36
ついに草薙さんが辿り着いた真相に長澤さんも踏み入れた。有言実行。彼女は宣言した通り、自らの手で犯人を突き止めたのだ。
犯人が分かったなら善は急げだ。今すぐ皆を集めなければ。草薙さんの二の舞にするわけにはいかない。
「待って、白井君。もう少し聞きたいことがあるから」
しかし、部屋を飛び出そうとすると長澤さんに引き留められた。
「何を悠長な。長澤さんだって草薙さんの経緯は聞いてるだろ。今すぐに――」
「分かってる。でも、その前にもう二、三確認したいことがあるから」
僕は元いた場所に戻ると長澤さんがすぐに質問してきた。
「まず最初の事件。私の部屋でバラバラ死体が発見された流れなんだけど、食堂には皆集まってたんだよね?」
「うん、朝食を取りに。何人かは何も食べずにいたりしたけど」
大輔は大量の朝食、僕はコーヒー一杯で済ましていた。
「そこで食堂にあるスピーカーから私の声が聞こえたんだよね」
「時間はたしか……八時五十一分だった」
誰かが時報だとか発言して、中途半端な時間だという会話があったのを覚えている。
「白井君を始めとして皆私の部屋に向かった。一番に着いたのも白井君。最後に来たのが誰かは分かる?」
「ごめん、それは分からない」
あの時は長澤さんの安否が第一だったので、一分でも早く彼女の元に行くことだけを考えていたのだから。
「それから白井君が私の肩を揺さぶって声を掛けてるのに気付いた。いつ部屋に入ったのか分からなかったわ。たぶん、意識が飛んでたんだと思う」
「仕方ないよ。あんな状況じゃ」
「一番聞きたいのはそこなの。私の意識が飛んでた間の事」
「いいよ。僕の知る限りのことなら」
「まず部屋の鍵なんだけど、鍵は掛かってた?」
「うん、掛かってたよ。フロントにある合鍵を使って開けたんだ」
「そうなんだ。私、寝る前にちゃんと部屋の鍵を掛けたのにどうやって入ったんだろ、って思ってたの。ドアが壊された形跡もなかったし」
なるほど、と納得する長澤さん。最初はドアを破ろうとしていたが、人の体当たり程度で壊れやしないと話し合っていた記憶も伝える。
「体当たり、か。たしかに、木製でも頑丈そうだもんね」
「もしやってたらドアが壊れる前にこっちの身が壊れてただろうね」
「それで小野さんから渡された鍵で私の部屋の鍵を開けて入ったわけね」
「うん。もしやと思ってフロントから持ってきてたみたい」
「なるほど」
うんうん、何度も頷いては何かを確認していく長澤さん。きっと彼女の頭の中では数枚の欠けているパズルピースを嵌めていくような作業が行われているのだろう。
「ごめん、ちょっと席外していいかな」
「どうしたの?」
「ちょっと一人で頭の中を整理したい」
「何言ってるんだ。さっきも言ったけど、それで草薙さんは――」
「分かってるわ。そんな長く取らない。十分、いや五分でいい。部屋で集中してまとめたい」
そう言うと長澤さんは僕の制止の声も聞かず部屋を出ていった。
「愛唯ちゃんといい草薙さんといい、謎を解いたら人間は皆ああなるのか? なんか決まりでもあるのか?」
呆れたように長澤さんが出ていったドアを眺めながら大輔が愚痴る。大輔には分からないだろうが、ミステリー小説ではよくある光景だ。
犯人が分かった探偵がその場では推理を披露せず、解決編まで真相を口にしない。友人、知人が尋ねても教えない。ミステリー小説の八割はこんな展開が繰り広げられているだろう。もどかしく思いながらも次が待ち遠しい気分にさせられる。
今すぐ犯人を名指しすべきと思う反面、長澤さんの気持ちも理解できないわけではなかった。現実で目の当たりにするとは思わなかったが、きっと真相を見抜いた者にしか分からない感覚があるのだろう。
そんな長澤さんの様子を見て、僕は僅かながらも協力出来たことに安堵感と満足感を覚えながら、少しばかりの悔しい気持ちが芽生えていた。
おそらく、この館にいる全員よりも僕は事件についての情報を持ち合わせていたはずだ。最初に犯人を突き止めた草薙さんと同じ場所におり、同じ調査を行った。同じ様に犯人が分かってもいいのだが、僕は今に至っても犯人の目星がついていない。
しかし、アドバンテージを持つ僕よりも目の前にいる長澤さんは僕より先に犯人を捉えた。ただ話を聞いただけで、だ。今回の事で知ったことだが、耳の情報よりも目の情報の方が圧倒的に量が多い。ミステリーでは何度も訪れて慎重に捜査をする『現場百篇』という言葉があるが、その言葉の真の意味を知り得たような気がしたぐらいだ。
現場には情報が眠っている。何度も足を運び確認する。何かを探す時、一番に動かす五感は視覚だ。スマホを失くしたと気付いた時でも手や耳よりまず目で探す。それは目が的確で取り込める情報が多いと無意識に理解しているからではないか。
耳だけではイメージの部分がやはり大きい。デコボコしたボールがあったと言われても、デコボコは何ヵ所あるのか、凹凸の差はどれほどなのか、ボールの大きさは野球ボールなのかそれともサッカーボール程なのか。実際に目にしていない者なら正確に捉えられないはずだ。それだけ目の情報と耳の情報には雲泥の差がある。
それだけの差がありながら、僕は道半ばで足を止めている。ゴールしておかしくない立場にいるはずなのに。そこに劣等感が芽生えたのは自然の流れだった。
「雄吉、止めろ」
劣等感に苛まれそうになる瞬間、大輔の声で現実に引っ張られ顔を向けると真面目な表情でこちらを見ていた。
「その考えは今すぐ捨てろ」
「な、なんだよ急に」
「もう一度言う。今すぐ捨てろ」
「だから何をだよ」
「自分も犯人が分かれば、なんて考えてたんだろ。その考えを今すぐ止めて捨てろ、って言ってんだ」
図星で驚くと溜め息混じりで大輔が続けた。
「お前は何か? バーロ、とか言う高校生探偵にでもなるつもりなのか?」
「いや、そんなわけないだろ」
「じゃあ何をそんな悲観的になるんだ?」
「僕だってミステリー愛好者の端くれだ。謎解きには親しみがあるし知識もそれなりにはあると自負してる。けど、そうでありながら犯人が分からないなんて悔しいじゃんか」
「悔しくなる必要がどこにある?」
「必要というか、先を越されたら少なからず悔しいだろ」
「バカかお前」
バカ呼ばわりされてさすがに僕もムッ、となり、大輔に詰め寄ろうとすると逆に大輔の方が僕に詰め寄って来た。突然の行動に虚を突かれた。
「な、なんだよ」
「俺達は今何をしてるんだ?」
「じ、事件の犯人を見つけることだろ」
「そうだ。人の命が関わってる事件のな」
一字一句、力強く僕に言い放った。口だけではなく、瞳の奥からも訴えかけてくるようだった。
「殺人事件。人が人を殺した最悪の事件。犯人はまだ捕まらない。だったら解決は早ければ早いほど良いに決まってる。それは分かるな?」
「あ、当たり前だろ」
「それなのにお前はなんだ? 愛唯ちゃんに先を越されて悔しい? 自分はまだ犯人が分からなくて劣ってる? これは競争か? それともゲームか? 勝敗なんかねぇ事に悔しさなんか要らねぇだろ。まさか遊び気分でやってんじゃねぇだろうな」
そんなつもりはない! と言い返そうとしたが喉で止まってしまう。自信を持って否定が出来なかったからだ。
悔しさ。劣等感。どちらも他者と比べて起きる感情だ。自分が同等、優位にいながら真相が見抜けなかった。一番になれなかった事への反発。自覚はなくとも、今僕を覆う感情は競争意識から来るものだった。
優先すべきは犯人の判明、逮捕。今の僕達の絶対案件だ。そこで誰が一番になろうが関係ない。大輔の言う通り、これはゲームではないのだから。
「命だぞ、命。その重みと責任がどれほどのものか分かってんのか。死んだ後だろうが命と関わっている事に変わりはない。前に言ったよな。警察に連絡もしないで好奇心を優先するとかキチガイの域だ、ってな。お前もそこに踏み入れる気か?」
先程の『その考えは捨てろ』はこういうことだったか。悔しさに包まれてしまえば事件を競争対象としてしまい、僕がキチガイの域へ進みかけているから踏み留まれと止めてくれたのだ。
昨日の夜、草薙さんと会って同じような不安に陥った。自分も楽しんでいるのではないかと。前回は自分で気付いて振り払った。でも今回は知らず知らずに流れ、大輔が引き留めてくれた。あれから数時間しか経っていない。こんなにも心が変化するものなのか。
僕は不安を通り越して恐怖を感じ始めた。もう戻れない所まで来てしまっているのではないか。まるで麻薬に手を出して禁断症状が出始めたかのように、探偵という姿にのめり込んだのでないか、と。
「今そうやって俺の言葉を聞いて思う所があると感じてる内は問題ない。けど、忘れるな。自分が最初の、なんて考えが次出たらもう末期だと思え」
大輔の台詞がいつまでも耳に残り、そして長澤さんが部屋に戻ってきたのはちょうど五分を過ぎた頃だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます