第十六話 助けて!!!
こんな化け物が町を闊歩することになれば大ごとになり誰かが助けてくれるはずだという考えはどうやら甘かった。巨大ネズミはどこの誰の目にも見えていないらしく、私が叫ぼうが喚こうが道行く人々が私に気が付くことは全くなかったのだ。片手で首が絞まらないように何とか粘りつつ、私はそれでも叫び続ける。
「どうして!? 誰か!! 誰でも良いから!! 私を助けて!!」
「まだ分からないのかしら? 誰もあなたを助けられる人なんていない。見えないし、聞こえないんだもの」
「私をどこへ連れて行く気なの?」
「公園よ」
「公園? って、私の家の近くのあの公園?」
「ええ。あそこには、私の同士がたくさんいるわ。万が一あの二人が追いかけてきても邪魔されないようにね」
「……何故? なぜ高梨先輩はネズミの姿に?」
「この姿を見て、まだ私を先輩と呼ぶの?」
どことなく寂し気に、巨大ネズミはそう言った。切なげな声は私の知る高梨先輩の喋り方そのもので、なんだか悲しい気持ちになった。いやがおうにも窓辺で二人楽しく話をした時の事を思い出してしまう。
「どんな姿でも、先輩は先輩です」
「……。前、一度あなたにどうしておばけ研究会に入ったのって聞かれたわね?」
「……?」
「あの時の話は嘘ではないの。私は生まれつき体が弱かった。小学校時代はほとんど病院のベッドで過ごしたの。私の治療費を払うために両親は日夜労働に明け暮れていた。だから、私が中学校へ行けるようになって本当に心底喜んでくれたの」
「……良いご両親じゃないですか」
「ええ。大好きなパパとママ。……だった」
「だった?」
「……亡くなったのよ。病気である私よりも先に……。まず倒れたのはママだった。私の為に日夜労働に明け暮れた結果、過労死したのよ」
「え!?」
「その事実に耐えきれなくなったパパはママが死んだ翌日に自殺した」
「そ……そんな……」
「私の所為で……私が健康に生まれてこなかったせいで……大好きな両親は……」
大粒の涙が、私のすぐ横を流れ落ちて行った。本当に好きだったのだろう。本当に大事だったのだろう。
「パパが亡くなった事を誰かに告げることも出来ないまま、私は部屋に閉じこもってしまった。リビングで首つり自殺をした父親が怖くて部屋から出る事さえ出来なかった。まもなく、支援者が居なくなった私はごはんも満足に作ることが出来ず……部屋で餓死寸前だった。その時……一匹のネズミが現れたわ」
「ネズミ……?」
「窮鼠というネズミの妖怪。長い年月生きながらえた、化けネズミ。奴が現れて……」
「現れて……?」
「まだ死んでいない私を貪り食ったわ。肉が食いちぎられ骨がゴリゴリと削られていく。いっそ意識が無くなってしまえばどれだけ楽だっただろうか」
「ひっ!?」
余りにも惨い言葉に私は息を呑んだ。
「そりゃもう、痛かったわよ? 苦しかったわよ? でもね、食われたのが窮鼠で良かったと後で思ったわ」
「ど、どういう事?」
「窮鼠に生きたまま食べられたことによって……私の魂の力はそのまま窮鼠に吸収されたの。けどね……窮鼠は大きな誤算をしていたのよ」
「誤算……誤算って何?」
「窮鼠の強くなりたいという魂より……私の生への執念の方が勝った。窮鼠の魂は私によって支配され、私はこの体を自由に動かすことが出来るようになったのよ!」
「それで……それでネズミの姿に!? そうか。だから、高梨先輩の真名は『四十九瞳』ではなくて窮鼠の真名なんだ……誠君の力が通用しなかったのは真名が違ったから!?」
「ええ、そうよ!! ネズミに吸収された事がこんな風に役に立つとは思ってもみなかったわ。こんな醜悪な姿になってしまって……けれど私はこれはむしろチャンスだと思った。もう一度人間として生まれ変わるチャンスを神様が与えてくれたんだって」
「……何を好き勝手言ってるの!? 偶々食べられた相手が妖怪だっただけじゃない!!」
「おだまり!! まぁいいわ。後どうせ数分であなたは私の物よ。出来るだけ、体を傷つけないようにしなくちゃね。私の体になるんだから」
「ううぅ……助けて……助けて竜星!!!」
「竜星? あぁ、あのお前を殺す言霊を吐いた奴の事ね!! 自分が死ぬ原因を作った奴に助けを請うのか!! それは面白いわ! あははっ!」
心底楽しそうに、ネズミは笑う。馬鹿にしたかの笑いに腹立たしい気持ちが沸き起こる。
「竜星は……竜星はむやみに人を傷つけたりしない!! あの時は拳志郎に虐められてたから口に出しちゃっただけだよ!」
「まぁ、その拳志郎を差し向けたのも私だけどね」
「え!?」
「私は経験上、ああいうクズに特別な力を授ければ、被害者から恨みが生まれる事を知っている。だから、目ぼしい数名にネズミを貸し出して呪わせる言葉を吐くまで虐めぬいてもらうのさ」
「酷い……」
「くくっ。お喋りはここまでにしましょう」
長々と話をしていたせいだろう。学校よりも結構離れた私の家の近くの公園が目の前にあった。
「つ……着いちゃった。どうしよう」
「いよいよ……十五年間の努力が実るとき……さぁ、みんな出ておいで!」
ギギッギギッ!!
ギギギギッ!!
辺り一面から聞こえてくるのはネズミ達が歯ぎしりをする音だった。公園を囲む草木の中に赤く光る無数の眼が見える。竜星の家の屋根裏部屋での出来事が鮮明に頭をよぎった。
屋根裏部屋の時の倍……いや、三倍程の数のネズミが自分を取り囲んでいる事に気が付いた。
「た、助けて!! 誰か!! 誠君!! 有海!!……竜星!!!」
私は声の限り叫んだ。ここに来て、大ネズミの口の力が緩む。必然的に私の体は重力に従い地面へと落下した。辺りをネズミ達が取り囲む。
「さぁ、最後の仕上げと行きましょうか」
「い、いやぁぁぁ!!! 竜星!!! 助けてええええええ!!!」
全力で叫んだその時だった。視界の端で、数匹のネズミ達が宙へと吹っ飛んでいくのが見えた。遠くの方で聞こえた声。その声程待ち望んだ声などこの世には存在しない。
「まりあから、離れろおおおお!!!!」
「竜星!!!」
「俺も来たぜ!!」
「拳志郎!!? なんでここに!?」
空手上級者二人がネズミをなぎ倒しながら私の方へと近づいてきているのが見えた。
「誠の奴が、俺たちの所へ子子をよこしたんだ! まりあが危ねぇって! 場所はきっと子子が連れて行ってくれるからって!」
「ギギッ!!」
「子子!! 子子も来てくれたんだね!? ありがとう……!!」
竜星の肩にしがみつくようにしているネズミがどことなく嬉しそうに一鳴きした。
「この裏切り者めが!! そいつ諸共食い殺してしまえ!!」
「そうはさせねぇ!! 俺らの呪い解きやがれこの化け物がぁ!!」
拳志郎は周囲のネズミ達を蹴りで薙ぎ払いながら中指を大ネズミに突き出したが、安い挑発に乗るような先輩ではない。さげすんだような目で拳志郎を見ると鼻で笑う。
「そうかそうか。お前らも呪われているから私の事が見えるんだな? ……良いだろう。必要な魂は一つだけ」
「へ!?」
「そこの男二人の呪いは解いてやる」
「……マジで?! やったじゃん!」
「喜ぶな、拳志郎!! それじゃ、まりあが犠牲になっちまう!!」
「俺は呪いさえ解ければそれで良いんだよ!!」
「あぁ!! くそっ!! てめぇ!! 相変わらず最低な奴だな!!」
そう言う割に拳志郎は相変わらず大ネズミを睨みつけたままだった。
「まぁ……でも? その大ネズミをボコらないと気が済まねぇのは変わらねぇけどな」
「……??」
「竜星の事、ボコしたのもまぁ、なんだ。……悪かったと思ってるし」
「……なんだよそれ」
「まりあちゃん助けるんだろ? 詫びの代わりにはならねぇだろうが……」
「いや、十分だ」
竜星と拳志郎は大ネズミを見据えたまま拳を構えた。大ネズミは何も言わずに青臭い二人を眺めていた。
「ボコる……ねぇ? あなた達にそれはもう、出来ないわよ?」
竜星と拳志郎の腕が突然光り出す。二人は驚いて自分の腕を見ているが、次の瞬間、あたりをキョロキョロとし始める。
「……やべぇ」
「あんなにでかい大ネズミの姿が……」
大ネズミは私を口に咥えると、一歩、また一歩と二人に近づいていく。
「竜星、拳志郎!! 危ない!! 逃げて!?」
私が大きな声で二人に呼びかけるも、二人はまるで聞こえている様子がない。これは町で歩いている人々と同じ反応だった。
「それに、まりあ! まりあが居ない!!」
「どこ行っちまったんだ!? でも、普通のネズミ達はここに居るし……」
「まさか……呪いが解けた……のか?……その代わりに……」
「大ネズミを見ることが出来なくなったのか!?」
大ネズミは嬉しそうにその、巨大な尻尾を二人めがけて振り上げている。先ほどは部屋の中で軽く振っただけで有海と誠君を一気に壁に叩きつける程の威力だった。けれどもここは外だ。思う存分勢いをつけれるほどの場所がある。
「や、止めて!! そんな大きな尻尾が直撃したら……」
「ええ、ただでは済まないでしょうね。まぁ、貴女に乗り移る以上、事情を知ってしまっている人間を生かしておく訳がないでしょ?」
「あああああ……なんて事……!!」
「死になさい!!!!!!」
「お願い……竜星!! 拳志郎!! 逃げてえええええ!!!」
精一杯出せる限りの大声で私は叫ぶ。
けれども、高梨先輩の口に咥えられている今、私の声が竜星と拳志郎に届く事は無かった。
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