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 小説を読んだことのある人なら共感できると思うが、読後の余韻はたった一人の空間に身を置き浸りたいものだ。頭の中で物語を反芻し、印象に残ったシーンや登場人物の心情を再び甦らせる大事な大事な時間、いや儀式だ。僕はこの余韻も含めて小説を楽しんでいるというのに、目の前の男が台無しにし深い溜め息が自然と溢れた。


「くそ、せっかくの気分が……」

「お前、主人公にでもなったつもりなの?」

「は? 何だよ、いきなり」

「いやだってさ、目瞑って体小刻みに震わして『俺、今猛烈に感動している!』みたいな様子だったぜ」


 ああ、感動していたさ。これだけのミステリー読み終わって感動しない人間がいるわけがない。


「何て言うかな……『世界は救われた。僕は運命に打ち勝ったんだ。辛くて何度も挫けそうになったけど、みんなの声が僕を何度も立たせてくれた。ありがとう……』的な?」

「何そのアニメみたいなの!?」

「いや、こっちか。『この目の力ももう使うことはないな。ふっ、あれだけ忌み嫌っていたこの目も、いざ使わなくなると少し寂しいな』かな?」

「中二病も来たぞ!? そんな変な感じだった、僕!?」

「う~ん、なんか違う……あ、あれだ。『突然現れた人語話せる動物に世界の危機を救えと契約されて変身してモンスターと戦って仲間と協力しながらボスを倒したけど実はその人語動物が諸悪の根源で騙されてショックで泣きそうになっていた』。うん、これしっくりくる」

「全然違うわ! 小説読み終わって感動してたんだよ!」


 どこかで観たことのある設定アニメにツッコミを入れそうになりながらも、僕はさっき読み終わったミステリー小説を机の上に叩きつけた。


「今度は何読んでたんだ?」

「ミステリー」

「またか。お前、ホント好きだな。よく飽きないな」


 つまらなそうに大輔が頬杖を付いてこちらを見てくる。


「飽きるもんか。ミステリーほど面白いジャンルはない」


 ラブコメ、SF、ファンタジー。他のジャンルもこれまで手を出してきたが、どれも長続きしなかった。個人的な印象だが、どうもキャラクターに重視を置いている感が性否めず、物語に緻密さが感じられなかったのだ。


「俺は無理だな。頭使いそうだもん」

「ミステリーが無理というか、そもそも大輔は小説を読まないだろ」

「読まないね。俺は漫画専門だ。文字ばっかの本のどこが面白いんだ。絵がないから状況が分からないし」


 大輔はバトル漫画、特に剣や魔法を扱うファンタジー要素ありの漫画が好みだ。


「バトル状況をそのまま文字にしているだけなんだから容易にできるでしょ」

「いやいや、わからんって」

「分かるよ。例えばさ、剣に炎が纏っていく様子は小説では『煌々と燃え盛る炎が刀身の周りを渦巻くように駈け上がっていく』とか」

「なげーよ。絵なら一瞬で分かるのに文字だと全部読まなきゃわからないんだぜ? あぁぁぁ首が痒い!」

「そこを自分でイメージするからいいんじゃないか。想像力を掻き立ててくれる」

「あ~無理無理。俺、想像とかイメージとか面倒臭い。見たものをそのまま受け入れたい派」


 まるで正反対の僕と大輔。そもそも僕と大輔は人間性能的にも真逆の存在だった。小説が好みのインドア派の僕。運動部には所属しないものの体を動かすのが好きで体力も有り余ってるアウトドア派の大輔。内向的で友達が限られた僕。社交的でクラス外どころか学外にも友人がいるという大輔。


 表と裏。

 陰と陽。


 嗜好も異なる僕らは通常なら関わるどころか会話すらしないはずなのに、なぜか大輔とは学校でも学外でもつるんでいた。


「小説読み終わったんだろ? なら帰ろうぜ」


 大輔がそう言うとその台詞が合図だったかのように、窓の外から十七時を告げる鐘の音が鳴り響いた。


「もうこんな時間か。たしかに、そろそろ下校しなきゃ」


 僕は荷物を整理し、鞄を肩に掛ける。


「ところで、大輔は何でここに来たんだ? 先に帰ってなかった?」

「いや、そのつもりだったんだけど声が聞こえたのさ」

「声?」

「そっ。可愛らしい女の子の声で『聞こえますか? 誰か聞こえますか? 助けてください。ああどうか、どうか助けてください!』って」


 声を裏返し、願うような仕草で大輔が助けを求める女の子を演じる。


「テレパシー? って言うんだっけか。耳じゃなくて頭の中に届くように聞こえてさ。うお、俺選ばれちゃった? なんかの運命に導かれちゃった!? って漫画的シチュエーションにテンション上がっちゃったよ」

「テレパシーを信じるのか。さっき見たものをそのまま受け入れたい派とか言ってたのはどこの誰だっけ?」

「女の子が助けを呼んでるだぜ? 男として見過ごすわけにはいかないだろ」

「へー」

「あの声はもう俺のどストライク。きっとサラサラツインテールでツンデレ属性で今はまだ貧乳だけど、将来ボインになる可能性を秘めたキュートな女の子に違いない!」

「へー」


 僕は空返事をしながら教室を後にする。


「きっとホログラムみたいなやつがどこかにあって、そこから声が聞こえて来てるんだと思うんだよ。そんで消えそうな所で『せめて……せめてお名前だけでも!』って所でギリギリ『リリィ』という名前だけ聞き取れてまずはその子を探す旅が始まる――ってあれ!? 雄吉!? どこだ雄吉ー!」


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