セレスティーヌ・オラールの数奇な事件簿~転落死したはずの俺が同じく死んだはずの悪役令嬢に成り代わって生きるまで~

蔵野杖人

1-1 オラール家令嬢蘇生事件

 

 

 バンッ。

 多分、最後に聞いたのはそれだけだったと思う。下に停められていた車へ背中から落ちたのだ。持ち主には悪いことをした。もしまた会えるなら、その節は誠に申し訳ないことを致しましたと菓子折りを用意する必要があると思う。

 尤も、俺に『また』とか『次』なんてものはなかったわけだが。

 そういうわけで、俺はマンションの七階ベランダから転落して死んだのであった。


(……あれ)


 そのはず――だった。俺は目の前に広がった有様に瞬きをして、それから、自分に意識があることに驚いた。いや、だってそうだろう。マンション七階のベランダから落ちて生きているはずがない――生きているとしたらそれはテレビ番組に取材されるレベルの奇跡である。というか、そもそも。

(……これ、日本か?)

 高い高い、多分教会と思しき天井やステンドグラスは、日本では早々お目にかかれるものではない。どちらかというとヨーロッパにあるような光景に、俺はまた瞬きをした。それに、自分が寝ているのも、なんというか――これは。

(どう考えても棺桶ですね? なんか百合っぽい花めちゃくちゃ詰められてるし)

 しかも、周囲からは泣き声や、祈りみたいな台詞が聞こえて来る。え、なんで? 俺のうちは先祖代々仏教なんですが。何宗なのかは知らないけど。だって親が教えてくれなかったもんですから……。

(えーとつまり、何だか知らんが、今俺は、生きたまま棺桶に入れられて葬式中?)

 しかも謎にヨーロッパっぽい感じで。なんで? 葬式はまあいい、死んだつもりだったし死んだと思っていたから、葬式は当たり前だ。だが、どうして、こんな状況になっているのだろうか? そう言えば、背中から落ちたという自認があるにも関わらず、体のどこも痛くないのはどういうことか。よくわからん。

(……。とりあえず、埋められたらまずいし、起き上がっておくか)

 もそ、と棺桶の縁に手をかけて起き上がり――周囲を見回す。やはり日本ではない――と思う、日本の教会がどれくらい立派なものかよく知らないので断定はできないが。けれど、どちらかというと、フランスのノートルダム大聖堂とか、そういう場所が近かったと思う。ついでに言えば、参列してくれている人たちも、明らかに外国人だった。たまにピンク色の髪や水色の髪の人がいてファンキーだなあなんて思ったけれど、そういう人に限ってその色が似合っていたものだから、違和感はなかった。

 ぽかんとした周囲の人たちへ向かって、俺はぺこりと頭を下げる。

「……あ、ど、どうも……」


 ――自分を見ていた参列者の大半から、金切り声の悲鳴が上がったのは、その瞬間のことだった。


 その五月蠅さに俺は耳を塞ぎ、それからふと気付く。自分の手が、死ぬ直前まで見ていた太い男の指でないことに。

「……は?」

 白く長く、何の傷もない、まさしく白魚のようなと呼ぶに相応しいしなやかな指に、俺は唇を引きつらせる。誰の手だ――そう思うが、その指先は、俺が考えるように動く。俯いた時に垂れた長い髪は、やはり俺のごわつく太く短い黒髪ではなく、ふわふわとした、喩えるなら銀河系みたいな煌めきの、青みがかった銀髪だった。

「ん? んえ? なに?」

 慌てて体を見る。白いドレスを着た体は、予定調和に俺のものではなかった。男ですらなかった。細く柔らかな肢体は、明らかに年頃の少女のもので――

「えええええええええええ――――――ッ!?」

 俺は絶叫した。

 参列者も阿鼻叫喚、俺も阿鼻叫喚、教会の中は地獄絵図と化した。神父さんっぽい人は落ち着くように叫んで、参列者の中でも冷静な人は周囲を宥めようとしていたが、皆も俺もそれどころではなかった。

 そういうわけで――

 これが、俺こと『セレスティーヌ・オラール』の『オラール家令嬢蘇生事件』『オラール家令嬢記憶喪失事件』と、それに端を発する数多の事件の始まりだったのである。


 同時に、これは俺が何故死んだのだったかを思い出すための旅路だった。

 そして、セレスティーヌ・オラールが何故死んだのだったかを知るための旅路。


「人間って、案外簡単に、死ぬ決意が出来ちゃうもんなんだなって思った」


 これは――これらの事件は、たったそれだけの話。



 

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