1-X オラール家令嬢記憶喪失事件 file.???

 

 


「君、あるいは君たちと呼ぶべきか」

 其処は書斎だった。否、どうだろう。この場所を、私はどう呼べばいいのだろうか。書斎だと――思う。立派な机と椅子があり、本の並んだ棚が複数あり、灯りがあった。それだけの部屋だった。これは書斎と呼ぶことを是とする場所なのだろうか。『それは正しいか?』。何故か私はそれを考えた。この部屋を書斎と呼ぶべきなのかどうか。数瞬の後、私は、その思考がとんでもなく無意味であることに気付いて、考えるのをすぐさまやめた。この部屋がどう呼ばれる場所だとしても、目の前に座る男が余りに不愉快であることだけは、あらゆる説明も不要なほどに明らかで確かなことだった。否――『これ』が男であるのかどうかも、私は判断できていなかったが。

 不愉快、そう、不愉快だった。

「君たちは皆、私の『出来ること』だけを見て私に神なる呼称を与えているのかもしれないが、私の認識において、私は神ではないのだ」

 馬鹿にしている、と私は思った。

 馬鹿にしている。

 馬鹿にしている。

 馬鹿に――されている。

 では、私は何故死んだのだろう?

 何故殺されたのだろう?

 何故。何故。何故――何故!


 私はこの男のために殺されたのに!


「まあ、君は、暫く此処に居ると良い。私が手配をしておくからね」

 男の言葉に一つの侮蔑もないのが、更に私の神経を逆撫でする。精一杯に睨んだ――生前こんなことをしたことがなかったので、慣れなくて目が痛かった――が、男には何の影響も与えなかったようだった。ただ空へ浮かぶ星のように、些かも情動を抱くことなく、男は机の上に置いていた真っ白い陶器の瓶を手元に寄せた。花瓶のようだが、花瓶ではないだろう――何しろ、本体同様真っ白な蓋が乗せられていたからだ。花瓶であれば蓋などつけまい。それに、花を飾るには質素過ぎる。中には何が入っているものか。

「骨だよ」

 男が呟いた。骨。骨を入れた瓶とは――奇怪である。そもそも骨だけを残して何の意味があるというのか? 骨など、墓の下に黙って埋まっているだけのものであろうに。

「正直に言えば、私は、君たちの狭い視野には幾らか辟易している。仕方がないけれどね」

 かくあるべきとはただの一側面にしか過ぎないのだが、と男は言った。かくあるべくして死んだ私にとって、男の言い分は理解できないものだった。

 そこでふと――私は考えた。そう言えば何故、私は自分を死んだものとして認識しているのだろう? 確かにここは知らない場所だし、知らない男を前にしているけれど、この男が神を詐称する狂人の類だとどうして考えなかったのだろう?

 それに、『どうして私は、この男のために殺されたと認識しているのだろう』?

 ここはどこで、私は何をしている?

 この男は何をしている?

 何も、一切わかりはしていないはずなのに――

「君は自分が死んだと認識している」

 どきりとして、私は肩を震わせた。それは少し怯えているようにも思えて――自分で言うのも嫌で仕方ないが――そのように見られていたら屈辱だと思って男を窺う。だが男の視線は、私の方を向いてはいなかった。自分の、笑ってしまうほどにささやかな尊厳などというくだらないものが傷つかなかったことに幾らか安堵して、私は同時に悔しさで唇を噛んだ。怯えていることを笑われなかっただけで安堵してしまう自分の浅ましさが疎ましかった。

 男が瓶の蓋を開ける。

「――何故、なんて」

 男が瓶の中身を、『私の体に流し込む』。

 あ――と、私は気が付いた。

「そんなことはね、私が一番聞きたいことだよ」

 この会話をしたのは、確か。


 

 

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