内に物音がしない。となれば外だ。迷うことなくドアを押し開けた。


 外に出て僕は門へと向かうつもりだった。だが、おかしな点があった。扉は閉ざされたままだったのだ。


 館から出ていない? じゃあ何処に?


 キョロキョロと辺りを見渡すが人影はない。出遅れたせいで見失ってしまった。


「くそっ、すぐに追ってれば!」

「雄吉。向こうの方なんか気配なくね?」


 大輔に言われた方向に目を向けると、その先は“主人の間”がある東の塔がある方向だった。たしかに、人の気配がする。


「東の塔? 何で?」

「俺が知るわけないだろう」

「そうだったな。行ってみよう」


 僕と大輔は再び走り出した。


 塔に近付く連れて嫌な予感が強くなっていく。たった数秒の遅れだったが、その数秒が未来を大きく変えてしまう。数日この館で過ごして体感した。


 長澤さん……長澤さん……!


 どうかこの不安が的中していませんように。そう心から願った。


 塔に着くと入口のドアが半開きになっている。たしかに全員ここに来たようだ。しかも、その直ぐ側で集まっている気配も感じる。


 僕は着くなりドアを勢いよく開けた。


「来たか、白井君……」


 鞍瀬さんが力なく僕に声を掛けた。他の皆も何処か覇気がなく俯いている。いや、俯いているのではない。床の一点を見つめている。僕もその一点に目線を向けてみた。


 ああ……そんな……。


 中央に倒れているのは小野さんだった。体を捩らせた状態でピクリとも動かない。絶命しているのは明らかだった。


 僕は力なくその場に座り込んでしまう。間に合わなかったのだ。


「いや、少し違う。君が思っている結果ではない」


 絶望の中、鞍瀬さんが僕の心中を察したのか答えてきた。


「何が違うんですか」

「君は長澤さんが小野さんを刺し殺したと思っているんだろ?」

「だってそうとしか――」

「じゃあ包丁は何処だ? そして彼女は何処だ?」


 言われてみて確認すると、たしかに小野さんの体に包丁は刺されておらず、しかも血の痕跡がない。長澤さんの姿もない。


「長澤さんは?」

「ここよ」


 声が聞こえた。頭上から。長澤さんは螺旋階段をゆっくり降りてきていた。手に持つ包丁は綺麗なままで。


「えっ? あれ?」

「結論から言うとね、私は殺してない」

「殺してない?」

「うん。小野さんは事故死」

「じ、事故死?」


  

 

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