30

 部屋に着くと草薙さんは扉を開け、中に誰もいないのを確認してから入っていった。僕も深呼吸をしてから三秒程遅れて入る。


 扉を後ろ手に閉め、明かりによって鮮明になった部屋を一望する。特に壁際の一角を。


 盛り上がった毛布。そこにはバラバラになった人間の体があり、毛布を取り除けばそれが露になる。これが目的でここに来たわけだが、やはり目の前にすると迷いが生じる。


 生々しい肉の断面。

 肉に覆われた骨。

 鉄の臭いを漂わせる赤い血。


 今から僕は昨日見た光景と再び向き合わなければならない。想像だけで汗は流れていないのに体温が下がる感覚が襲う。草薙さんも察知しているのだろう、屈んでも毛布はまだ捲らず握ったまま僕の方を見ていた。


 僕は目を閉じ再び深呼吸をする。深く深く、そしてゆっくりと。肺に入った空気を吐き出すと、迷いも吐き出されたかのように落ち着いた自分がいた。覚悟を決め、目を開けてから草薙さんの横に近付いて屈み、頷く。それを見た草薙さんが毛布を取り払った。


 前腕、指、下腿、手、足、上腕、大腿、胴体、そして頭部。関節を境に切り離された部位が現れた。肉は少し黒いというか紫色になっていて、おそらくこれは死斑だろう。流れの止まった血が一箇所に長い間留まるとこうした変色が起こる。


 逆に白い骨はしっかりと見えている。理科室で見る骨格標本とは比べ物にならない、生き物の骨という生々しさが伝わってきた。


 尻餅を着きそうになりながらも踏ん張り、目も反らさず耐える。覚悟は耐えてこその覚悟だ。


「まずはこの部位をベッドに移動しよう。定位置に置いて並べるんだ」


 草薙さんの指示に従い、僕は大腿部へ手を伸ばした。死後硬直が既に始まっており、弾力のない固い肉の感触が伝わってくる。僕は添えるように持つとベッドに移動させた。言い方は悪いが、小さいので運びやすかった。


 部位によっては想像よりも重かったり軽かったりした。草薙さんによるとそれぞれの部位は体重から割合で導き出せ、頭は八%、胴体は四十六%、上腕は四%、前腕三%、手二%、大腿七%、下腿六%、足二%とのこと。被害者の体重を七十キロだと仮定すると、僕が最初に運んだ大腿部は約五キロの計算だ。


 僕が足を運んでいると草薙さんが頭部を持っていた。目は閉じられ口は半開き、青黒くなった顔色。変色は他の部位と変わらないのに、やはり頭部が死を一番強く感じてしまう。苦しい表情をしていないのが唯一の幸いか。


「見てくれ、この首の部分。うっすらとだが帯のような跡がある」


 そう言われて観察するとたしかに青紫に変色した部分とは別に濃い跡が残っていた。


「これは……索条痕ですか」

「ああ。首を締められた痕だ。死因は絞殺に間違いない」


 睡眠薬を投与された、ということから予想はしていた。幅から紐のような物で締められたのだろう。


 それからも草薙さんと手分けして部位を定位置に運び、大まかだが人間の姿に近付いていた。問題はこれから。


「やはり指も切断されていたな。僕らの推理は当たっていたというわけだ」


 草薙さんの言う通り、左右の手には指が一本残らず無かった。全て切断されていたのだ。指も床に転がっている。


「必ずどこかの指がないはずだ。一本一本確認しよう」


 早速、残された指を配置していった。


 人差し指、親指、小指。太さと長さでどの指かはっきりと区別できた。第二関節で切断されていたものもあったので苦労はしたが、どうにか進められた。そして開始から五分後、結果が出た。


「草薙さん……」

「ああ……」


 僕らは注視していた。


「どういうことですか、これは?」

「分からない。なぜ不足している指がない」

「僕らの推理が外れているってことですか?」

「バカな。あり得ない」


 信じられないと草薙さんは頭を抱える。だが、僕も同様だ。目の前の光景に理解が追い付かない。


 犯人の痕跡を隠すという僕らの推理は理に敵っていたはずだ。バラバラ殺人の意味も説明出来るし、犯人の行動心理にも当てはまる。いや、これ以外に説明が付かない。だが、真実は僕らの推理とは異なっていた。


 怨恨なのか? それとも猟奇的犯行? でも、どちらもしっくりこない。なぜ指を切断する必要が? 手首で切り落としていただけならまだ納得はできる。なぜ指を?


「人間一人をバラバラにするんだ。意味もなく及ぶ行動じゃない。絶対に意味があるはずだ」

「でも、どんな意味があるんですか?」

「……」


 草薙さんは答えない。眉間に皺を寄せて考え込んでいる。


 斧を振るって遺体を分解。犯人が何度も振りかざし、細かくなっていく遺体。そこにはどんな意図があるのか。他の可能性を膨らませてみた。


 ①指ではなく、他の部位に痕跡がある?


 いや、ベッドに運ぶ際に僕と草薙さんはチェックしている。痣や傷といった類いのものは無かった。


 ②遺体ではなく、ベッドを荒らすのが目的だった?


 これは可能性が高いのでは? 柔らかいベッドの上で分解はやりにくいはず。痕跡はベッドにあるのでは? もしや、と僕はベッドを調べてみた。しかし、荒れ過ぎているのであったとしても判別は付かなかった。


 ③斧の切れ味を試したかった?


 うん、さすがにないな。大輔の斧の形がカッコイイという言葉を思い出したのでふと思い付いたが、刃は欠けていたし名斧というわけでもないと長澤さんも言っていた。これはボツだ。


 ④犯人の血液を誤魔化すため?


 被害者と揉み合いの中、例えば殴られて鼻血を出して床、もしくはベッドに垂れた。それを隠すためにバラバラにした。木を隠すなら森の中。血を隠すなら血の中。これはいい線なのでは?


「それなら首一つで足りるだろ。わざわざ体全てを切り落とす必要はない」


 四つ目の推理を草薙さんに伝えるとあっさり論破された。たしかに、数滴の血を隠すためとバラバラ行為とのバランスが合わない。


 意味がないことを犯人はわざわざ行動した。なぜ?


 考えれば考えるほど迷宮の底に落ちていくようだ。草薙さんを窺うと彼もまだ考えに耽ってウロウロしていた。人は考えに集中しようとすると同時に歩く行動もしてしまう。これは特に意味はない。無意識にしてしまうのだから。


 そんな草薙さんの動きを見ていたら、僕は昨日の一件であることを思い出した。


「そういえば、意味がないけど効果はあることが最近ありましたよね」

「何!? いつ!? 何処で!?」


 カッ、と見開いた目をしながら草薙さんが僕に詰め寄ってきた。


「現実の事件か!? それとも小説のトリックか!?」

「いやいや、ミステリーとは関係ないです。昨日の草薙さんですよ」

「何? 私だと?」


 僕は昨日この遺体が作り物ではなく本物の遺体と発覚した後、パニックを起こした鞍瀬さん達を落ち着かせるため草薙さんが手を開いたり閉じたりさせたことを伝えた。


「なんだ、あれのことか。期待させるようなことを言わないでくれ」

「すいません。でも、草薙さんのあれのおかげで落ち着いたのは事実じゃないですか。まさか手を動かすだけで落ち着くなんて知りませんでした」

「ああ、違うよ。手の動きが重要じゃないんだ。アレは意識を別の場所に向かわせることが目的なんだ」

「というと?」

「パニックに陥った人間というのは頭の中の整理が追い付いていない状態だ。周りが見えず、脳内の情報にしか意識が向いていない」


 たしかに、昨日の鞍瀬さん達の言動はまさにそれだった。ついさっきまで言葉を交わしていた人の姿も見えておらず、ただ喚き暴れていた。


「情報が容量を超えて処理が追い付かない。でも脳は与えられた情報を整理しようとする。それが延々繰り返される。それがパニック状態だ。そのパニック状態から脱するにはどうすればいいと思う?」

「そうですね……頬を叩いて気を取り戻すのを映画とかで見たことがあります」

「そうだね。それは衝撃を与えることで意識を痛みに向け、脳内の情報から離すことが目的なんだ。私の手の動きもそれと同じさ。周りの人の注意をこちらに向けた」


 手を叩いて音を出し、まず周りの人の意識を自分に向ける。それから手の動きを見せそれと同じ行動をさせる。繰り返されていると脳は『この動きは何なんだ?』という意識が芽生え、パニックの情報から完全に切り離されるのだという。


「人間を冷静にさせるにはまず意識を別の意識に向けさせる。その方法は何でもいい。ダンスでも歌でも。あの状況で手っ取り早く出来たのが手の動きだったというだけさ」

「なるほど。なんかマジックみたいですね」

「マジックもそうさ。入れ替りのマジックなんてまさにその象徴じゃないか。目の前のカードに意識を向けさせ、その間にタネを仕込む。ミステリーだってミスリードという言葉があるんだから――」


 すると突然、草薙さんが黙ってしまった。


「草薙さん?」

「待てよ……まさかそんなことが……いやしかし……だとすればアレは? そうか、だからか」


 ブツブツと呟いていたかと思うと、僕に向かって肩を叩いた。


「白井君! ありがとう! 君のおかげだ!」

「いや、何がですか?」

「分かったよ。犯人が誰なのか」

「ええ!? 本当ですか!?」

「ああ。間違いない」


 自信に満ちた表情で草薙さんが答えた。


「だ、誰が犯人なんですか?」

「慌てるな。少し自分でも整理がしたい。明日発表する」

「そんな。今すぐ皆を起こして犯人を捕まえた方がいいんじゃないですか?」

「探偵というのは翌日に推理を披露するのが相場じゃないか」


 まだそんな悠長なことを。凶悪犯を野放しにしないためにもすぐにと説得し続けたが、草薙さんが聞き入れてくれることはなかった。


「明日の九時、皆を食堂に集めておいてくれないか? 私が皆の前で推理を披露するから。いや~、この爽快感最高だね」


 高額の宝くじに当選した人のように満足気な草薙さん。ベッドに並べた遺体に毛布を無造作に掛けると、振り向きもせずに部屋を出ていった。


 部屋を出る時、草薙さんの言った台詞が耳に残った。


「そうだ。意味がない、だからこそ意味がある」


 

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