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 腰の下から感じる独特の駆動音に年期の入っているだろう車輪音と車体の揺れ。いつの広告かも分からない色褪せたポスター。傷や汚れがある窓から見える林なのか森と言うべきか、木々の生い茂った自然がかれこれ一時間近く続いていた。換気の目的か三センチ程開いている窓からもこの地特有の匂いが鼻孔を刺激する。


 視覚、聴覚、嗅覚が日常と親しみのない情報を捉え、脳内で今僕は非日常の場所にいるということを教えてくれる。そう、僕は今旅行に出掛けている。大輔に貰った誕生日プレゼント。ミステリーイベントへの参加招待状。そのイベント会場へと足を運んでいるのだ。


 今日は木曜日。本来なら学校へ行って机に座り授業を受けているのだが、学校を休んでいる。イベントは木曜日の昼から日曜の夕方の四日間で開かれるらしく、開催地も遠いことから僕は学校を休んで日が昇る前の暗い朝から移動をしていた。


 大好きなミステリーのイベントへの参加。

 親しんだ土地を離れたちょっとした小旅行。

 そして学校を私用で休む。


 ただの高校生という身分でありながらこれでもかという贅沢三昧を行っている。これで楽しめない人間がいるだろうか。いや、否だ。テンション爆上がりで昨日から興奮して一睡も出来ず、むしろ眠る時間が惜しいほどに最高の時間を堪能出来ているのだった。


「……ウオェェェ」


 ……電車酔いさえしてなければ。


「まだ酔い治らないのかよ、雄吉」


 向かいの席に平然と座ってさきイカを頬張る大輔が僕を哀れむ。


 今回のミステリーイベント。招待状一枚に付き当選者本人ともう一人希望者がいれば付き添うことができると明記されていた。探偵とセットとなる助手という立ち位置だろう、これまたミステリーではお馴染みの設定。というわけで、大輔にその助手を努めてもらうことにし、一緒に目的地へ向かっていた。


「だ、だってこの電車揺れひどくない?」


 片側は林のような木々があり、反対側は畑や田んぼがズラッと広がっていることからここはとてもとても田舎なのだ。東京にあるビルや電光掲示板など欠片もなく、唯一匹敵するのは何十メートルにもなる三角錐形の電柱だけだ。


 そんな田舎の電車だからだろうか、メンテナンスやら線路の補修といったのが不十分なのか揺れがとにかくヒドイ。左右ならともかく前後にも上下にも揺れが発生し、それを一時間近く浴びせられているのだ。酔うなという方が無理がある。


「そうか? たしかに少しは揺れが大きいけど、田舎の電車ってそんなもんだろ?」

「これのどこが少し!?」


 こいつの三半規管はどんだけ太いんだ。いや、神経が麻痺してるんじゃないか?


「そ、それに匂いも酔いの原因だよ」

「ああ。この糞の匂いか」


 肥料に使われているのだろう、牛糞やらの匂いが開けられた窓から風と共に車内に入り込んできている。閉めればいいだけなのだが、古くて錆びているのか窓が上下にピクリとも動かず絶対的な位置を維持していた。動かざるごと山の如し。


「たしかに都会の俺達には嗅ぎ慣れてないよな」

「そんな中お前はよくさきイカを食えるな」

「まあ、俺はもう慣れたし」

「いやいや、慣れたから食えるもんじゃないだろ。神経おかしいんじゃね?」


 糞だぞ? ウンチだぞ? その匂いがある中でものを食えるとか考えられない。


「そんなこと言ったらここの地域に住んでる人達はどうなるんだよ。全員神経おかしいのか?」

「いや、そういうわけじゃ」

「臭い臭い言うのは自由だけど、その糞のおかげで野菜や米が立派に育って俺達は食べられてるんだぜ。農家のその働きがなけりゃ今頃食料不足だ。それでも文句言うつもりか?」


 大輔から説教っぽいお叱りが始まった。


「べ、別に今は糞じゃなくても有機肥料は沢山世の中にあるじゃないか」

「アホウ。農家の仕事ナメるなよ。ここ最近始めた農家ならともかく、農家のほとんどは何十年、長いとこなら百年以上続けているんだぞ。そういうとこは技術や知識、製法を先祖代々受け継いできてて、これから先もそれを伝えていかなきゃならない。云わば、ちょっとした義務や伝統なんだぞ」

「それは言い過ぎじゃないか?」

「全然言い過ぎじゃないな。過去を捨てて新しいことに切り替えるのが筋だというなら、歴史の授業なんか必要ないだろ。武士が何人斬り倒して名を上げただの、どこかの城は何年に建ちましただの言ったところで『だから何?』ってなるじゃん。今はドローンでテロが起こせる時代で、東京スカイツリーがありますので、の一言で終わる。それじゃあ歴史は何の意味が?」


 真剣な大輔の表情に僕も真面目に答える。


「過去を……忘れないため?」

「そうさ。今俺達が生きていられるのは過去からの積み重ねがあったからこそだ。スカイツリーが建てられたのもこれまで建ててきた建造物の経験があったからあの形で建てることができた。ドローンだって子供用に作られたラジコンから進化して生まれたようなもんだ。有機肥料の開発だってこれまで農家で使われていた肥料を元に調査してようやく辿り着いた結果だろ? つまりは製法をずっと守り続けてきた農家の努力の賜物だ。その元祖を守る必要がない、と?」

「うっ……」


 大輔の正論にぐうの音も出ない。まさか大輔に言い負かされるとは。


 ずいぶん農家のことに詳しいなと思ったが、どうやら大輔の祖父母は農家を営んでいるらしい。幼少から長期休みに遊びに行ったりしていたようだが、その時によく農作業を手伝ったりしたようだ。畑の耕しから種蒔き、薪割り、家畜の世話、農具の使い方等、農家の仕事の大変さを知ったとのこと。そして、祖父母から教わった農家の仕事内容や昔話をよく聞いた影響で、過去の出来事に興味を持つようになったようだ。


 そういえば、大輔は歴史の成績は高かった。平均六十~七十点台にも関わらず、大輔は九十点台を叩き出していた。これはクラスのみならず学年一番の点数でもあったと先生から報告があった記憶がある。


 まあ、他の科目は赤点ギリギリだったけど……。


「というわけで、食い物には人の努力の歴史があるわけだ。ありがたく感謝して食すように」

「ご高説どうも」

「じゃあほれ、さきイカ食え」

「いや、それは無理」

「なんだと~! 雄吉、今俺の話聞いてたのか!? 匂いがとか関係な――」

「そっちの理由じゃないわ! まだ酔いが治ってないんだよ! 乗り物酔いしてる人間にさきイカ食わそうとすな!」


 さきイカに罪はない。しかし、乗り物酔いにさきイカは酔いの助長の要素でしかない。乗り物内じゃなくとも、自宅で食べ過ぎて気持ち悪くなる人もいるぐらいの代物なのだから。


「まだ治らないのか。さっき薬飲んでたろ」

「どうやら薬では打ち勝てないぐらい揺れと匂いが勝っているらしい」

「というか、酔いの原因普通に寝不足からじゃね? お前、昨日一睡もしてないとか言ってたじゃん」

「そ、それは二割ぐらいは当てはまるかも」

「俺的には八割原因だと思うがな」


 そんなことはない。テンション上がって眠らず体調管理怠って酔いました、なんて小学生じゃないんだ。僕は高校生だぞ。これは電車の揺れと入り込む糞の匂いのせいだ。


「外の眺めを見ると和らぐって聞いたことあるぜ」

「俺もそれやってたけど、ずっと同じ景色だから気分転換にもならなかった」

「じゃあ深呼吸だ。ほら吸って~吐いて~」


 無難な案だな。試してみよう。


 ゆっくり息を吸って――あっ、やべ。糞の匂いを思いっきり吸い込んじまった。


「う……う……ウオェェェ!」

 

 後の祭り。気持ち悪さに盛大に吸い込んだ糞の匂いが限界点を越え、盛大にポリ袋の中へとぶちまけた。大輔は当たり前のように自然の流れで僕の背中を擦ってくれる。


「深呼吸で息を吐かずにブツを吐く奴初めて見たよ」 

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