08話.[見ておいてくれ]

「祝っ、快晴っ」


 父及び奈々美と釣りに来ていた。

 晴れてくれたことについては普通に嬉しい。

 だが、別に父もいなくていいよな……という感想しか抱けなかった。


「奈々美ちゃん、一緒にいい場所を探そう」

「はいっ、探しましょうっ」


 どうせなら母の方がまだよかったな。

 奈々美は連れて行かれてしまったからぼけっと見つめていた。

 後ろへ下がっては前へを繰り返しているそれを見ているだけで落ち着く。

 あとは音もいいな、秋なはずなのに少し暑いのは問題かもしれないが。


「貢くーん!」


 呼ばれてしまったから仕方がなくふたりのところに移動する。

 どこから調達したのか釣り竿は三本に増えていた。


「ひぇっ、む、虫っ」

「無理するなよ」


 無理をしたところで釣れるかどうかも分からないんだしな。

 それに触るのが無理ならルアーだってあるわけなんだからそっちでいい。


「奈々美ちゃん、俺が代わりにつけてあげるよ」

「あ、ありがとうございますっ」


 まあいいか、父も楽しそうだからそれでいい。

 また帰宅時間が遅い毎日が始まりだしたから息抜きをしてもらわないとな。

 あそこに暮らせているのは主に父のおかげだ、だからある程度は自由にさせておきたい。


「貢、悔しいか?」

「いや? ちょっとあっちで釣ってくるわ」

「ぐっ、我が息子ながら余裕があるな」

「奈々美が落ちないようにちゃんと見ておいてくれ」

「それは任せろ」


 彼女が「酷いよっ」と言ってきたが無視。

 こういうのはわいわいやることじゃない。

 必要なのはただ目の前に意識を向けることだけだ。

 意外とこういうなにもない時間が好きだとこの前行った際に気づいた。

 だから苦行ではないが、水分補給は忘れずにしておく。


「おし」


 小さくてもいい、釣れたというだけで満足できる。

 まあその度にダメージを受ける魚には申し訳ないが……これもまた人の楽しみのひとつだ。

 可哀相などと言ったところで魚だろうが肉だろうが野菜だろうが食べているから仕方がない。

 感謝していれば、弄んだりしなければ、それならまあ……という感じで許してほしい。


「みーつーぐーくんっ」

「父さんは?」

「なんか喋りかけても反応しなくなっちゃったからこっちに来たんだ」

「そうか」


 また「釣れない……」とかで必死になっているんだろうなあ。

 釣れたら満足してすぐ帰ろうとする人でもあるから魚にダメージをあまり与えなくて済むかもしれない、その点だけはいいと言えるな。


「私、昨日寝られなくてさ」

「暑かったのか?」

「ううん、ほら、付き合い始めてから初めてのお出かけだから」


 なるほどな、俺は爆睡してしまったが言わないでおこう。

 別にそんなのは求めていないんだ、そうなのかって言っておけばいい。


「でも、本当は貢君とふたりきりがよかったな」

「……そんなこと言わないでやってくれ、父さんは滅茶苦茶楽しみにしていたからな」

「うん……」


 うわあ、露骨にがっかりとした顔をしていらっしゃる。

 だとしたらあの笑顔と合わせる能力はすごいな。

 だって嬉しいと思っていなくてもあれだけハイテンションでいられるんだから。

 少なくとも俺にはできないから凄えと小学生並みの感想しか抱けなかった。


「帰ってからならもっと相手をしてやるから」

「いいの……?」

「釣れたら満足するからな、意外と帰るのはすぐだぞ」


 それで実際に三十分が経過した頃にそうなった。

 釣れたのと、暑いのと、喉が乾いたのと、腹が減ったのと。

 事前にあれだけ盛り上がっておいて飽きるのが早すぎる。


「じゃ、後は若いふたりでゆっくり過ごしてくれ」

「今日はありがとうございましたっ」

「いやいや、貢といてくれてありがとう」


 誰だこれ……あ、格好つけたがるのはいつまで経っても変わらないということか。

 自分がもっと歳を重ねた際にはここまで露骨にはやらないようにしようと決めた。

 や、本当にいい人なんだ、揶揄してくるところを除けば。

 だからいい部分は真似したい。

 もっとも、真似をしようとしてちゃんとできるのであれば苦労はしないわけだが。


「奈々美――」

「ちょっと待ってっ、さっきその手で虫を触ったよねっ?」


 汚いとでも言いたげな顔と声音。

 一応、片付けて車に乗る前に洗ったわけだが……。


「ばっちい! 早く洗ってよ!」

「洗ってくるわ」


 再度言われても面倒くさいから擦って擦って擦りまくった。

 ひりひりとし始めた頃にやめて、洗い流してから外に戻ってきた。


「ほら」

「すんすん、うん、いい匂いがするから合格」


 菌はどうしたっているだろうから諦めてもらうしかない。

 ちゃんと視ることができてしまったらそれこそ発狂するレベルだろうな。

 視えていたらもしかしたら慣れてしまうのかもしれないが。


「じゃ、行こうかっ」

「そうだな」


 当たり前のように手を繋いで歩いていた。

 当たり前だが左側通行で内側を歩かせているため左手が握られている形となる。

 ……ま、左手もしっかり洗ったから大丈夫だろうと片付けておいたのだった。




「藤村さん、私は納得できていませんよ」


 用事があるからと奈々美が帰ってから急にこんなことを言ってきた。


「奈々美さんを取られてむかついています」

「もしかして好きだったのか?」

「特別に好きだということはありませんが、これでもっと時間が減ったとしたらどうしてくれるんです?」


 付き合い始めてからもあまり変わっていないから心配はいらないと思う。

 俺が奈々美といられるときはそこに小栗がいると言ってもいいぐらいだから。

 それ以上を求めたいということなら本人に頼むしかない。


「大丈夫、奈々美を信じろよ」

「……大体、抱きしめるぐらいはしてあげたんですよね?」

「いや、抱きしめてくるのは奈々美だからな」

「ヘタレですかっ、いまでも最低なんですかっ」


 そう言われてもなあ。

 奈々美が自分の意思で抱きしめてくれればそりゃ嬉しいが、俺があんな頻度で抱きしめたりなんかしたらベタベタ触れすぎていることになって気持ち悪がられるかもしれないんだ。

 恋人という関係になろうとタイミングなどを見誤れば終わるのは必至。

 彼女は仮にそこに繋がっても男なら大胆であるべきだと言っているのと同じだ。


「最低なあなたが相手であったとしても奈々美さんは好きになってしまったんです、きちんと責任を取ってください」

「ああ、それだけは信じてくれていい」


 もうあんなことはしない、というか、する必要もない。

 とにかく真っ直ぐに奈々美と向き合うと決めたんだ。


「……帰りましょうか」

「そうだな」


 学校に残っていても意味がない。


「そもそもとしてですね、あなたは奈々美さんが好きなんですか?」

「好きだ、俺にも優しくしてくれる稀有な存在だからな」

「優しければ誰でもいいということじゃないですか」

「そんなことはない」


 優しいだけでいいなら俺はとんでもない数の恋愛をして、その度に振られていたことだろう。

 そんなわけがないんだ、そこまで少年みたいな心は持ち合わせていない。


「……ごめんなさい、奈々美さんが決めたことなんだから文句を言うのは違いますよね」

「いや、友達なら友達の交際相手が変なだった場合に言いたくなるだろ、本人に言わないのは我慢しているからなんだろ?」

「だって……好きになってしまっているわけですからね、それに一部以外は藤村さんも問題もない……わけですから」

「そうか、ありがとな」


 奈々美が小栗の立場でも同じような行動をしそうだった。

 俺が小栗の立場だったら……まあ無難な感じで終わらせると思う。

 なにかを言おうものなら自分でも何様なんだよって引っかかるだろうし、仮に相手のことが好きだったのであれば素直に応援もできないだろうし。


「でも、これだけは守ってください」

「なんだ?」

「泣かせるようなことは、悲しませるようなことはもうしないでください」


 こういうことをちゃんと言える相手がいるというのもいい話だ。


「ああ、気をつけるよ」

「はい、それではこれで」


 彼女と別れて意味もなく公園に寄って行くことにした。

 今日は数人の子どもが遊んでいるみたいで賑やかでよかった。


「あの……」

「ん? おう、どうした?」


 なんでもかくれんぼをしていたらひとりだけ見つからないから探しているということだった。

 治安というのは悪くはないが心配になるから探すことに。

 そうしたら灯台下暗しという感じで、凄く身近に隠れていることが分かった。

 ……見つけることができるまで一時間もかかった……。


「ありがとう!」

「おう、見つかってよかったな」


 帰ろう、意外としゃがんだり歩いたりしたせいで疲れた。

 こういうときにこそ奈々美にいてほしかったな。

 そうすれば疲れもどこかに行くし、子どもも不安にさせなくて済んだかもしれない。


「偉いですね」

「なんだよ、いたのかよ」

「私はてっきり小さい子と遊んであげているものだと思っていましたが、探してあげていたんですね」


 無表情で「だから近づきませんでした」と。

 どうせなら協力してくれた方がありがたかった。

 というか、あれだけ自由に歩き回っていたら遊んでいるようには見えないと思うが。


「ふむ、そういうところを奈々美さんは好きになったのかもしれませんね」

「でも、学校では誰かのために動いてないぞ?」


 誰かのために嬉々として動いているのは奈々美だ。

 委員長だからというのもあるだろうが――あれ、つかなんで委員長って呼んでいたのか……。

 学級委員というだけで別に委員長じゃないよな? あれ? 変わったんだっけか……?


「細かいことはいいんですよ」

「そ、そうか」

「家まで送ってください、あ、このことは奈々美さんに私の方から言っておきますので大丈夫ですからね」

「そ、そうか、行くか」


 いや、やはり奈々美のことも小栗のことも分からないことだらけだ。

 理解できると考えることがおかしいだなんて考えたことがあるが、それでも理解できるように少しずつ行動していきたいと思った。




 今日も今日とて同性や異性と盛り上がっている奈々美がいた。

 一時期は俺と小栗と奈々美の三人でいることが多かったのにすぐこれだ。

 こっちを優先すると言っていた奈々美はもういないみたいだった。


「いいんですか? 男の子が近くにいますけど」

「駄目なんて言えるわけがないだろ」

「はぁ、ヘタレですね、『俺の女なんだから俺の相手だけをしろ』ぐらい言えないんですか?」

「言えるわけがないだろ」


 誰とどう過ごそうがそんなのは自由だ。

 付き合ってみて相手を、現実を知って、離れるのもまた彼女の自由。

 そもそも彼女はどこを好いてくれたのだろうか?

 あのときは置いておくとしても、好かれる要素というのがあまり……いや、ない気がするが。


「小栗、俺っていいところがあるか?」

「藤村さんのですか? 身長が大きいことですかね、なんか守ってもらえそうな感じがするじゃないですか」

「多分、奈々美がなにかに巻き込まれていても動けない気がするぞ」

「そんなことをしたら倒しますからね」


 なんだかんだ言いつつも助ける、そんなイメージができなかった。

 そりゃまあ痴漢とかされていたらなんとか動くかもしれないが……。


「仕方がないですね、呼んできてあげます」

「い、いや、いいだろ、自由にやらせておけ」

「私がいたいんです、駄目なんですか?」

「……自由にしてくれ」


 廊下に出て窓の外に意識を向けると今日は綺麗な青空だった。

 最近はこうするのが好きでよくここで時間をつぶしている。


「貢君」

「よう……あれ? 小栗は?」

「用があるって教室に戻ったよ?」


 それで空気を読んだつもりかよ……。

 寂しいならたまには独占しようとすればいいのに。


「というかさ、藍ちゃんとばかり仲良くしているよね」

「違う、奈々美が相手をしてくれればそうはならなくて済むんだぞ」

「……優先したいけどみんなが来てくれるから……」


 まあそりゃそうだよなとしか思えなかった。

 他の人間も来てくれているのにそれを拒んでこちらを優先なんてできるわけがない。

 もしそれができる人間なら他者が好んで近づいて来るようなことはないはずだから。


「そこ、入ろ?」

「別にいいけど」


 昼休みというわけじゃないからそんなに余裕はない。

 それでも急いで戻る必要はないから従った。


「こうしてさ、席が隣だったらよかったのに」

「奈々美の横だと人が集まってちょっとやかましそうだな」

「こ、声のボリュームは抑えているつもりだけどね……」

「奈々美はな、だけど他の人は違うかもしれないだろ?」


 群れるとどうしても声が大きくなる。

 誰かが一緒にいてくれると見えないパワーによって普段静かな人間がハイテンションになったりするから難しい。


「放課後はちゃんと貢君と過ごすから」

「無理しなくていいぞ」

「ううん、私がいたいから」


 なるほど、恋人がいるとふとしたときになんか甘くなるんだなと。

 非モテだったからこそ現状に浮かれそうになる。

 だからこそ出てくる不安というのもあるのだが。


「今日、ご飯を作るから食べてほしいな」

「いいのか? あ、じゃあ手伝うよ」

「あ、いいの? じゃあ一緒に作ろう」

「おう、動かずに食べさせてもらうのは違うからな」


 でも、なるべく出しゃばらないようにしたい。

 何故なら奈々美が作ってくれた方が美味しいからだ。

 一応作れるには作れるが、そこは男と女の差なのか差があるわけだから。

 というわけで放課後になったら彼女の家に。

 基本的に公園で過ごすか、俺の家か奈々美の家で過ごすかだから新鮮さは別にない。

 ないが、やっぱり彼女といられるのが大きいのが飽きというのはこなかった。

 作るという約束だから家に着いたらすぐに一緒に作った。

 たまにはこういう早めの夕飯というのも悪くはないだろう。


「できたー」

「お疲れさん」

「貢君もねっ、よし食べようっ」


 いまさらだが、俺も食べていいんだろうか?

 ひとり分余計に食材を使用しているということだから気になってきてしまった。

 だが、こっちを見て「食べよ?」と言われてしまい……あっさりと敗北。

 で、食べていたわけだが、やはりというか美味しかった。


「美味しかったっ」

「だな、洗い物は俺がやるからいい」

「ううん、私もやるよ」

「そうか? じゃあやるか」


 とはいえ、ふたり分なんて大したこともないからすぐに終わった。

 そして、こうした理由がすぐに分かった。


「……あんまり藍ちゃんと仲良くしないで」

「ああ、それは大丈夫だ」

「ほんと……?」

「大丈夫だよ、奈々美が受けいてくれたんだから奈々美だけを見るよ」


 来てくれないときは小栗の相手もさせてもらうがな。

 残念ながら誰かといないと暇死したり寂しかったりするから仕方がない。


「好き」

「ありがとな」

「……でも、振り向かせるためにもっといなきゃね」

「いられるだけで十分だ」

「そっか、それならいいかな」


 大丈夫、何故なら小栗は奈々美が大好きだからな。

 俺はとにかく決めた通りちゃんと向き合うだけだ。

 それだけならこの俺でも上手くできるような気がしたのだった。

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