06話.[気持ちは分かる]

「私、雨が好きなんです」


 灰色に染まった外を見ていたら唐突にやって来た小栗がそんなことを言ってきた。

 こうして静かに歩み寄るのが上手い人間だ、男が同じことをやったら社会的に死ぬが。


「奈々美さんは晴れの方が好きみたいですが」

「大抵はそうじゃないか? それかもしくは曇りとかさ」

「雨もいいんですけどね……」


 雨は傘をささなければならないから面倒くさい。

 下手をしたら濡れるし、風邪を引くし、持っている物にダメージがいくし。

 いやまあ降ってくれなかったら水に困ることになるとは分かっているんだけども……。


「傘をさして歩くことも好きなんです」

「それはまたなんか意外だな」

「くるくると回してみたりするのも楽しいですよ?」


 おお、こういうところは奈々美と似ているかもしれない。

 なんでも楽しもうとするその姿勢がな。


「それで藤村さんはどうして残っているんですか?」

「それは簡単だ、奈々美に頼まれているからだな」

「そうですか、それなら私も一緒にいていいですか?」

「おう、別にいいぞ」


 外を見ているぐらいしかできないのが難点か。

 今日は友達と盛り上がっているわけではなく委員会の仕事があるとかでいなかった。

 正直に言っていつ戻ってくるかは分からないからありがたい。


「雨ですね」

「だな」


 梅雨というわけではないから長引くということはないだろうが、昨日から降っているからさっさとやんでほしいというのが正直なところだった。


「奈々美さんとは仲良くなれましたか?」

「んー、夏休み前よりかはな」

「そうですか、ふたりのペースというのがありますからそういうものですよね」


 俺らのペース、か。

 色々な順序をすっ飛ばして進んでいる気がするこちら側からすればなんとも……。


「俺が奈々美と仲良くしたら寂しくならないか?」

「はい、それとこれとは別ですから、それに仮に藤村さんが奈々美さんの彼氏さんになったとしても相手をしてくれると思います」

「だよな、そっちもそっちで大事にするのが奈々美だよな」


 これはまた余計なことを聞いてしまったのかもしれない。

 舐めるなと人によっては怒ってきていたかもしれないな。

 自分だってそこまで子どもじゃないとキレてこそいないものの、すぐに口にしたんだからな。


「お待たせー、あれ、藍ちゃんもいるっ」

「お邪魔でしたか?」

「ううんっ、一緒に帰れるの嬉しいよっ」


 余計なことを言ってしまうのは小栗も同じなようで安心した。

 まあ、失敗例というかそれを見て安心してしまうのは微妙だが。


「雨だねえ」

「雨ですね」


 雨を見たら何度でもそう言いたくなるものだ。

 俺もふとしたときに雨だなと今日は三度ぐらい呟いたから気持ちは分かる。

 見れば分かるだろと言われればそれまでではあるが、何故かそう言いたくなるのだ。


「藍ちゃん、この後私の家に来ない?」

「すみません、雨が酷くなる可能性があるので……」

「そうだよね、ごめんね、こんなときに誘っちゃって」


 ひとりでいるのが耐えられないらしい。

 普段あれだけ人と一緒にいれば無理もないのかもしれないが。

 それでも少しぐらいはひとりの時間があってもいいと思うけどな。


「また明日もよろしくお願いします」

「うん、気をつけてね」

「奈々美さんと藤村さんも気をつけてくださいね」

「おう、さんきゅ」

「ばいばい!」


 さあ、今日の彼女はどうするのか。

 いつもであれば一緒に過ごそうと頼んでくるところではあるが、今日は小栗を誘おうとしたことからも本当なら小栗といたかったのかもしれない。

 が、残念ながら断られてしまったことになるわけで。


「貢君……」

「分かったよ」

「あ、今日は貢君のお家でもいい?」

「いいのか? じゃあ行くか」


 事故の可能性が低くて済むから自宅でいいならそれに越したことはない。

 ちゃんと帰りは送ってやれば彼女が損ばかりということもないだろう。


「お邪魔します」


 一応確認してみた結果、父も母もいないようで一安心。

 いやほら、話しかけてきたりなんかしたら奈々美も気まずいだろうからな。

 一応これでも考えて行動しているんだ、……馬鹿なことを言い出さないように対策も。


「私、貢君のお家が好きだな」

「特になにもないけどな」

「それでもいいんだよ、落ち着く空間に一緒にいて安心できる子もいてくれれば」


 一緒にいて安心できる子、ねえ。

 偽って接しているわけではないが、そんなこと言われたことがないから信じられない。


「貢君はどう? 私と一緒にいると安心できる?」

「奈々美が元気がなかったら調子が狂うな、だからいつまでも元気でいてくれ」

「おお、結構影響力があるのかな?」

「当たり前だ、俺といてくれるのなんて奈々美ぐらいなものだからな」


 小栗はあくまで友達が近づくからチェックするために存在しているだけだ。

 暇つぶしのためでしかない、そしてそれで構わなかった。

 彼女が時間つぶしのために利用してきているのでなければそれでいい。

 いや、利用してもいいからそれを言わないでくれればよかった。




 残念ながら雨が毎日のように降っていた。

 ただ、こんな中で遊びに誘うような人間も少なくて奈々美といる時間が増えていった。

 あ、小栗とも何気に一緒にいるかもしれない。


「こういうソファはどうですか?」

「んー、柔らかいな」


 その割に値段は強気な感じだが。

 俺達は色々な店に行って買うならどれにするかなどと言い合って時間をつぶしていた。

 店側からしたらなんだこいつらって言いたくなる人間達だと思う。


「ある程度の硬さがあった方がいいかも、柔らかすぎるとずっと座っていそうだし」

「低反発ですか」

「そうそう、私のベッドもそうだからさ」


 あれはいい話もあれば悪い話もあるみたいだ。

 まあどんなことだっていい面があれば悪い面もあるからおかしくはない。

 完璧な家具などがあったらもっと売れていてもおかしくはないわけだし。


「ベッドは結婚したときを考えて大きいのがいいなあ」

「結婚願望があるんですね」

「そりゃまあ……うん、仲のいい人と結婚して子どもも生みたいよ」


 結婚とか遠すぎてイメージできないな。

 彼女、ぐらいならまだ頑張ればなんとかできるが。

 この世は不公平とまではいかなくても公平ではないから難しい。

 縁のない人間は家庭を築いて楽しそうにしている人達を見て羨ましがるしかないんだ。

 それかもしくは、ひとりでいいとか強がったりとかな。


「藍ちゃんはないの?」

「多分、付き合うこともできないと思います、これでも色々と求めてしまいますから」

「藍ちゃんの彼氏さんか~、真面目な感じの人が合うかもね」

「奈々美さんなら少しやりすぎてしまっても許してくれるようなそんな人が似合いそうです」

「あ、確かにそんな感じでいてもらいたいな、いやまあ、そうならないよう気をつけるけど」


 そういう女子トークは俺のいないところでやってほしいものだ。

 当たり前のように話を振られないところとかに傷ついてしまう。

 身長が大きいだけで自分の中はいつまでも小さい少年のままだった。


「帰りながらしりとりをしませんか?」

「ははは、いきなりだねえ、だけど受けて立つよっ」


 今日も邪魔をしないようにある程度離れて歩くことにした。

 離れているはずなのに声が鮮明に聞こえてしまうのはいいのか悪いのか……。


「すき焼き」

「えっと、あ、キスっ」

「隙」

「きゅ、急にそんな真剣な顔で言われても……」


 なにを勘違いしているんだ奈々美は。

 そして敢えてすき焼きから始める小栗も独特だな。


「私は奈々美さんのことが好きですよ」

「し、しりとりはっ?」

「さあ? そんな昔の話をされても分かりません」


 小栗は楽しそうな感じで向こうの方へと歩いていった。

 やっぱりこのふたりは似ている、はっきり言うところもだ。

 類は友を呼ぶというのは本当のことなのかもしれない。


「……好きって言われるのはいつでもドキッとするなあ」

「あそこまで真っ直ぐ言われるとな」


 俺だったらな、なに言ってんだよって反応をすると思う。

 初だからしょうがない、中身だけは結構可愛い人間なのだ。


「……好きだよ」

「それは真っ直ぐじゃないだろ、適当に口にしているだけだ」

「当たり前だよ、冗談でもなければこんなこと言えないよ」


 好きだと伝えるのは本来勇気がいる行為。

 俺だって偽の告白でもなければ言えなくてズルズル時間だけを消費して終わっていた。

 明日の俺に任せて、任せて、任せ続けて、そしていつの日か近くにはいてくれなくなるんだ。

 相手に相応しい人間が現れるか、相手が誰かを好きになって離れていくか。

 そういうイメージだけは何故か滅茶苦茶抱きやすかった。


「嘘ついた」

「なにが?」

「……冗談なんかじゃないよ」


 っと、こんなところでそうきたかと。

 ついつい足を止めて彼女をまじまじと見てしまった。

 小栗と違って楽しげな感じではなく、振り返った彼女はただただ真剣な感じ。


「私でいいならいいよ」

「そうか、ありがとな」

「うん」


 こうして俺達の関係は変わった――って、これでよかったのか……?

 いや、いいわけがない、いまから言うのはあれだが自業自得なんだからしっかりしよう。

 余計なことは言わずにそのことだけを言って少し待つ。

 表情が特に変わったりはしていなかったが、内では混乱していることだろう。


「……嘘、だったの?」

「ああ、他を優先させるためにあれで離れてもらうつもりだったんだ。それが何故かそうはならなくて予想した感じとは違かったということになるな」


 後ずさって「そんなのってないよ」ともっともなことをぶつけてきた。

 笑ってしまいそうになるぐらい正論だったから特になにも言わずにいた。

 今回は余計なことを言わないということを守れているような気がする。


「……もう帰る」

「気をつけろ」

「……うん」


 留まっていても仕方がないから帰路に就いた。

 父には悪いが、これが現実だから諦めてもらうしかない。

 母にもそうだ、文句を言うならもうひとり生まなかった自分達を責めて――なんてな。

 誰かのせいにするような屑ではないから特に気にしてもいなかったのだった。




「聞いてよ藍ちゃんっ」


 抱えたままだとどうにかなりそうだったから愚痴を聞いてもらっていた。

 門限はあっても携帯の使用できる時間が縛られているわけではないからその点では問題もないはずで。

 ただ、愚痴を聞かされる相手側からすれば面倒くさい相手だろうなとそんな風に思ってた。


「というか、告白をされていたんですね」

「うん、そのときは友達のままがいいって断ったんだけど……」


 結果的に言えばあれが正しかったということになる。

 そして、その後の対応は貢君からすれば失敗だったということになる。

 だけど私は仲良くなりたかった。

 学校では他の子といられるから、放課後ぐらいは一緒にいられない彼といたかったのだ。

 いつの間にかクラスメイトとして仲良くなりたいという考えから変わってしまっていたけど、それでもいいとすら思えていたのに。

 だって彼は告白してきてくれていたんだから私がその気になれば両想いだって……。


「好きでもないのに好きだと言うのはよくないですね」

「そうだよねっ?」


 ……私の◯◯が好きって言ってくれて嬉しかったのに。

 断った私が悪いというわけでもないだろう。

 断られたから相手がその気になったときに振る、なんて子でもないし……。


「そこだけは許せません」

「私もそうなんだ、逆ギレってわけじゃないよね?」

「当たり前ですよ、弄んだのと同じです」


 もし私が受け入れていたらずっと隠したままだったかもしれない。

 私はそれに気づかずひとり幸せとか考えて浮かれていたかもしれない。

 そう考えると一気に怖くなってしまった、なにが本当でなにが嘘なのかが分からない。


「藤村さんと距離を作ってみたらどうですか」

「え……」

「ずっととは言いません、でも、いま顔を合わせても気まずいでしょうから」


 それは……確かにそうだ。

 たかだか挨拶をするだけでも引っかかりそうで。


「そう……だね」

「はい、私がそのことを代わりに言っておきますから」


 これは仕方がないことだ。

 ……嘘の告白をされた側としては複雑どころの話じゃないもん。

 しかもいいよとか言っちゃってるし、なんでこのタイミングで言うのか分からない。

 もっと前に言ってくれていれば正直に言ってくれてありがとうってなったのに。


「うぅ……」

「……もう切りますね」

「うん、聞いてくれてありがとね……」


 情けないところは見せたくなかった、聞かせたくなかったからありがたかった。




「というわけですから、藤村さんは近づかないでください」

「分かってる、教えてくれてありがとな」


 自業自得とはいえ、雨が降る中で微妙な時間の開始となってしまった。

 奈々美といないということはひとりで過ごすということだから暇死しそうだ。

 これまでだって付き合っているのではなく、付き合ってもらってなんとかしていたのに。

 教室内も暗く見えてきた。

 授業なんかには一応集中したが、いつも通りにはできやしない。

 挨拶すらしてこなくなったということは今度こそ致命傷になったということか。

 急いで帰ってもこっちの両親だって帰宅時間がランダムだから居残ることにした。

 その際は教室で盛り上がっている彼女を見なくて済むように校舎内の別の場所を選んだ。


「藤村さん」

「いいのか?」

「はい、私は特に問題もありませんから」


 今回のことは全部が俺が悪いで終わってしまう話だからどうしようもない。

 責められても構わなかった、最低なことをしたことには変わらないんだから。


「昨日、奈々美さんが泣いていました」

「そうか」

「理由は聞きました、ですが、そういうのはよくないです」

「ああ、小栗の言う通りだよ」


 自分の中にあった理想は置いておくとして、あのとき離れてくれていれば一番だったんだ。

 そうすれば偽の告白とはいえ振られた身としては近づくことができなくなるわけだし。

 だが、実際は違かったことになる。

 それがいくつものなにかを狂わせてしまった、というところだろうか。


「振られて終わると思ったんだ」

「自分の考えた通りにはならないと分かっていたはずですよね? あなたのその浅はかな考えのせいで奈々美さんが泣いていたんですよ?」


 そう、なにもかもが足りなかったんだ。

 後悔しても過去に戻れるわけではないから受け入れるしかない。

 もっとも、責めてくれた方が開き直れるからよかった。


「藍ちゃん」

「奈々美さん」


 奈々美はこちらを見ることなく彼女の腕を掴んで歩いていった。

 やっぱり居残っていても仕方がないから帰ることにする。

 被害者ぶって傘をささないで帰るとかもしないで、普通に帰った。

 ベッドでもない、リビングでもない、客間の窓前を陣取って寝転ぶ。


「ただいま」

「おかえり」

「どうしたよ、こんなところに寝転がって」

「これが涼しいからさ」


 最近は相変わらず帰宅時間が早いみたいだ。

 少しだけ心配になるが、まあそこは上手くやっているだろう。


「そうか、ついに本格的に振られてしまったんだな」

「まあそんなところだ」

「って、そうなのか……」


 父は入り口近くにどかっと座った。

 俺は意識を外して窓の外を見る。


「貢、今度の休みに釣りに行かないか?」

「釣り? 別にいいけど」

「たまには悪くないぞ」

「いやだからいいって、行くよ」

「そうか」


 釣りか、なにかが釣れなくてもなにかをしているだけでマシになりそうだ。

 父と一緒に過ごせる機会というのもあまりないからたまには悪くない。


「川と海、どっちがいい?」

「川かな」

「よし、じゃあそうしよう」


 知識はないからどうなるのかが分からなかった。

 でも、最初はそんなものだ。

 あとは別にこれからずっとやろうとしていることではないからそれぐらいでいいだろう。

 それでも、なにかが釣れればいいんだけどな。

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