21

 僕は食堂を出てエントランスから二階への階段を昇る。長澤さんの部屋は昨日聞いており西側の『二一三号室』だ。僕は階段の分岐

を左に曲がる。


 二階に上がり真っ直ぐ伸びる廊下をそのまま走る。『二一三号室』は奥から三番目の部屋だ。昨日の調査で各部屋の配置は頭に入っていた。床に敷き詰められた赤いカーペットを強く蹴り、長澤さんの部屋の前に到着した。


「長澤さん! 長澤さん!」


 ドアをこれでもかと強く叩きながら長澤さんの名前を呼ぶ。


「長澤さん! 返事して! 長澤さん!」


 中から返事はない。僕は確認を待たずにドアを開けようとしたが、鍵が掛かっていて開かない。


「長澤さん!」

「愛唯ちゃん! 大丈夫か!」


 後ろから大輔も呼ぶ。二人の男が大声で呼ぶもやはり返事はない。焦りと不安が募る中、食堂にいた人達も集まり輪の中にいる鞍瀬さんが声を掛けてきた。


「どうした!?」

「ドアが開かないんです!」

「何? おい、大丈夫か!」


 鞍瀬さんも同様にドアを叩くが変化はなかった。


「中にあの女の子がいるのか?」

「鍵が掛かっているからたぶん。でも……」


 僕は再びドアを叩いて長澤さんの名を呼び続ける。


「さっきの叫び声は尋常じゃなかった。只事ではないじゃろ」

「早く開けてあげなさいよ」

「鍵が掛かって開かないんでしょ」

「ぶち破ればいいんじゃな~い? よくドアに体当たりして開けてるじゃ~ん」

「あれはフィクションだよ。現実でドアはそう簡単に壊れない」


 只事ではないと言いながら数人は呑気に話し込んでいる。それが無性に腹が立ち振り返りたい所だが、今は長澤さんの安否が先だ。


「合鍵は?」

「それなら、受付の鍵棚にあったはず」

「誰か取ってきなよ」

「あなたが行って来れば?」

「え~、面倒臭い~。君が行きなよ」

「こういうのは男が行くものでしょ」


 こいつら……っ!


「あ、合鍵ならここにあります」


 さすがに我慢ならずに怒鳴り付けようとしたその時、小野さんがおずおずと鍵を手のひらに乗せて見せてきた。


「あら、準備いいわね」

「か、鍵が掛かっていたらと思って」

「早く言ってください! 鍵をこっちに!」


 小野さんから奪うように取った僕は鍵を鍵穴に入れ時計回りに捻る。カチッ、という解錠の音が聞こえると勢いよくドアを開けた。


「長澤さん!」


 最初に目に飛び込んできたのは、床にへたり込み呆然自失の状態の長澤さんだった。一点を見つめ、微動だにしない、


 次に彼女の格好だ。英語の文字がプリントされた少し大きめの白いTシャツに紺のハーフパンツ。寝るには調度いいゆったりとした普通の服装。しかし、今は普通じゃない。白のTシャツとハーフパンツは赤黒く染まり、白く美しい顔にもベッタリ付着していた。


 その様子に何故という思いの後、部屋を充満している臭いに気付いた。ツン、と鼻を突き、どこかで嗅いだことがあるようなないような臭いが部屋を覆っていた。


「愛唯ちゃん、大丈夫か!?」


 臭いにたじろいでいる間に大輔が長澤さんの側に寄り肩を揺さぶる。最初は無反応だったが、数秒後にゆっくりと目線が大輔に向いた。


「はぎ、わ、ら……くん?」

「愛唯ちゃん大丈夫か!? どこか怪我してるのか!?」


 大輔の怪我という単語に臭いの正体が分かった。血だ。過去に指を深くカッターで切ってしまった時と全く同じ臭いだ。


「だ、だい、じょうぶ。け、けがは、してない……」


 弱々しく返事をしたが、痛がる様子もないなので本当に怪我はないようだ。とりあえず安心した僕も長澤さんの側へ寄った。


「長澤さん、何があったんだ?」

「し、白井君? な、何がって……あ……ひ……し……!」

「落ち着いて、長澤さん! 何が!」


 ブルブルと震える腕で長澤さんは僕の後ろを指差した。振り返るとそこにはベッドと……。


「うっ……!」


 目を反らさずにはいられなかった。そこにあったのは原型を留めていないだったからだ。腕、手、足、太股。本来胴体と繋がっていなければならない部位が切り離されベッドは血の海。クローズドサークルミステリーでは定番とされている死体の一つ。それが目の前に広がっていた。


「な、何だよこれ……」

「どうした……うわっ!」

「こ、これは……」


 部屋に入ってきた各々がバラバラ死体を見て口をつぐむ……かと思いきや、なぜか意気揚々と話し始めた。


「ほほう、これはこれは」

「なるほど、なるほど。そうきたか」

「うっひょー! テンション上がるー!」

「いいね。やる気爆上がりだ」


 テンション上がる? やる気爆上がり? 何だ、こいつら? 何でそんな楽しそうに死体を見ていられるんだ?


 僕は不思議でならなかった。死体が転がっているこの状況でなぜ笑っていられるのか。不謹慎とかそういうレベルではない。神経がどうかしている。


「皆さん、何でそんなに落ち着いていられるんですか?」


 僕の心を代弁するかのように大輔が質問した。 


「人が死んでるんですよ? 普通なら驚いて叫ぶなり怯えたりすると思うんですが、何でそんなヘラヘラしていられるんですか?」


 大輔の正論中の正論。普通なら『そうだったな。すまない』という謝罪がくると思った。だが……。


「あっはっはっは!」

「こりゃーいい! 傑作だ!」

「あー腹いてぇ! 笑い死しそうだ!」

「ちょっと待って、涙が止まらない!」


 返ってきたのは謝罪ではなく耳障りな笑い声だった。


「何がおかしいだよ! 人が死んでんのに!」

「おかしいわよ。これが笑わずにいられるわけないわ」

「この状況のどこが笑え――」


 はっ? ゲーム?


「おいおい、忘れたのか? 俺らは何しにここに集まったんだ?」

「……あっ」


 忘れていた。僕らはミステリーイベントの参加者。そして、今日からそのイベントが始まる。問題は殺人事件の解決。目の前の悲惨な状況はまさに殺人だ。つまり、これはイベントなのだ。


 あれほど楽しみにしていたのになぜ失念していたのだろう。いや、それも無理はないのではないか。死体がとても作り物には見えないのだから。


 少し黒みがかった肉の断面。筋肉か何かの筋が幾重にも連なり、その中央に位置する楕円形の白いもの。あれは骨だ。赤みのある色の中に白色だからかより鮮明に目に映る。その横から管のようなものもあり、あれは血管だろうか。断面から血らしき赤い液体が垂れている。


 リアルを追求した。たしかに諸星氏は昨日そう明言していた。本物と言われれば信じてしまうぐらいの完成度だ。作り物と自分に言い聞かせても悲惨すぎる光景に脳の切り替えが追い付かない。


「バラバラ殺人。これが今回の問題か」

「これぞミステリーね」

「イェ~イ! 謎解きの始まり始まり~!」

「では、早速調査を開始しますかな」


 僕、大輔、長瀬さん以外の人間がバラバラ死体の方へ寄る。


「うわっ、すごっ。まるで本物みたいだ」

「たしかに。何で作ったのかしら?」

「肉の感触や血の臭いはどれも完成度が高いね」


 おもちゃを手にするように、彼らは各部位を手に取りまじまじと観察している。


「かなり細かく切り刻まれているね」

「関節の所はほぼ切断されてる。手なんか見てみろ。指が全部切り落とされてる」

「ベッドも床もズタズタだわ。ここで解体されたのは間違いなさそうね」

「切断面も荒れているな。何で解体されたんだろ?」

「斧だよきっと。ほら~」


 宝物を見つけたように若い男が斧を持ち上げた。刃も柄も血まみれになっていながらも気にせずしっかり握っている。


「間違いなさそうだね。刃こぼれを起こしてるし、ベッドの布の繊維らしきものも付着している」

「ベッドの裂かれている大きさもその斧の刃渡りと同じぐらいだしね」

「断面の荒れ具合。あれは力一杯何回も振り下ろした特有のもの。現場にあるものの中で振り下ろすとなると斧が最適解だ」


 さすがはミステリー好きの集まりだ。死体の傷一つから次々と情報が溢れ出て、見るべきポイントを把握していた。


「そういえば、首がないわね」

「言われてみれば。どこだろ?」

「首の無い死体と聞くと入れ替わりのトリックが思い浮かぶね」

「それは既に誰かが死んでいる前提でしょ? まだ誰も死んでないのに入れ替わりしようがないわ。第一、誰と誰が入れ替わるのよ」

「諸星謙一郎という可能性は?」

「ということは主催者が犯人? はっはっは。それはいくらなんでもひねりがなさすぎる」


 首無し死体について討論し始めるが、その意味はすぐになくなった。


「べ、ベッドの下にあるの、ち、違いますか?」


 勇気を振り絞るように長澤さんが指を差す。そこには丸い何かが転がっていた。それを聞いた鞍瀬さんが屈み、拾い上げた。


「頭だ。これも精巧に作られているな」

「ブサイクな顔」

「こらこら。死んだ人を悪く言うもんじゃない」

「でもこれ作り物でしょ?」


 首を中心に囲い、それぞれが顔を確認するためくるくると回している。


 一体どんな顔をしているのだろう。


 僕も興味が沸き、目線を向けたらたまたま隙間からチラッ、と頭部が見えた。そして、その顔を確認した瞬間再び恐怖に陥った。


「あっ……あっ……」


 目から入った情報が脳の記憶を呼び覚ます。一度しか目にしていない。しかし、しっかりと記憶に焼き付いている


「どうした、白井君?」

「そ、その人。見たことがあります」

「なに? 知り合いに似てるの?」

「ち、違います……その人……『開かずの間』の塔で会いました」

「塔で会った? どういう意味?」

「そ、そのままの意味です。き、昨日『開かずの間』に向かう階段で、そ、その人とぶつかったんです」

「ぶつかった? 開かずの間にこんな人形あったかしら?」

「ち、違います。生きているその人をみ、見たんです」


 一瞬の沈黙。生きている、という僕の台詞に全員の顔が青ざめた。


「……おいおい、何の冗談だそれは?」

「じ、冗談じゃありません。その口許の傷、はっきりと覚えています」


 時間が停止したのではないかと思うくらい、僕の言葉に誰一人身動きせず瞬きすらしなかった。嘘ではなく真実と理解したからだ。


「えっ……ちょっと待って……それじゃあ……」

「う、嘘、だよね……」

「つ、作り物なんでしょ?」


 違う。断言していい。


 今目の前にあるのは紛れもない

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