20

 小説を読んでいた一時間半。その間に食堂にはイベント参加者がほぼ集まっていた。朝食を取るためや目覚めのコーヒーを飲むためなど誰もが自然に足を運び、今は各々がのんびりしていた。


「やっぱり朝はきちんと食べないとダメね。力が入らないもの」


 バターロールを契って美味しそうに口に運びながら山中さんが言葉を溢す。三十分前に顔を出した山中さんに挨拶をすると、隣席を使っていいかと聞かれ快く受けた。オーブンで一度焼いたのだろう表面には軽い焼き目が付いており、甘い香りが漂っていた。隣の皿にはサラダとコーンスープがあり、ドリンクはコーヒー。まさに朝食の象徴という組み合わせだ。


「さすがですね。僕は朝って食欲出ないんですよ」

「あら。じゃあ朝はそのコーヒーだけ?」


 コーヒーカップ一つしか置いていない僕のテーブルを見て心配そうに質問する山中さん。


「ですね。普段は家を出るギリギリまで寝てて、そんでコーヒーか牛乳、ジュースを出る前に一杯」

「高校生らしいわね。でも、親の視点からしたらやっぱり食べてもらいたいものよ」

「よく言われます。食べていきなさい、って。でも、ギリギリまで寝てるから起きてすぐは食欲沸きませんよ」

「そうね。起きてすぐ食べるのは胃に良くないから、朝食を取るには一時間前に起きていた方がいいと言われてるわ」

 

 一時間。睡眠時間に充てたい。


「寝てたいって顔ね。気持ちは分かるわ。でも、一日の良し悪しは朝食で決まる、なんて言われるぐらいだもの。朝食は本当に大事なのよ」


 朝食の大事さは理解している。朝何も食べないで運動する人とおにぎり一個食べて運動した人のパフォーマンスは段違いだったという内容を何かの本で読んだ。それは運動のみならず生活習慣においても当てはまり、山中さんの意見は正しい。しかし、正しいと分かっていても堕落の方へ気持ちが揺らいでしまうのが人間。食事よりも睡眠。おにぎり一個と一時間の惰眠を天秤に掛けるとどうしても惰眠に傾いてしまう。


「そういえば、相方の萩原君はどうしたの?」


 パン、サラダを食べ終えコーヒーで一息つきながら山中さんが尋ねてきた。


「まだ寝ています」

「まだ? 随分のんびりしているのね」

「どうやら疲労が溜まっていたみたいで。八時半にここに集まるようには伝えてます」

「疲労? あら、私もそうなのよ」

「山中さんも?」

「そう。慣れない旅と山道で疲れたのね。朝起きたら頭痛と倦怠感があったの」


 山中さんが首を抑えて回しながら答える。頭痛はなかったが、倦怠感というのは僕と似た部分があり、疑問に思い始めた。

 

 僕の寝起きの体の重さ。

 大輔の疲労感。

 山中さんの倦怠感。


 三人に似た様な症状が起きている。これは偶然だろうか。


「おはようお待たせいただきます」

「ああ、ようやく来たか大輔――って多っ!?」


 不可解な一致に思考を巡らせていたら大輔が登場。皿に山盛りになったサラダとパンが四つ、スープ代わりにカップ麺二つ、どうせお代わりするという理由でオレンジジュースが注がれた三個のグラス。盆から落ちそうだ。


「これを一度に食うのか?」

「当たり前だろ。食わねぇのに盛るわけがない」

「あらあら、萩原君は朝食をしっかり取る性格なのね」

「田舎のじいちゃんばあちゃんによく言われたんだ。朝食はきちんと食べなきゃいかん、って」

「立派なおじいちゃんおばあちゃんね」


 座るともう一度いただきますの合図をし、大輔の口に一気に吸い込まれていった。豪快な食いっぷりだ。


「さすが若さね。萩原君は疲労なんかもう失くなって元気一杯ね」

「モグモグ……ング。いや、今は復活してるけど俺もさっきまでは結構眠かったんで」


 先程の疑問がまた話題に持ち上がったので僕もすかさず入り込む。


「実は僕も朝は酷く体が重かったんです。筋肉痛もあったし」

「そりゃただの運動不足だろ」

「最初はそう思ったさ。でも、朝起こしに行ったら大輔も同じ様に疲労による眠気があって、山中さんも倦怠感があった。三人が同時にだぞ。これって偶然か?」

「偶然だろ」


 一個目のカップ麺のスープを飲み干しながら興味無さげに大輔が答えるが、山中さんは僕寄りの思考があった。


「たしかに、歳も違う三人が同時にそんな症状になるのは変ね」

「大輔は人並みに体力もあるので、昨日の山登りもスラスラ登ってました」

「俺はスーパーマンなんでね」

「なら、疲労が溜まるというのも変ね」

「いや、ツッコミ入れてよ。虚しい」

「普段使わない筋肉を使ったから体感よりも疲労が溜まっていた、ということですかね?」

「それなら筋肉痛にもなっていなきゃおかしいわ」

「お~い、お~い……ダメだ。二人とも思考世界に入っちまった」


 なんか隣で大輔がボソボソ言っているが、もう僕の耳には届かない。意識は既に三人の共通点に向いている。


 疲労、眠気、倦怠感。

 疲労、眠気、倦怠感。


 あれ? この組み合わせ、何かで見たことあるな。何だっけ?


「睡眠薬、とかかしら?」

「ああ!」


 それだ! 睡眠薬だ! 山中さんの言うようにミステリーの定番薬、睡眠薬だ。犯人が絞め殺す際にセットでよく使われ、服用した者は眠りに落ちるだけでなく、翌日は疲労のような倦怠感があることが多々ある。僕は飲んだことがなくこれは小説からの受け売りだが、実際でも同様の症状が出るらしいので間違いないだろう。


 しかし、いつどこでその睡眠薬が投与されたのだろうか。もちろんだが僕は睡眠薬を飲んでいないし、考えられるとすれば昨日飲み食いした中に含まれていた、と結論付けるのが妥当だろう。主催者側の睡眠薬の体験、という意向か?


 だが、それは危険かつ見過ごせない案件だ。睡眠薬と言っても薬だ。もし参加者の中に病気などで別の薬を常用している人がいたら知らずに併用していることになり、組み合わせによっては副作用が出て命に関わることになりかねない。


「危ないわね。さすがに一線越えてる気がするわ」


 僕と同じ危険性を感じたのか、山中さんも真剣な顔付きでこの問題に向き合っていた。


「ごちそうさまでした。あれ、そういえば愛唯ちゃんは?」


 我関せずの大輔は食事に集中していたので、皿の上にあった朝食は全て綺麗に無くなっていた。そして思い出したように長澤さんの姿を探す。そういえば、長澤さんの姿をまだ見ていない。


「まだ来てないみたいね」

「もしかして長澤さんも睡眠薬を?」

「可能性はなくはないわね」

「いや、きっと朝に弱いんだ。乱れた髪、寝惚け眼の愛唯ちゃん……キタコレ萌える!」


 たしかに長澤さんの寝起き姿も可愛いんだろうな……って妄想してる場合じゃねぇ!


「確認しに行った方がいいですかね?」

「そうね、たしかに心配だわ」

「行くなら俺も行きます!」

「じゃあ、三人で行きまし――」


『イヤァァァァァァァァァァァ!』


 突然食堂に響き渡った空気を震わせるほどの強烈な音。いや、音じゃない。叫び声だ。予期しない突然の声に僕はその場で固まっていた。


「な、何だ今の音?」


 大輔も驚きを隠せず呆然としていた。


「声よ。叫び声だわ」


 耳を抑えながら山中さんも答える。その流れで周りを窺うと、他の人も同様に驚きキョロキョロしていた。


「叫び声? 誰だよ、急に」

「心臓に悪いわ。やめてよね」

「ったく。鼓膜が破れたらどうするんだ」

「ち、違う。ここにいる人じゃない。ス、スピーカーからだ」


 誰かの指摘に壁に目をやると黒く四角いスピーカーが取り付けられていた。叫び声でありながらもどこか機械的な波長として聞こえた。スピーカーから発せられたものに間違いないだろう。


「何でスピーカーから人の叫び声が?」

「時報か何かか?」

「叫び声を時報? 聞いたことないぞ。それに、時報にしても中途半端すぎる」


 時計を確認すると八時五十一分。たしかに中途半端な時間だ。時報だとしても意味がない。


「今の女の子の声に聞こえなかったか?」

「たしかに。若い感じだったな」


 ドクンッ、と心臓が脈打った。


 若い女の子の声。そしてこの場にいない若い女の子が一人。答えはすぐに出た。


「長澤さんだ!」

「マジ!? 愛唯ちゃんなのか、今の声!?」

「間違いない! 長澤さんの身に何かあったんだ!」


 僕は席を立つと急いで食堂を出た。

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