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 突然の怒鳴り声。僕は驚いてビクッ、と体が強張った。声のする方に顔を向けると、館の入り口から一人の男性が。黒髪ショートのそばかす顔。白のシャツを首元のボタンまでしっかり留め、寸分の狂いもない位置で襟には黒の蝶ネクタイ。折り目がしっかりと付いた黒のパンツに汚れ一つ磨かれた黒のシューズ。まるで執事のような佇まいだ。


「君達、そこで何をしている!」


 先程と同じ台詞を吐きながら男性がこちらに近付いてくる。


「ここは私有地だ! 勝手に入ってもらっては困る!」

「い、いや、あの、えと、その……」


 今日ここで開かれるミステリーイベントの参加者として来たんですが、という台詞が頭に浮かぶものの口には出せずにいた。


 勝手に入ったのではなく、正当な理由がこちらにはあるのだから躊躇わずに言えばいいのだが、いきなりの怒鳴り声に萎縮し、まるでイタズラに入り込んだ近所の悪ガキのような心境に陥ってしまったのだ。


「私有地のわりには看板は無かったと思うんですが?」


 僕とは正反対に、大輔は平然と男性に向かって反論する。


「看板があろうがなかろうが私有地は私有地だ。許可なく勝手に入ったのなら不法侵入として訴えるぞ」

「へ~、不法侵入ですか」

「そうだ。君達は見たところ高校生ぐらいか。その言葉くらいは聞いているだろうし意味も知っているだろ」

「そりゃ分かります」

「なら今すぐ出ていくんだ」


 ビシッ、と男性は入り口の門を指差す。僕は一瞬入り口を見るが、疑問が浮かんでくる。


 おかしい。僕達はイベントの招待客だ。この場に赴く理由があるのに、なぜここまで門前払いのような扱いを受けなければならないのだろう。もしや、イベントの参加者と見られていないのか? ならば、この招待状を見せれば納得してくれる?


 しかし、いきなりこの態度というのはしっくりこない。もし、無関係な人間だったとしても普通なら『イベント参加者の方ですか?』という質問が来るのではないか。端から相手は僕達を不法侵入者として決めつけている。


 もしかして、ここはイベント会場じゃないのか?


 ある可能性が浮かび上がる。それならこの男性の態度にも納得する。自分の住まう土地に見知らぬ人間が現れたのなら誰だって怪しむ。道を間違えただろうか。だが、ここまで道は一本道だった。間違えようが……。


「……プフッ」


 すると、男性の顔が崩れ始め、堰を切ったように大声で笑い出した。


「アハハハハハハハッ!」


 男性の笑い声は数秒にも渡り、僕と大輔はポカン、とその場で立ち尽くしていた。


「はぁ~、腹いてぇ。ねじ切れそうだ」

「さすがにイジワルし過ぎだったんじゃなかったの?」


 またもや新たな登場人物。今度は茶色の長髪に赤い口紅が目立つ女性。灰色のシャツとカーディガンを身に付け、カーディガンは首回りで結んでいる。スラッと細身の脚にフィットした紺のパンツに少しだけ足首が見え隠れしていて、モデルのようなスタイルだ。


「勝之、子供相手に何してるのよ」

「いや~、悪い悪い。ついね、つい」

「その性格、ホント直した方がいいわよ」

「分かってるよ」


 僕は何が何だか分からない様子で二人の会話を聞いていた。


「ごめんなさいね。いきなりでビックリしたでしょ」


 女性が耳元の髪を指で整えながら僕の目線に合わせて謝罪してきた。近付いたことで女性特有の甘い匂いが鼻孔をくすぐる。


「あなたたち、イベントの参加者でしょ?」

「あ、はい。そうです。でも……」

「どうして分かるのかって? そりゃこんな山奥に足を運ぶ人間はイベント参加者の他にいないでしょ」

「ここまで道は一本道。どんな方向音痴でも迷いようがない。ましてや、用もないのにあの道を歩く物好きもいないだろ」


 勝之と呼ばれた男性が蝶ネクタイを解きながら、先程の態度とは一変した砕けた見た目と雰囲気で会話に参加してくる。


「ということは、あなたたちも?」

「そう。俺らもイベントの参加者さ」

「よろしくね。私は三野瀬有栖みのせありす

「俺は鞍瀬勝之くらせかつゆき。二人とも大学生だ」


 自己紹介が始まり、俺と大輔も名前を伝える。会場を間違えたかと不安になったが、どうやら僕の疑念は晴れたようだ。しかし、新たな疑惑が浮かぶ。


「さっきのあれは何なんですか?」

「ああ、帰れって言ったやつ? 悪い悪い。君らが門に現れたのを見て、つい」

「つい、って何ですか?」

「勝之はね、イタズラが大好きなのよ」

「イタズラ?」

「だってよ、最高じゃん。驚いた時の表情、って。素の顔から眉、目、鼻、口、頬と顔の部位が一瞬にして変わる様は」


 嗜好品を味わうように、腕を左右に広げて満面の笑みで答える鞍瀬さん。僕もようやく落ち着いて冷静になれたのか思考が冴えてきた。鞍瀬さんの行動原理が読み取れるまでに。


「なるほど。たまたま窓から僕達の姿が見え、特にこの館や庭に見惚れてる僕は絶好のカモだと踏んだ鞍瀬さんは執事のような身なりになり、ここがイベント会場ではなく別の持ち主の館という設定で接してきて反応を楽しもうとした、という所ですか」


 お返しというように僕が得意気に話すと、今度は鞍瀬さんと三野瀬さんがポカン、と僕の顔を見返していた。


「……ほう」

「完璧に読まれてるじゃん」

「ミステリー好きならこれくらい余裕で思い付くでしょ」

「やるね、白井君」

「さすがイベント参加者なだけはあるな」

「ライバル出現なんじゃない、勝之?」

「ああ。こいつは気を引き締めないとな」


 ニヤニヤと笑っていながらも、今度の笑みはイタズラを楽しむ類いではなく、要注意人物を見るような笑みだ。なぜだろう、悪い気はしない。


「でも、萩原君も侮れないよな」

「大輔が?」

「君も俺が怪しいと睨んでたろ?」


 鞍瀬さんの台詞に僕は大輔に振り向いた。


「そうなのか?」

「さっき不法侵入の話が出たろ? その時点で『ん?』とは思った」

「何でさ。別におかしな事は言ってないだろ」

「いやまあ、たしかにそうなんだけどな。ウチのじっちゃん家が農家だって言ったろ? だからじっちゃんも山に私有地を持ってるんだけどさ、山菜取りや木を伐ってるとかなら話は別だけど、ただ侵入してるだけなら訴えることはほとんどしないらしいんだ」


 不馴れな人が間違ってルートを外れる、迷って知らずに私有地に入る人等、故意でない人の方が大半なのだと。不法侵入ではあるが悪意はないのだから、わざわざそれだけで訴えることはせず注意するだけで終わるそうだ。


「だから、いきなり不法侵入で訴える、なんて言うもんだから変だなとは思った」

「あちゃー、そこまでは知らなかった」

「勝之、一本取られたね」

「俺もまだまだ知識が足りないな」

「推理に知識は不可欠な要素だもんね。日々精進しなさい」

「うっせい。でも、小説や専門書だけじゃなくこうして実際に経験してる人の意見は勉強になるな」

「たしかに。滅多にないもんね」


 鞍瀬さんと三野瀬さんの会話から、僕と同じ匂いが漂ってくる。 


「お二人もミステリーが?」

「ああ。好きだぜ。特にこの三野瀬はな」


 二人は大学の推理研究部というサークルの仲間だそうだ。十人ほどいるメンバーで、当然だが参加は二人のみ。資格の取り合いが始まったとのこと。揉めに揉めてくじで選出することになり、選ばれたのが鞍瀬さんと三野瀬さんという経緯らしい。


「謎が謎を呼ぶ展開。疑心暗鬼の渦に呑まれる登場人物。そして暗雲から一気に晴天になるような推理ショー。あー、あの爽快感は中毒になるわ」

「ここに着いた時、三野瀬は白井君と同じ顔してたぜ」

「あんただって似たような顔してたわよ」

「そりゃ、そそられるだろ。まさにザ・ミステリーの世界に飛び込んだような場所なんだから」


 おお! 同志が! 仲間がここに!


「ですよね! この雰囲気、堪りませんよね!」

「ええ! もうここにずっと寝泊まりしたいぐらいよ!」

「事件なんかなくとも飽きない自信があるね!」


 まるで昔からの知り合いのように、僕と鞍瀬さん、三野瀬さんは盛り上がる。


「一ついいか?」


 唯一輪に入っていない大輔が珍しく恐縮するように手を挙げて意見を言う。


「何だよ、大輔?」

「盛り上がってるとこ悪いんだが、さっさと館に入らないか? こんな交通が不便な山奥に住みたい気持ちが分かりもしないし、ぶっちゃけ興味もないからさっさと館に行って参加の手続きした方がいいと思うのは俺だけか?」


 お前だけだ! と三人の心の声が通じ合ったのは言うまでもないだろう。

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