第八話 汝の名

 カリカリカリ……


 ネズミが扉をかじる音が響く中、誠君はまだ腕を組んで悩んでいる。


「お、おい、あそこ見て見ろよ!」


 竜星の指さしたところには小さなネズミの鼻らしきものが見えていた。鼠達は窮鼠を助けようと、凄まじい勢いで扉を噛み続け、ついには穴が開きかけてしまっている。普通では考えられないスピードに私達は戦慄した。


「ヤバいよ! ねぇ、誠早くしなさいよ!!

「まぁ待て。真名ってとっても大事なんだ」

「名前!? じゃぁ、もう、ミッキーでいいじゃん!!」

「いや、それは色々とダメだろ。色々と」


 有海と竜星がぎゃぁぎゃぁ騒ぐ。


「もう! ふざけてる場合!? 竜星、ガムテープで穴を塞ごう!」

「そうだな、ほら、ガムテープ!」

「有海の下敷きを板みたいに使って良いよ!」

「ありがとう、二人共!」


 私は二人からそれぞれ下敷きとガムテープを借りてすぐさま穴の補強に取り掛かる。

 穴は驚くべきスピードで広がり、ネズミの目まで見え始めていた。もう間も無く部屋へ入ってくるであろうネズミを下敷きで押し返すようにして、無理やり有海の下敷きを壁に押し当てる。竜星も近づいてきてガムテープを切ってくれた。

 半透明の下敷きの向こうで、なんとかこちらに来ようとする異常な執念のネズミが見えると、ますます怖くなる。


「誠! 急げ! シャレにならない!」

「あぁっ! あっちにも穴が開きかけてる!」

「嘘だろ!? 俺の部屋なのにっ! どんだけ穴開けるんだよ!?」

「そんなこと言ってる場合でもないよ! 下敷きみたいなの無いの?」

「ええ、えっと!? ノートじゃ弱いよな? 下敷き……下敷き!?」

「これなんか良いんじゃない?」


 そう言って有海が手渡してきたのはタブレット端末だった。


「ちょっとまて!? アイパッドは止めてくれ!! それはマジで大事なんだ!」

「でも、これなら壁に貼り付けるし……あ、やばいよ!? 目が見えた!!」

「絶対いやだ!!!」

「代わりの物は!? 分厚い本とかでも一時しのぎにはなるよね!?」

「分厚い本……薄い本なら沢山あるんだけど……」

「うわ……使えない」

「悪かったな!!」


 その時、ネズミの耳がひょっこりと現れた。確かネズミは頭さえ入ってしまえば体もすり抜けられると聞いたことがある。もう時間がない!私は目の前にあった、竜星のアイパッドをネズミの顔に押し当てた。


「のおおおおおおおおお!!!!!」

「背に腹は代えられないでしょ!?」

「まりあ! てっめぇ!! うううぅ……」

「ほら、ガムテープ!!」

「ちくしょう!! ほらよ! って、誠テメェいい加減にしろ!!」


 自分のアイパッドが犠牲になって竜星の怒りの矛先が誠君に向いた。

 ずっと悩んでいたような姿勢の誠君だったけど、その声で顔を上げ、突然胡坐をかいた。


「ああ。分かった。決めたぞ名前を。さぁ、儀式を開始しよう!」

「ま、まだ時間かかるのかよ!?」

「いや、すぐだ」


 すると、急に空気が張りつめたのが私にも分かった。


 誠君はまず、自分の目の前で指を変な形に組み始める。しかも、一パターンではなくて何パターンもあるらしく、代わる代わる指の組み方を変えて行く。


「カサグラ バッカラ エチア エサレヌ……」


 誠君が聞いたことのない言葉を、まるで呪文のように唱え始めると、魔方陣が光り出した。思わず竜星と顔を合わせてしまう。竜星も驚いたような、わくわくしたような、何とも浮かれた顔をしている。こんな事が現実世界であり得るだなんて思ってもみなかった。


「我、汝の真名を与える者也」


 突然私たちでも理解できる言葉になると、魔法陣の光はより一層強まった。


「汝の真名はこれから『子子ねこ』である」

「なんでネズミに『ねこ』なんだよおおおおおお!?」

「竜星、静かに! まだ終わってないよっ!」

「わ、わりぃ」


 突っ込みを抑えきれなかった竜星が有海に叱られる。いや、突っ込みたくもなるよね。あれだけ悩んでねこって……。

 すると、誠君は紙に『子子』という漢字を書いて窮鼠がいるクリアケースに置いた。


「ハッ!!!!」


 ひときわ大きな声を上げ、誠君が再び指組をすると、不思議な事に書かれていた文字は墨が水に溶けるようにネズミの体にしたたり落ち、残ったのは白紙だけだった。


「あ、あれ、どうなってるんだ?」

「解らないけど……これで名前が付いたんだよね?」

「ただの名前じゃないよ。真名だ。見てて?」


 ひとしきりの作業を終えたのか、誠君が普通に会話に言葉を返してきた。


「子子……ネズミ達を解放せよ」

「ギギッ……」


 その瞬間、扉の周りから突然、カリカリという音が消え去った。


「た、助かったの!?」

「ああ。これでネズミ共は僕達を襲ってこないだろう」

「窮鼠がネズミたちを操っていたんだね……」

「怖かったね……でも、みんな無事でよかった!」

「よ、よくねぇよ! 俺のアイパッドが……!!」


音が止み、真っ先にガムテープで止められたアイパッドを剥がした竜星は私達を恨めしい目で睨んだ。


「あー……ディスプレイにひびが入っちゃってるね……御愁傷様?」

「ぬおおおおおおおおおおお!!!」


 その時一階から何やら聞き覚えのある足音が聞こえてきた。そして、足音はもう一人誰かを連れてきているようだった。


「奥さん、こちらの屋根裏部屋ですか?」

「えぇえぇ! 早速来ていただいて助かりますわ! って、なにこれ!? すごい数のネズミ!!」

「これは腕が鳴りますね!! ネズミ駆除の事ならプロフェッショナルの我々に任せてください!!」

「あ、ありがとうございます!!」


 どうやら、竜星のお母さんがネズミ駆除の業者さんを呼んだらしい。廊下には窮鼠の支配から解放されたばかりの普通のネズミがうじゃまんと居るに違いなかった。きっと駆除業者さんがこの後始末をつけてくれる事だろう。


「一件落着?」

「だな」


 四人は互いに安堵から笑いあうのだった。

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