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 盲点だった。なぜそこの可能性に気付かなかったのだろう。


 東郷要が盗人であり、それが理由で殺害された。犯人はイベントの関係者。そこまで分かっていながらどうしてイベントそのものに目を向けなかったのだろう。僕らの本来の立ち位置をしっかり認識していれば辿り着けたはずだ。


「犯人はイベント関係者だけど、バラバラ殺人からでは辿り着けない。なら、イベントの方から切り出せばいい。至極単純な切り替えです」


 至極単純、と彼女は言うが事はそう簡単ではない。死体という非現実的な存在が目の前に現れ、尚且つその死体の捜査を行っていた。誰もが頭の中はその事件にしか目がいかず、イベントの問題に切り替えるなど普通なら思い付かない。


 でも、彼女はそれをやってのけた。無関係に見えた人形が実は真相へ近付く一番の道筋。長澤さんはそれを誰よりも早く気付いた。だから殺人事件の捜査の中、人形も調べていたのだ。


「何か異論はありますか? なければ先に進ます」


 誰もが黙ったままである。一瞥後、長澤さんが続きを開始した。


「では、イベントの事件から説明します。今回のイベントの問題は首吊り殺人事件。誰が犯人でどんなトリックを使ったのかを解決する。初日に説明を受けているので分かると思いますが、それがイベント内容です」

「でもあれってただ首を吊ってただけだろ? 愛唯ちゃんはなんか色々調べてたけど、何か分かったのか?」

「もちろん」


 自信を持って頷く長澤さん。堂々とした姿がまさに小説に出てくる探偵みたいで、今この場は彼女が主人公の物語として支配されていた。


「調べていない人もいるでしょうから詳しく説明します。あの人形には首に索条痕、爪には黒い物質が付着していました。吉川線はなく、奇麗に横一直線に痕がありましたが、これはおかしな点です」

「おかしいのか? 索条痕、って絞められた痕の事だろ? 普通じゃね?」

「吊されていなければね。横一直線はあり得ない」

「何で?」

「首に対する負荷の掛り方が斜めになるからよ。人間の首を支点にするなら体の大半はその下、つまり重量が下に集中する。となると、持ち上げようとするとロープは自ずと顎から頭に向かって斜めに延びるの。もし首に横一直線にするなら首と体が九十度に曲がって吊るされなければならない」


 これはミステリーあるあるだ。吊るされた遺体が発見され、まるで自殺をしたかのように見える状況でもこの索条痕の角度で他殺か自殺か判断できる。自分で吊った場合と他者によって吊るされた場合とでは明らかな違いがあるのだ。


「つまり、この人形はロープか何かで首を絞められて殺された後に吊るされたという事を意味してるの」

「なるほど。普段の雄吉より説明が丁寧だから分かり易い」


 おい、それどういう意味だ? 僕の説明が下手だと? お前の理解力が乏しいんだろ。というか、今ここで言う必要あったか?


「そして、この人形の状態から犯人が誰なのか絞り込めることが出来た」

「マジで? 誰なんだ?」

「慌てないで。ちゃんと説明するから」


 本題はここから。長澤さんがあの人形から導いた犯人の姿が露わになる。


「あの人形は“主人の間”で発見されました。部屋の中央に床から二十センチ程浮いた状態で吊るされ、ロープは窓に括り付けられていました。注目すべきはこの二十センチの意味です」


 二十センチ。どう重要なのだろうか。僕は聞き逃さないよう今まで以上に耳を研ぎ澄ませる。


「二十センチ。とても中途半端な高さと思いませんか? 首吊りをよりインパクトに演出するのであればもっと高い位置、あるいは自殺に見せ掛けるためであれば踏み台にした椅子と同じ高さにするはずです」


 たしかに聞く限りだと妙な位置だ。イメージの首吊り死体とはだいぶかけ離れている。


「では、なぜこんな中途半端な位置にあるのでしょうか。理由はたった一つ。犯人がその高さまでしか上げられなかったからです」

「上げられなかった?」

「萩原君と白井君は一緒にいたから分かると思うけど、あの人形見た目よりも重さがあったの」

「そうなの?」

「おそらく四十キロから五十キロはあったと思う」


 そんなに? 僕は触っていないからその判断は出来なかった。


「四十キロから五十キロか。結構な重さだな」

「そう、重いんです。だから。あの高さが限界だった」


 そうか。だからあんな中途半端な高さだったのか。犯人の非力さがイメージの高さまで届かなかった結果だったのだ。


「そして人形の爪にあった黒い付着物。黒の付着物と言ったら……もう答えは出ていますよね」

「鼻クソか」

「肉片だよ、大輔」


 死ぬ直前に鼻ほじる被害者とか聞いたことないわ。


「そう、肉片。つまり、犯人の肉片です。抵抗した痕です。となれば、犯人の体の何処かにその傷があるはずです」

「傷、って。本当にあるの? たかがイベントなんだからメイクとか何かじゃないの?」

「いいえ、あります。必ず」

「大した自信じゃな」

「人形を使ってまでリアルな死体を演出した諸星謙一郎が犯人の証拠となる傷はメイクで済ませると思いますか?」


 そう言われるとたしかに一理ある。リアルを追求したと明言した諸星謙一郎が最後にお粗末になるとは思えない。長澤さんの言うように、きっと犯人の体の何処かに本物の傷がある。


「絞殺となれば傷の位置は限られます。背後から絞められたでしょうから傷はあるとすれば顔、首、腕。その何処かです。顔と首は皆さん綺麗なままなので腕を見せてもらえますか?」


 長澤さんの指示に従い全員が上着の腕を捲くっていく。一人一人捲り終わると周りがそれを確認し、無い者は次の人間を確認。それを繰り返していくとただ一人の所で目線が止まった。


「どうしました? 腕を捲くってくれませんか?」


 長澤さんがその人の元に行きもう一度頼む。だが、その人は目線を下げたまま口を閉ざし動こうとしなかった。


 何も言わない。何もしない。しかし、それが雄弁に語っている。周りの視線も疑惑から確信の目に変わりその人を真っ直ぐ見つめている。


「もう一度言います。腕を捲くってください」

「……」

「腕を、捲くって、ください」

「……」

「……!」

「……っ!?」


 バッ、と長澤さんがその人の腕を掴むと持ち上げ、袖を肘まで引っ張った。目に飛び込んで来たのは斜めに入った三本の筋の傷。


「この傷、一体何の傷ですか? 答えてくれますか?」

「……っ!」

「答えられない。言い逃れ出来ない。なら認めてくれますね」


 腕を掴まれたまま犯人は悔しそうに下を向く。そして、長澤さんが犯人の名前を大きく口にした。


「東郷要、そして草柳隆を殺した犯人は

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