29

 なぜ犯人は多大な労力、時間を使って遺体をバラバラにするのか。誰かに見られるリスクも負い、なぜ敢えて実行するのか。納得のいく説明が一つあった。


 僕らが睡眠薬を飲まされた事から、おそらく被害者も睡眠薬を投与されてから殺害されている。眠っていると聞くと無抵抗にも思えるが、全くないというわけではない。苦しさから逃れるため、意識はなくとも抵抗が生じる。生物本来の生きる本能がそうさせるのだ。


 例えば、紐で絞殺している時に被害者は犯人に向かって手を延ばして腕を掴んだりする。すると爪が犯人の腕に食い込み、爪と指の、間に肉片が残ったりする。犯人にとってこれは致命的だ。爪の肉片を見られれば傷という発想は容易だし、殺害に成功しても傷のある自分が瞬時に犯人と断定されてしまうのだから。


 ここで犯人はどう行動するか。爪の肉片を取り除くのか。いや、血痕も残るから綺麗には拭えないし、洗い流すにも時間が掛かる。となれば、犯人は指を切り落として持ち去るという選択肢をあげる。だが、指だけを切り落とせば嫌でもそこが目立つ。そこで犯人は


「ああくそっ、こんなの初歩中の初歩じゃないか」


 あれだけミステリー好きを語っておきながらこのザマ。己の鈍感さに苛立ち髪を掻きむしってしまう。


「いや、自己嫌悪になるのは後だ。直ぐに確認しに行かないと」


 僕は起き上がると直ぐに部屋のドアに向かう。時刻は零時を回って十五分を過ぎた辺りだった。


 廊下に出て左右を確認。人の気配はない。転々と灯る明かりがあるものの、夜中という時間帯のせいかどこか薄暗く感じてしまう。


 一人では不安な部分もあるので隣室の大輔に声を掛けて一緒に付いてきてもらおうかとも考えたが、解散前に見た眠そうな大輔の姿を思い出す。今頃夢の中に落ちていることだろう。起こすのは可哀想だ。


「一人で行くしかない、か」


 犯人と遭遇するかもしれない。危険なのは百も承知。しかし、翌朝まで待ってはいられない。バクバクと脈打つ自分の心臓の鼓動を聞きながら、足音をなるべく立てないよう急いでバラバラ死体がある部屋へと向かった。


「どうした?」

「ぴひぁぁぁぁぁ!」


 その時、背後から声を掛けられ僕は奇声を上げてしまった。心臓が。いや魂が飛び出る勢いだった。


「おいおい、大丈夫か?」

「はぁ、はぁ……く、草薙さん?」


 振り向くと心配そうに見下ろしていたのは草薙さんだった。シャツ一枚に黒のスラックスを身に付けており、声を掛けると口元に指を立てた。


「しっ。誰かに聞こえたらどうするんだ」

「あっ、すいません」


 僕は声の音量を下げながら謝る。


「こんな時間にどうした? 何処に行こうとしてた?」


 奇声を上げた僕を心配そうにしながらも、疑いの目を向けてくる草薙さん。夜中にひっそりと部屋を抜け出したのだ。他人から見れば怪しさ満点だ。


「ちょうどよかった。白井君、少し手伝ってくれないか?」


 だが、疑いの目も一瞬で消え去り、手伝いという言葉に今度は僕が不思議そうに顔を向けた。


「調べたいことがあるんだ。バラバラ死体の事で思い付いたことがあるんでね。高校生の君に頼むのは酷かもしれないが、人手があった方がいいんだ」

「も、もしかして」


 僕はついさっき気付いた可能性を草薙さんに伝えてみた。


「なんだ。君もそうだったのか」

「はい。それであの部屋に行こうと」

「なら話は早い。一緒に行こう」


 僕は草薙さんに同行した。


「助かるよ。一人と二人じゃ圧倒的に掛かる時間が違うから」

「いえ。僕も一人じゃ心細かったので」

「そりゃ死体、しかも分解された死体を調べようとするんだ。誰でもそうなるさ」

「草薙さんもですか?」


 もちろん、と答えた草薙さん。


「しかし、君も無謀だな」

「無謀?」

「ああ。殺人犯が潜めている中でよく一人で行こうとしたよ。襲われるかもしれなかったのに」

「それは理解してましたけど、調べる事で頭が一杯で」

「危ないな。柔道とか空手の覚えは?」

「いえ、生粋のインドア人間です」

「おいおい。それで犯人と鉢合わせしてたらどうするつもりだったんだ。もし私が犯人だったらさっき会った時に一瞬だぞ」


 軽率な行動に草薙さんから真面目に注意された。何も考えていなかった自分が恥ずかしい。誰が犯人か分からない今、気が抜けないという状況なのに。


 でも、それは草薙さんにも言えることだ。たまたま僕と会ったが、彼も一人で行動しようとしていたわけだし、僕が犯人だったらどうしたのか、と尋ねてみた。


「君は犯人じゃない」

「どうしてそう言い切れるんです? 疑いの目を向けていないのは嬉しいですけど」

「殺人という大罪を犯すほど神経が図太い犯人が、後ろから声を掛けられただけで素っ頓狂な声を上げるかい?」


 恥ずかしい。だが、おかげで疑いが晴れているのだから勲章として捉えよう。


「ちなみに私も犯人じゃない。まあ、言ったところで信じられないかもしれないが」

「信じますよ」

「即答か。意外だね。その理由は?」

「犯人ならわざわざ僕に声を掛けません。身を隠し、僕が何処かへ行くのを後から付いていって人気のない場所で襲います」


 ご名答、と草薙さんが答えながら僕らは歩を進めていく。


「そういえば、君の相方はどうしたんだい?」

「部屋で寝てます」


 日中の活動を伝え、疲れている旨を話した。


「なるほど。だから一人で行こうとしたのか」

「ええ。あいつはミステリーに興味ありませんから」

「そうなのか。ミステリー無関心でありながら本物の事件に遭遇。たまったもんじゃないな。ミステリー好きなら耐性はあるだろうに」


 好き嫌い関係ないでしょ。殺人事件に遭遇した時点で誰だって不幸だ。


 口には出さなかったが、大輔の言う通り草薙さんは事件を楽しんでいる。それがひしひしと伝わってきた。


 ミステリーはあくまで架空の物語。架空だからこそ楽しめる。血だの死体だのおぞましい光景など見たくはないし、それを現実で体験したいなんて思ったこともなかった。


 それがどうだ。草薙さんを始めとした参加者はチャンスとばかりに事件に没頭。先程、草薙さんは死体の調査に一人は心細いと答えていたが、内心は踊っていたに違いない。現場に踏み入れ調査をする。まさに探偵が描く行動なのだから。


 ふと、僕は自問自答してみた。自分はどうなのだろう、と。


 もちろん、楽しんでいるということはない。長澤さんの頼みで捜査に協力してはいるものの、大輔のように警察に連絡するべきであると今でも思っている。


 だが、疑問が湧いてきた。僕はさっき調。草薙さんが指摘したように、犯人に襲われるかもしれないという危険があったにもかかわらず、捜査にだけ意識が向いていた。本当に事件への恐怖を持っていたのなら、大輔を叩き起こして二人で行っていたのではないか。


 もしかして、僕も心の底では楽しんでいるのでは……。


 一瞬、僕が食堂で皆を集めて推理を披露するイメージが浮かび上がった。


 いや、そんなことはない。ミステリーは好きだ。でも、現実と空想の境はきっちり弁えている。僕は草薙さん達とは違う。絶対に。


 僕は自分に言い聞かせながらイメージを振り払った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る