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「長澤愛唯! おお、なんとうるさい……違う、えーとなんだっけ……潤い……違う違う……うる、うる……」

「麗しい?」

「そう、それ! なんと麗しいお名前!」

「ありがと。でも、私から言われる前に言って欲しかったな。嬉しさが半減」

「くそー!」


 長澤愛唯。可愛いの愛に唯一の唯でめい。唯一無二の可愛さを持つ彼女。名は体を表すかのように、まさに彼女にピッタリの名前だった。


「あなたは萩原君のお友達?」

「は、はい! 白井雄吉といいます!」


 盛り上がる二人を僕は眺めていたが、長澤さんの方からこちらに声を掛けてくれた。ここぞとばかりに僕は二人の側に寄り添う。


「二人共高校生だっけ?」

「はい、高校生です」

「二年生?」

「二年生です」

「じゃあ、私とタメだ。なら敬語はいらないよ」

「えっ、でも」

「同い年で敬語って堅苦しいでしょ? 私も気楽になるし」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


 初対面ではあるが、同い年という利点のおかげで多少の緊張が和らいだ。


「え~と、萩原君と白井君だよね。改めてよろしく」

「よろしく、長澤さん」

「よろしくね~、愛唯ちゃん!」


 下呼びだと!?


 平然と大輔がひらひらと掌を振る。いきなり失礼だろと問い詰めたい所だが、長澤さんは気にしている様子もなく、会話の雰囲気を壊したくないのでスルーする。僕も下の名前で呼んでみようかと思ったが、既に『長澤さん』と呼んでしまっているので今さら変えるのは忍びない。


「二人で来たってことはどっちかが当選者ってことだよね。萩原君と白井君、どっち?」

「僕だよ」

「まぁ、真の当選者は俺だけどな」

「どういうこと?」


 僕は大輔からの誕プレの経緯を話した。


「へ~、よかったね白井君」

「いや~、ホント嬉しかったよ。ミステリー好きには堪らないプレゼント」

「萩原君も良い人ね。誕プレでこんな素敵なプレゼントを用意するなんて」

「まあね! 俺はいつでもレディースアンドジェントルマンさ!」

「分けがわからん。大輔、それ意味分かって使ってるか?」

「淑女と紳士のように高貴な存在、って意味だろ?」

「まっっったく違う」

「催しが始まる前に呼び掛ける『皆さん』って意味よ」

「マジで!? 優しさが溢れる人に向けた言葉じゃないのか!」


 自分で優しさが溢れるとかよく恥ずかしくなく言えるな。


 大輔のボケ、それに突っ込む僕。それを楽しそうに受け答えしてくれる長澤さん。はぁ~、なんと素晴らしい時間なのだろう。こんな可愛い子と同じ時間を過ごすことができ、会話をするだけで心が洗われる。僕の人生万歳。


 長澤さんの参加の経緯も聞いてみると、彼女もミステリーを好んで読むようで、今回のイベントへもちょっとした運試し程度で応募。それが当選という形になり嬉しさが今も止まらないらしい。


「もうここに着いてからワクワクが止まらないの。気持ちを落ち着けようとあそこにあるドリンクとお菓子に手をつけようとしたけど、全然喉を通らなかったわ」


 長澤さんの目の前にはほとんど残っているオレンジジュースとクッキーが。ドリンクの下にあるコースターは完全に濡れており、彼女の言葉の真理を伝えていた。


「長澤さんは一人なの? 助手は?」

「あいにく、私の友達にミステリー好きな人はいなくてね。一人で来たの」

「残念だね。ミステリー好きじゃなかったばっかりにこんなチャンスを逃すなんて」

「たしかに」

「男だったら百パー付いてきただろうに」

「男の子になんて声掛けられないわよ」

「それはつまり彼氏いない?」

「いないわよ」

「立候補します!」

「はえーな!」


 大輔のハイテンションにも長澤さんは動じず、楽しそうに口許に手を当てて笑っている。さすがに真に受けているわけではないようで、長澤さんも『どうしようかな~』と返していた。


「若い子の仲睦まじい姿はいつ見ても良いものね」


 この香りはコーヒーだろうか、カップのドリンクを飲みながら山中さんが微笑む。とても失礼なことに、長澤さんとの会話に夢中ですっかり忘れてしまっていた。僕は慌てて謝罪する。


「す、すいません。山中さんを除け者にしてしまって」

「あら、気にしなくていいのよ。若い子の輪にこんなおばさんが入ったって邪魔でしょ?」


 言葉通りその声には優しさが含まれていたが、それが逆に申し訳なさを感じさせる。さらに、一瞬だが山中さんが僕に目線を配った。その目は『彼女とお近づきになれてよかったね』と物語っていた。余計に申し訳なさと感謝が募る。


「そういえば、山中さんは何を読んでいるんですか?」

「もちろんミステリーよ」

「タイトルは何ですか?」

「『微塵湖みじんこの怪異事件簿』」


 微塵湖の怪異事件簿。僕も読んだことのあるミステリーだ。


 底が見えるほど透き通るように澄み、太陽の光を受けた湖面は宝石を散りばめたような輝きを放つ有名観光スポット。しかし、その湖は三メートル以内に近付くことは禁止されていた。理由は、かつてその湖には龍神様が住んでおり不用意に近付いてはいけないしきたりがあった。そのしきたりを無視した近所の若者が数人夜中に遊泳していると龍神様の怒りに触れ突然体が爆発し、跡形もなく木っ端微塵になった。その由来から微塵湖と名付けられたとのこと。


 その側に建てられた別荘でその由来を調べようとしていた主人公達七人が一人二人とバラバラの遺体で発見された。まるで龍神様の怒り触れた若者のように。すぐに警察に連絡したかったが、何かの力が作用しているのか電話が繋がらず、さらに別荘から車や徒歩で出ようとするも何故かまた別荘に戻ってしまう。異空間に閉じ籠められたのではないか、龍神様の正体を明かさなければこの異空間から抜け出せないのではと感じた主人公達はこの謎を解いていく、というストーリーだ。


「それ、私読みました! 最高ですよ!」

「あら、やっぱり。まだ中盤までしか読んでないけど、この独特の雰囲気好みなのよね」

「分かります! 事件が起きてからの別荘の空気とか、登場人物達の恐怖と不安が手に取るように感じられて……」

「ミステリーというより少しホラーチックな部分もあるんですよね! ドア一つ開けるだけでも勇気がいる感じとか……」

「そうそう。私、それ読んだ夜トイレ行くの怖くなっちゃった」


 テヘッ、と舌を出して照れる長澤さん。可愛すぎる。


「そんなに良かったのね。でも、あんまり情報流さないでよ。楽しみがつぶれちゃうわ。私まだ読んでる途中なんだから」

「大丈夫ですよ。そんなタブーは犯しません」

「そうです。マナー、というより常識ですよ、常識」

「ありがと。やっぱミステリー好きは共通した感覚の持ち主なのね」


 あははは、と僕達三人は朗らかに笑った。


「なあなあ、それそんなに面白いのか?」


 唯一ミステリーを読まない大輔が不思議そうに聞いてくる。


「面白いよ。萩原君も是非読んで欲しい」

「いや、面白さが全く分からないんだが」

「大輔はミステリーを読まないからな」

「ミステリー読む読まない関係あるのか? タイトルだって変だし」

「何が変なんだ? 微塵湖の怪異事件簿。何も変じゃな――」

「微生物のどこがミステリーなんだ?」


 それミジンコォォォ! たしかに読みは同じだけど別もんんんん! 山中さん、本のタイトル見せてください!


 僕が山中さんにお願いしようとしたその瞬間、部屋の全てのカーテンが窓を覆い、暗転した。

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