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 鞍瀬さんと三野瀬に連れられて、僕と大輔は館へと向かった。どうやらイベントの参加者はすでに集まっており、僕と大輔の組が最後だったらしい。


 館の入り口は職人が手掛けたような幾重にも連なる丸い模様のある木製の扉。凹凸のある表面に、年代の味が凝縮されたような色褪せ具合。この扉一つでも何十万という値段がするような気がする。


 鞍瀬さんがドアノブを握り扉を開け始める。ギッ、という微かに重厚感のある音を軋ませ、固唾を飲みながら全開になると僕は足を踏み入れ、そして硬直した。


 中は想像通り、いや想像以上の内装だった。床は赤のカーペットが敷き詰められ、天井には見たこともないような大きなシャンデリアが浮き、そこから照らす明かりが燦々と降り注いでいる。


 右側にはホテルの受付のようなカウンター。白髭の生えた初老の男性が供えていた。奥の壁にはフックの付いたボード。おそらく部屋の鍵を掛けるためのボードだろう。今はほとんど何も無く、配電室やら地下室やらの鍵がぶら下がっているだけであった。


 左側にはこれまた学校の教科書で見たような甲冑が立っていた。何かの毛で作られたフサフサしたものが頭頂に取り付けられ、起立の姿勢で右手には一メートル程の刃のある剣、左手には体全体を守れるような幅広い盾が。


 甲冑の前には談話スペースのような空間があり、小さな丸テーブルと一人掛けの椅子。丸みを帯びた背もたれに足は細く、触れずとも目だけでも分かる柔らかそうな布地の腰掛け部分。その談話スペースを見守るように時を刻む振り子時計。銀色に輝く振り子が僕らを歓迎して手を振るように左右に揺れていた。


 正面には二階に続く階段。十段程昇ると左右に別れ、壁に沿ってそれぞれ二階に向かって延びている。手摺はシンプルな木製の黒色の作りではあるが、この館に相応しい存在感がある。


 口にできないほどの感動。まさに今僕はそれを味わっていた。自分が動くことがマナー違反であるかのようにただただそこに立ち尽くし、本物の感動を体感している。


 やっべ、涙出そう。感動で涙とか流したことないのに、今日初めて流しそう。


 目を瞑りギリギリの所で耐え抜く僕。あとほんの少しの感動場面に遭遇すれば一気に崩壊する自信がある。誰もいないならともかく、ここには大輔も鞍瀬さん、三野瀬さんと他人の目がある所で流すのはさすがに恥ずかしい。


 チラッ、と大輔の方を窺うと、僕と同じ様に目を指で抑えて何かに堪えている様子だった。


「だ、大輔……」

「雄吉」

「ああ」

「ここ眩しくて目に悪くないか?」


 え~、そっち~!? 感動の目の押さえじゃなくてただ眩しくて押さえてただけ!?


「ただでさえシャンデリアなんて明るさの象徴なのに、床も赤のカーペットで敷き詰めて反射が堪らん。さっきから目がチカチカする」


 溜まっていた涙が一気に引いた。一瞬でもお前を同志と思った僕が間違ってたよ。


「サングラス持ってないか?」

「持ってるわけないだろ」

「だよな~。どうしよ」

「知らん」

「親友が苦しんでるのにその態度は冷たいんじゃね?」

「苦しめ苦しめ。ミステリーが分からない人間なんか苦しめばいい」

「お二人さん、こっちで手続きするんだよ」


 三野瀬さんに手招きされ、右側のカウンターに寄った。大輔は目を細めながら僕の後に付いてくる。


「ようこそおいでくださいました」


 初老の男性が恭しく頭を下げてくる。名前は立花新之助たちばなしんのすけ。このイベントの受付をしているそうだ。


「立花さん、この子達の手続きお願いできますか?」

「かしこまりました。では、まず招待状をご提示ください」


 僕は言われた通りにカバンから招待状を出してカウンターに置く。受け取った立花さんは戸棚からライトと黒い布で覆われた箱を取り出し、招待状を箱の中に入れてからライトのスイッチを入れた。覗き込むと明かりが当てられた招待状には大きく丸で囲まれた『四』の文字が青く浮かび上がっていた。


「……たしかに。間違いなくこのイベントの当選者様ですね」


 立花さんの行動に疑問の目を向けていると、察した立花さんが説明してくれた。


「このイベントは人気がございまして、偽物の招待状を持って現れる者が度々いるのです」

「なるほど。それを見極めるための工夫なんですね」

「はい。今朝も若者の組が偽物の招待状を持って現れましたよ」


 長い間文句を垂れていたが丁重にお帰り願った、と立花さんは言った。丁重に、という単語が微かに語彙が強かったような気がしてなぜか頭に引っ掛かったが、詳しくは聞かなかった。


「でも、ブラックライトで招待状の真偽を見極めるなんて洒落てますね」

「もちろん、常にというわけではありませんよ。毎回異なります。それでは真似されてしまいますから」

「たしかに」

「それに、ミステリーイベントなのだから最初から最後までただのイベントで終わらすな、という主催者様の意向でごさいます」


 招待状の提示でさえミステリー要素が含まれている。主催者はかなりのミステリー好きに違いない。 


「なあなあ、雄吉。何でこのライトで青く文字が光ってるんだ?」


 大輔が不思議そうに招待状から目を離さずに肘を付いて僕に尋ねてきた。


「ブラックライトだよ。紫外線ライトとも言うんだけど、これは普通のライトとは違って蛍光物質に反応するんだ」

「蛍光、ってことは光る物質のことか?」

「そう。通常の光では反応せず、紫外線のみに反応して発光する現象さ。身近にあるものなら洗濯洗剤なんかそれに当たるかな。水に混ぜて紙に書くと普通には見えないけど、このライトを当てると光って浮かぶんだ」


 ミステリーでは血液の反応を見るためのルミノール反応なんかが主流である。ルミノール液を吹き掛け、ブラックライトを当てると血液内のヘモグロビンが青く光る、というものがドラマのシーンでよく見掛ける。ただ、実際はあそこまで長く光ることはなく数秒で反応が消えるようだ。


「白井様の言う通り、今回この文字には洗剤を利用させてもらいました」

「果物でも蛍光物質が含まれる物があるんだよな」

「ライトじゃないけど、レモン汁を染み込ませた紙を火に近付けると焼け跡で文字が浮かぶ『炙り出し』ってのもあるわね」

「あ、それじいちゃん家でばあちゃんがやってるの見たことある」

「あれもブラックライトと似たような原理だよ」


 なるほど、と大輔は納得するように頷いている。


「では、招待状の真偽も判明しましたし、手続きの再開をします。白井様が当選者、萩原様が付き添いの方で間違いないでしょうか?」

「はい。間違いないです」

「かしこまりました。次にここに名前と住所、電話番号、職業を記入してください」


 言われた通り僕と大輔は各項目を記入した。


「白井様は二○八号室、萩原様は隣の二○九号室となります。お荷物はこちらでお預かりし、後程お部屋にお持ち致します。まずは、そちらの先にあるホールに赴きください」


 立花さんの指示する左の通路。その先に他の参加者全員が待機しているらしい。ついでなので立花さんにイベントの事を他にも色々聞こうとしたが、どうやら立花さんは主催者の関係者ではなく派遣された人員のようで、このイベントの準備のみを任されているとのことだった。この後も指示された内容の仕事を済ませたら夜にはここを発つみたいだ。


 僕と大輔は荷物を預け、鞍瀬さん達とホールを目指す。後ろで立花さんの優しい声が耳に届いた。


「最後まで本イベント、存分にお楽しみくださいませ」

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