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「目の前にあるものだけが証拠ではない。そこに無いものこそ証拠なのである、か。なるほどな~」


 時刻は午後十六時五十分。僕、白井雄吉しらいゆうきちは誰もいない教室で一人読み進めていたミステリーの台詞を反芻した。


 僕は小説を読むのが好きで、その中でもミステリーが特に好きだ。殺人事件が起こり次々と犠牲者が出る中、最後には探偵役が全員を集め、まるで演説のように華麗に謎を解く。ミステリー小説として王道のこの展開が何よりも好みだった。


 文章のどこに伏線が混ざっているのか分からいから最初から最後まで気が抜けず、この表現は怪しい、この登場人物の台詞は何か意味があるのか。そんなあらゆる情報が頭の中に飛び交い、解決編に辿り着く頃にはごちゃ混ぜに絡み合った糸のように脳内を支配する。しかし、探偵はそれを見事に解きほぐし綺麗な真っ直ぐの一本の糸を提示してくれる。このほぐれていく瞬間が堪らないのだ。


 今読んでいるミステリー小説もその部類に入っていた。タイトルは『虹の館の殺人』。タイトルにあるように虹のような外観をした館。室内もあらゆる色で塗り潰され、カラフルというには逸脱した環境で起こる連続殺人ものだ。


 赤で統一された宿泊部屋。青色のキッチン。緑色の廊下。黄色の談話スペース。色が嫌でも目につく環境に慣れてしまったが、実はそれが犯人の意図したことだった。色の存在が強すぎて本来そこにあるべき物(凶器)がないことに誰も気付かなかった。色さえなければ容易く導き出されたであろう結末だったが、僕は全く気付くことなく小説内の探偵だけが真実を見据えていた。


「くそ~。こんな単純なトリックに気付かなかったなんてな~」


 額に手を当てて天井を見上げる。悔しい気持ちになりながらも、心は踊るように高揚している。こんな感覚になるのは久し振りだった。


 世の中にあるミステリーの内容は様々に渡る。私生活の中で何気ない出来事をまるで謎のように扱い解き明かしていく日常ミステリー。恋心をテーマにして揺れ動く心情を描いた恋愛ミステリー。最近ではこういった内容のミステリーが人気にある傾向で、本屋に行けばだいたいがこの系統のミステリーが棚に並んでいる。


 僕が好みなのは虹の館の殺人のようなミステリーなので、定期的に足を運ぶ本屋の新刊コーナーになかった時は寂しかったものだ。そんな中でようやく見つけたのがこの『虹の館の殺人』。迷わず手を伸ばしてあらすじを読み、ど真ん中一直線と分かると否や即レジへと向かい会計。それが昨日のことだ。


 急いで家に帰り、食事と風呂を短時間で済ませベッドで読み始めた。本来なら文庫一冊は寝る前の数時間で読み終わるのだが、久し振りのクローズドサークルミステリーなのでじっくりと読もうと決め、昨日の夜から徐々に読み進めこうして放課後の教室でようやく読み終える所なのだ。


 クローズドサークルミステリー。我が心の支え。昨日も夜中の三時まで読み進めていながらも眠気はなく、授業中も一睡もしなかった。頭の中は続きの展開が気になって気になって仕方がなかったからだ。まあ、そのせいで今日一日の授業の内容全然覚えてないけど、それは帰ってから復習すれば問題ない。


 僕は読み終えた小説を大事そうに閉じ、目を閉じて暫しの余韻に浸る。感動の震えに体が止まらず危うく涙まで流れてしまいそうだったが、教室には僕以外誰もいない。つまりは誰の目にも入らない。今この時この場所は僕だけの空間。僕が支配しているのだ。涙を流そうが歌を歌おうが誰の迷惑にも掛からない。


「涙は流しません。僕は男の子だから」


 そう。僕は男の子。涙は流したりはしない。


「悔しい。悲しい。でも、それを乗り越え僕はまた一つ大きな成長を遂げました」


 その通り。僕はまた一歩前進したのだ。


「その証として僕は親友の大輔にマックでポテトを奢ろうと思います」


 うんうん。成長の証として大輔にマックでポテトを……奢るの? 何で?


 自分の思考がおかしな方向へと進んでいることに気付いた僕は目を開けて現実へと戻る。


「よっ。ようやく自分の世界から帰ってきたか」

「……何してんだ、大輔?」


 敬礼のような仕草をしながら、はにかんだ笑みで僕を見つめる一人の男子生徒。茶色がかった短髪に口から見える八重歯。明るさというもののお手本のようにハキハキとした人物は僕の友達、荻原大輔おぎわらだいすけがそこにいた。

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