第十九話 汝の名

 私は道中で竜星と別れて、一人で公園へ駆け戻った。公園にはまだ結果が張られているのが遠目でも確認できたので、入り口とは逆方向の背の低い植物に身を潜めた。


「このままじゃ、まずいよ! 結界にひびが入ってきてる!」

「小さなネズミ共も切り飛ばすのはもう限界だぞ!」


 有海と拳志郎の焦りの混じった声が公園の外まで聞こえていた。私は公園の外側の塀の影に隠れ、状況を観察する。


 私は正面に鎮座している大ネズミを公園の塀の外からこっそりとみた。どうやら、私を追ってこれなくするために有海が結界を張って足止めをしている。その結界を壊そうと小さなネズミ達が有海を狙うが、誠君と拳志郎の二人がそれを阻んでいるという状況なのだろう。


「どうにか、あのネズミに名づけの儀式ができれば……」

「名づけの儀式ってこの間子子にやってた術だよね?」

「ああ。それだよ。……きっと、あのネズミの真名は『四十九瞳』じゃないんだ」

「ねぇ、誠? どういう事なの?」

「詳細は分からない。けど……別に名前があるなら名前を上書きするしかない!」

「おい、お前! 使役した後はどうするんだよ!?」

「使役さえ出来れば、呪いの解除を命令できる!」

「なるほど……じゃぁ、その名づけの儀式が出来るようにすればいいんだな!?」

「あぁ……でも、そう簡単にさせてもらえなさそうだ。あれは四方に護符を張り付けた空間内で、魔方陣だが必要なんだ。」


 ガラスにひびが入るように、有海の作っていた結界が崩壊していくのを誠と有海は青ざめた顔で見ていた。大ネズミが咆哮をあげ、空気がびりびりと震えた。


「わ、私……もうこれ以上結界は作れないよ……」

「……有海は頑張ったよ。本当に……だから、拳志郎を連れて、ここから逃げるんだ」

「なっ!? 何言ってるの? 誠はどうするの?!」

「僕は、なんとかこの化けネズミを使役してみる」

「無理だよ!! もう何回も名前を呼んでみたじゃん!」

「それでも……こいつを野放しにしてたら、事情を知ってる僕らを狙って来るだろう? 僕が何とかする。だから……」

「嘘つき!!」

「……っ!?」

「今、誠……嘘ついた。だって……誠の眼、あの時のお姉ちゃんにそっくり……!!」

「……大丈夫。僕は、加奈さんとは違うから。絶対に戻る」

「おい!! おまえら!! そんな悠長にしゃべってて大丈夫か!?」

「いや、まったく大丈夫じゃないな……もう、いいや。渡辺拳志郎! お前は有海を担いで、お前の家まで連れて行け! 逃げられても何度でも捕まえて連れて行けよ!!」

「担いで!? なんで担がなきゃいけないんだ!? って……うわっ!!」

「きゃっ!!」

「……有海は魂が結界で覆われてる使役できないんだよ。有海を頼んだぞ!!」

「誠っ!! 誠!!! バカ!! 死んだら絶対に許さないんだからぁ!!!」

「はいはいっ。じゃ、きをつけて」


 誠君は正面を向きながら手のひらをひらひらとさせる。有海が公園を離れると同時に結界が壊れ、たくさんのネズミが大ネズミを取り巻いた。赤く光る眼が全て、誠君を睨みつけている。


「待っててくれてありがとって言えば満足か?」

「ふふっ。別にあなたのためじゃないわ? 名前を付けて使役するって言ってたわね」

「まぁね」

「あなたのその能力、人間の物じゃないわね?」

「さぁね。教える義理なんて無いし」

「あなたはどちらかと言うと、私の仲間なんじゃないかしら?」

「……」


 大ネズミは尖った鼻をヒクヒクとさせながら楽しそうにそう言う。すぐさま飛び出していきたいけれども私にはやる事がある。今飛び出していくわけにはいかず、私は耳を欹て続きを聞いた。


「だったら何?」

「だったら……? ふふっ!! そうね! 貴方も私の仲間にならない? 人間の皮を着て生きていく妖怪仲間として。たまに人間の魂を食べたりなんかして。ねぇ、そうしましょうよ。そうしたら、あの有海って子には手を出さないであげるわよ」

「……断る」

「……ふぅん? 悪い話じゃないと思うのに」

「その話だと、まりあの体は乗っ取るつもりなんだろ?」

「いいじゃない。知り合ったばっかりの名前も知らなかったクラスメートの事なんて」

「……確かにね……ついこの間まではそうだった。けどさ、それはもう三日も前の事だよ?」

「たった三日一緒に行動しただけで命を懸けるの? あっはっは! 私には想像もつかないわ!」

「学校もまともに行けずに、友達のいなかったあんたには分からないだろうね」

「……つまんない。……もういいわ」


 病気の話題が出ると大ネズミは会話を打ち切るように一歩前へ躍り出た。巨大な尻尾が空気を切る音が聴こえる。巨大な鞭は喰らえばひとたまりもない。


「死ね!!」


 大ネズミが号令をかけると小さなネズミ達が一斉に誠君めがけて走り出した。思わず身を乗り出そうとしたその時、私の肩にポンと手を置かれる感触がして飛び上がりそうになった。


「――っ!!!」

「お待たせ! 見つけてきたぜ! 俺の部屋に張り付けたままになってた護符と魔方陣だ!」


 竜星の手には子子を名づけた時の儀式に使用した護符と魔方陣が握られている。


「それにしてもよく思いついたよな。あの時の護符を使おうだなんて」

「竜星!! 今は急ごう? 誠君が危ないの!」

「マジか。分かった! 公園の四つ角に護符を張ればいいんだな!」

「うん! 高さも併せてね!」

「むずくね!?」

「竜星の腰を目安にすればいいよ!」

「なるほど、了解!!」


 竜星が護符を手に駆けていく様子を最後まで見守ることもなく、塀の脇からチラリと公園を除くと誠君が容赦なく小さなネズミに腕や服に噛みつかれている。振り払っても振り払ってもネズミ達は誠君に食らいつく。弱ったところを叩くつもりだろうか、大ネズミもその後ろで尻尾をぶんぶんと振っていた。


「どうしよう!? このままじゃ誠君がっ!!」


 気が付いたら兵を飛び越え公園の中へ走り出していた。魔方陣が書かれた紙を握りしめたまま、滑り台の頂上に登って精一杯の息を吸い込んだ。


「高梨先輩!!! これ以上、誠君に手を出さないで!!!!」


 すると、私に気が付いた大ネズミはゆっくりゆっくりとこっちを振り向いた。


「……なんで、寄りによってあなたなのかしらね……」

「え?」


 寂しい声に聞こえ、私は思わず聞き返した。さっきまでの声色とは違う憂いや寂しさが混ざったような……それこそ高梨先輩のような声だった。けれどもそう思ったのも一瞬で、私を正面に見据えた時のネズミはくつくつと笑い出す。


「ふふっ……ふふふっ!! あっはっは!!!」

「な、なによ!?」

「自分から、戻ってくるとは流石に思わなかったわ? 思ったよりも馬鹿なのかしら?」

「……そうだよ! 私は私の所為で友達が傷つくのは嫌なの。だから……」


 私は誠心誠意、頭を下げた。


「……誠君を襲わないで。……お願いします」


 顔を上げると、普段あまり表情を崩さない誠君が目を見開いて驚いた顔がここからでもはっきりと見えた。見晴らしのいい滑り台の一番上。それでも、大ネズミの顔と同じくらいの高さだろう。大ネズミはじっと私を見つめたままだ。

 しばらくそうして私を見つめた後、ギギッっと歯を鳴らすと、誠君に群がっていたすべてのネズミが彼から離れる。誠君は体中を噛まれたからか、その場に膝をついてしまった。


「……なんで戻ってきた?! ……っていうか、どうやって戻ってきたんだ!?」

「ごめんね? 私、やっぱり耐えられないよ。友達が、傷ついてるところ、見てられない」

「馬鹿いうな!! このままじゃ、本当に死ぬぞ!?」


誠君の焦った声は公園一杯に響いた。大ネズミはゆっくりこちらを振り向くと赤く鈍い光を灯した目が私を見据える。


恐怖に足がすくんだ。やっぱり怖いものは怖い。けれどもここで逃げることは絶対にしたくなかった。あと少しで竜星が護符を張ってきてくれるはずだ。


「……いい判断だわ。ここへ戻ってきたと言う事は、覚悟はできているのよね? それならそれで私としては問題ないのよ?」


 ジリジリとネズミの鼻先が私に近づいてくる。今度こそ呪いが進行したら私は助からないかもしれない。それでも、私は怯む事なくネズミを睨み続ける。


 ネズミが私に触れようとしたその瞬間、待ち望んだ声が公園に響いた。


「護符が張れたぞ!!!!」


 竜星の腹から出した大声は私だけではなく誠君の耳にも届いた。


「なっ!? 竜星!?」

「魔方陣も!! ここに!!」


 この時を待っていたのだ。手元まで近づいていた大ネズミの鼻先に私は握りしめていた魔法陣が書かれた紙をビタンと貼り付けた。


「お願い、誠君!! こいつに名前を付けて!!!」

「なんっ……だと!?!? 図ったな!?」

「ふふふっ!! ……そう言う事か……!! 二人共、ありがとう!!」


 理解した誠はものすごい速度で指を組み替えながら呪文を唱える。大ネズミは鼻先についた魔法陣を振り払おうと頭を激しく振るが力いっぱい張り付けた魔方陣は中々取れない。


「カサグラ バッカラ エチア エサレヌ……」

「や、やめろ!! やめるんだ!!! おい! ネズミども! こいつを殺せ!! すぐに殺すんだ!!」


 声に反応した小鼠が一斉に誠君に飛びかかる。


「竜星!! 誠君を守って!!」

「任せろ!!!」


 竜星は誠君に駆け寄って小鼠達を蹴り飛ばす。取り逃したネズミは誠君に食らいついたが、誠君の術は止まらない!紙が無いからか、宙に何か文字を書く素振りをした後、誠君の魔方陣は力強く光を放った。


「我、汝の真名を与える者也!!!」


「やめろ、やめろおおお!!!」


「汝の真名はこれから……である!!! 止まれ!!!!」


 滑り台の上にいる私には肝心の名前は聞き取れなかった。しかし、すべての音が鳴りやみ、すべてのネズミが突然停止したことで私は誠君の術が成功した事を認識したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る