27

 部屋を出た僕らは次に一階の展示室へ向かった。部屋にあった斧は間違いなく展示室の物で間違いないだろうが、実際に目で確認するまでは百パーセントとは言い難い。思い込みや先入観が時に捜査を撹乱するからだ。


 展示室に入ると真っ直ぐ斧があった位置へと向かう。辿り着くとやはり斧は無かった。


「やっぱりここの斧だったわね」

「うん。これで凶器は確定」


 このイベントでは自由に触れていいという意向だったため、展示ケースには鍵が付いていなかった。よって誰でも簡単に取り出せた。今もケースのアクリルが横に簡単にスライドし、斧のあった隣の鉈に触れられる。


 当日は気にも掛けず興奮しながら触っていた凶器の数々だが、今思えばゾッ、としてしまう。


 凶器。つまり人を殺す道具。その道具を僕らはなんの恐怖も持たずに手に取り、この小説ではこう使って殺していた、これはこう使うことで痕跡を隠せる等、殺人方法をあれこれと理解しようとしていた。


 もちろん、実際に使用しようとしていたわけではない。ただ単に今後のミステリー小説をより楽しく読むために知識として飲み込もうとしたことだ。しかし、冷静に考えれば凶器に意気揚々と触れる考えがまともじゃないと今更気付く。過去の己の行動と思考の甘さに後悔が押し寄せる。


「なぁなぁ、俺ここの斧持ったりしたんだけど大丈夫か?」


 後悔に飲み込まれそうになった時、大輔の言葉が耳に届き現実に引き戻された。


 そうだ。今は反省をする時じゃない。反省も大事だけど、それは後回しだ。まずやるべきことは事件の捜査。それに集中しよう。


 僕は暗い気分を振り払い、大輔と向き合う。


「大丈夫、って何が?」

「いや、アレなんだろ。物を握ったり持ったりした時は指紋ってのが付くんだろ? 警察が来たら俺疑われたりするのか?」


 人間には指の腹に模様があり、汗や脂が皮膚から分泌している。何か物を持った際はその分泌物によって模様が跡として残る。それが指紋だ。そして、その指紋は一人として同じ模様を持つことはない。その人の唯一無二の模様となる。その特性から犯罪において指紋は犯人を決定付ける揺るがない証拠となる。


 警察が来れば当然凶器の斧に付いた指紋を調べるはずだ。であれば、その凶器に付着している指紋の持ち主は例外なく疑われる。僕だって触れている。現状では僕らは容疑者ではないが、警察の目はそう見ないかないかもしれない。大輔の不安は自然な流れだった。


「大丈夫よ。指紋は拭き取られているから」


 しかし、長澤さんは何の疑問を持たないあっさりとした口調で大輔の不安を払拭した。


「何でそう断言出来るの?」

「指紋が付いてるだけで疑われるのは昔の話よ。今は指紋ので捜査はされてるから」

「指紋の付き方?」

「そう。今回みたいに斧に何人もの指紋があったとしても、その全ての人間が疑われるわけじゃない。理由は指紋には順番があるから」

「順番……ああ、なるほど」

「さすが白井君。理解が早いね」

「順番、って何の順番だ?」

「触った順番よ。例えば……この鉈。今から順番に柄を持って」


 長澤さんがケースから鉈を取り出し、大輔、僕、そして再び長澤さんという順番で回した。


「今順番で三人は同じ場所に触れたからこの斧には三人分の指紋があるけど、指紋が一番くっきり残っているのは今持ってる私だけになるの。なぜなら、萩原君と白井君の指紋は私の指紋に上書きされたから」


 単純な話だ。古いものより新しいものの方が綺麗に残る。赤く染めた手で握った後、青く染まった手で握れば青色が外側になる。一番最後に触れた者の指紋が一番上になるのは必然なのだ。


「つまり、萩原君の指紋があったとしても犯人が昨夜使用したなら犯人の指紋が一番上になってる。だから萩原君は疑われない」

「な~るほど。あれ? 一番上にある指紋が犯人のものだって言うんならその指紋を調べれば犯人すぐに分かるんじゃね?」

「あったらね。けど、犯人だってバカじゃないわ。疑われないために手袋をした、もしくは犯行後に拭いたかは絶対してるわ」


 犯人は参加者十一人の中にいる。そして、彼らは大輔を除いてミステリー好きばかり。この初歩的痕跡を残すようなへまをするとは思えない。あの斧を調べたとしても犯人へ繋がる手掛かりは見つからないだろう。


「なんだよ、それじゃあ犯人誰なのかわからねぇじゃん」

「そんな簡単に分かったら苦労しないよ。だからこうやって部屋を回ったりして調べているんだろ」

「漫画じゃあれやこれやでどんどん手掛かり見つかるのに。物に触れてその記憶を読み取れるサイコメトラー的な能力誰か持ってないのか?」

「空想と現実を混同するなよ」

「まぁ、それがミステリーの醍醐味だったりするのよ」


 分かりそうで分からない。重要そうでないものが重要。この駆け引きような展開がミステリーを読む上で面白いのだ。しかし、今は現実の中。小説のように手掛かりが指し示されているはずもなく、自ら探さなくてはならない。砂漠の砂の中から一粒の米を探すような心境。大輔の気持ちも分からなくはなかった。


 その後も展示室を見て回るが、これ以上発見らしい発見はなかった。


「これ以上ここにいても発見はなさそうだね。次の場所へ行こう」

「ええ、そうね」

「愛唯ちゃん、鉈持ってくの?」

「えっ? あっ、いっけない。戻してなかった」


 無意識だったのだろう、長澤さんは鉈を持ったまま展示室を回っていた。美少女と鉈。まるで某アニメの組み合わせだ。

 

「鉈は俺が戻しとくよ」


 長澤さんが持っていた鉈を大輔が受け取り、ケースの中に仕舞いに行く。僕もそれを確認し入り口へと向かおうとしたが、大輔はそこから動かずじっ、と鉈を眺めていた。


「大輔、何やってんだ。行くぞ」

「……」

「大輔」


 動かない。まさかまた斧の時みたいに形がカッコイイとか抜かすんじゃないだろうな。


「なぁ、雄吉」

「何だ?」

「犯人は何で斧で遺体をバラバラにしたんだ?」


 はぁ? 今更何を言ってるんだこいつは?


「さっきも言っただろ。人間の骨は頑丈だし、関節の間を狙わないといけない。力の入る斧じゃないと分解できないからだよ」

「それは分かってる。けど、何で斧なんだ?」


 意味が分からない。斧じゃないと分解できないと分かってるのに斧の理由を聞いてくる。思考がショートしてるのか?


「意味分かんないこと言ってないで行くぞ。長澤さん、先に行っちゃったぞ」

「……」

「大輔」

「……おう。今行く」


  

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