第七話 暴走ネズミ

「あ、あのさ」


 お化け研究会の二人が引き続き調査を続けるという話でまとまった頃、おずおずと竜星が声を出した。


「クリアケースに入ってるネズミって、いったい何なんだ? さっきはこのネズミが呪いに関係があるって言ってたよな?」

「あぁ。そうだ。こいつの名前は窮鼠(きゅうそ)という妖怪に近い存在だ。猫又っているだろう? あれのネズミバージョンだと思えばいい」


 分かりやすく誠君は説明してくれるが、竜星はぴんと来ていないようで少し首を傾げた。


「猫又って猫が何年も生き続けてしっぽが二本になるって言うアレの事か?」

「うんっ! その通りだよ! 普通の寿命を大幅に超えて生き延びたネズミは知恵をつけてね? ネズミのリーダーである窮鼠になるの! まりあの腕の呪いを紐解いたらネズミの顔が浮かび上がったから、呪詛はネズミを介してつけられた物で間違いないよ」


 誠だけでなく有海も得意げに窮鼠の説明をしてくれる。どうやら二人共お化け研究会と言うだけあって、有海もその手の話に詳しいらしい。怖いものは苦手なのになんでそんなに詳しいんだろうか?と有海を見るが、どや顔をされただけだった。


「ふぅん。窮鼠ねぇ……」


 竜星がもっとよくネズミを見ようと思ってクリアケースに近づいたその時だった。


 ギギギギギ


 まるで歯と歯をこすり合わせたような、変な音が廊下に木霊する。


「なんだろう、この音?」

「窮鼠が……動いてるぞ!!」


 その声に反応した私達はバッと窮鼠を見た。竜星の一撃を受け気を失っていただけだったのだろう。狭いケースで目を覚ましたネズミは口をモゴモゴとさせて音を立てている。歯をこすり合わせたようなギギギという音は神経に響くような気味の悪い音だった。


「なんだろう!? なんか超やばくない!?」


 遠くの方からカサカサという音が聞こえてくる。


「なぁ誠? さっき、窮鼠ってのはネズミの親玉って言ったよな?」

「ああ。言ったな」

「親玉が捕まったら子分ってのは……」

「親玉を助けようとするかもな……」


 この音が自分の子分に助けを求める音であれば、そう、さっき竜星のお母さんが言っていたじゃない。


『ネズミは一匹いればたくさん隠れているものだ』って……


 私達は一斉に音のする方、すなわち空きっぱなしになっていた屋根裏部屋の扉を見た。

 そこには見た限り一匹や二匹ではない、下手をしたら数十匹程のネズミの赤い目が光っている。


「あ……あれって……」

「子分だな」

「……」

「……」

「……」


 ゴクリツ……誰かの唾を飲む音がしたその瞬間、大量のネズミが屋根裏部屋から駆け降りてくるのが見えた。同時に、誠君が声を張り上げる。


「逃げろ!!!!」

「俺の部屋に!! 早く!!」


 私は手を怪我している有海を引っ張るように立ち上がらせると竜星の部屋に駆けこんだ。次いで竜星、そして、クリアケースを抱きかかえた誠君が最後に入ると、竜星は乱暴に扉を閉めて鍵を掛けた。

 扉が閉まったと言うのにネズミが激突するような音は鳴りやまない。完全にネズミに包囲されてしまった。


「そいつ持ってきたのかよ!?」

「窮鼠が居ないと、事件は解決できない!」

「けど、どうする!? そいつを戻さないと、このネズミ共は収まらないんだろ!?」


 私は喧嘩腰の竜星の肩に手を置いた。すると、竜星は一度だけ舌打ちをして不貞腐れたような表情を浮かべる。

 そうしている内に扉に突進するような音は止み、代わりにカリカリという音が響き始めた。


「お、おい。まさかアイツら……」

「扉をかじってるよね!?」

「や、やだっ!! こわいよっ!!」


 流石はネズミという所か。扉は木製。かじって、ネズミの身一つ入ってしまえば大量のネズミがこの部屋に押し寄せる。そうなってしまえば私たちこそ逃げ場がない。万事休すだ。


「……無策という訳ではない」


 落ち着いた、そして真剣な誠君の声に私たちは顔を上げた。私には何一つ策と言う柵が思いつかないのに、顔色一つ変えていない同級生に私の余裕のなかった心に僅かな落ち着きが戻ってきた。


「本当? どうするの?」

「有海は負傷しているから、二人に手伝ってほしいんだ」

「手伝うだぁ?!」

「……分かった。何をすればいい?」

「まりあ!?」

「竜星、今は誠君の言う通りにしよう?」

「頼むよ。僕一人じゃ厳しいと思うんだ」


 この一言に竜星は渋々と首を縦に振る。


「しょうがねぇなぁ……。その代わり、助かるんだろうな?」

「……五分五分かな?」

「五分五分だぁ!?」

「全員が全く負傷せずに窮鼠も保護出来る確率が五分。誰か一人でも怪我をさせて窮鼠は保護できる確率可能性はその半分くらい……間に合わなかった場合だね。さらに、上手く行かずに逃げられてしまう確率が-……」

「もういい!! もう良いから。何をすりゃいいんだ?」


 短気な竜星が誠の話を遮った。誠は話を遮られて少しムッとした表情を浮かべたが、一つ大きなため息をついてからこう言った。


「僕は今から、ネズミに名前を付ける」


 もちろん、私も竜星もこの言葉の真意など分かるはずがなく、たっぷり三秒間口をあんぐりと開け放って誠を見た。


「……なぁ、まりあ? 本当にこいつの言う事聞くのか?」

「……私も……不安になってきた」


 ボソボソと竜星と私は会話をしたが聞こえているはずの誠は全く表情を崩さない。


「……竜星。 君の苗字は?」


 その瞬間、不審な顔をしていた竜星の顔がピクンと反応したかと思うと大きく目を見開いた。私はそんな竜星の表情を不思議な目で見る事しかできなかったが、竜星は口答えの一つもしない。


「お……太田」

「太田竜星は大きめな紙と黒い油性マーカーを用意する。いいな?」

「……ああ」

「竜星?」


 さっきまでの反抗的な態度が一変して、竜星は自室の机を漁り始めた。明らかにぼんやりとしたその行動はまるで何かに操られているようで気味が悪い。何かがおかしいと思っていると、その答えはすぐに解った。誠が私の名前を呼んだからだ。


「まりあ……梶川まりあ」


 その瞬間、頭の中は真っ白になった。ただただ広くて白い空間に、私と誠君の二人だけがいるような錯覚を起こす。


「梶川まりあは僕の鞄から護符を四枚取り、部屋の四隅に貼る。いいね?」

「は……い……」


 私の頭に、誠の指示が流れ込む。その瞬間、こう思った。ああ、私は誠の鞄の端のポケットに入っている長方形の紙を竜星の部屋の四つ角に張り付ける。護符の後ろは両面テープになっていて、貼り付けることが出来る事。大体古紙くらいの高さにそろえて貼らないと意味がない事。全て先ほどの一言で頭に流れ込んできた。


 私が正気を取り戻したのは、四角に全ての護符を張り付け終わった時だった。


「あ……あれ……今のって?」

「俺も今、なんか変だった……なんだ、今の?!」


 誠を見ると、竜星から受け取った紙にクリアケースを囲うくらいの大きな円を描いている。どこをどう見ても魔方陣のようで、いよいよ私は不安になった。


「二人共、大丈夫だいじょうぶっ!」


 そんな私たちに明るい声をかけたのは有海だった。こんな状況なのに、手まで怪我をしているのに、有海はけろっと笑う。


「誠って、本当は凄い人なんだよ!」

「それは……なんとなく分かったかも」

「普通じゃぁねぇよな」

「ふふっ! 誠はね……『真名使い』なの」

「まなつかい??」

「そう、真名。真実の名前って書いて真名」

「う、うーん?」


 有海にそう言われても、私には全く馴染みのない言葉でピンと来るはずもなかった。


「誠に真名を呼ばれた人は、魂を掌握されて命令された事を聞いちゃうの」

「……さらっと怖いこと言ったよね、今」

「あははっ!!」

「あははじゃねぇよ!! ……よく分からないが、誠がその真名? を呼ぶと、呼ばれた人を操れるという認識で良いのか?」

「そうそう! 大体そんな感じ! だからね、今ネズミに真名をつける儀式をしようとしてるのよ」

「あぁ、なるほど。それで……紙とペンを……?」

「窮鼠を操って襲い掛かってきてるネズミをの鎮めるのね?」

「そう言う事! まりあは飲み込みがはやーい!」


 自分の話が伝わったからか嬉しそうに有海は何度も頷いて見せた。頷く度にポニーテールが元気に揺れる。怪我をしていて、ピンチな時だというのに有海は底抜けに明るい。


「おい、準備ができたぞ」


 ペンのキャップを閉めながら誠が立ち上がったので足元を覗き込んで見ると、見たこともない魔方陣が描かれていた。こんな短時間にここまで細かく色々と書き込んでいるのをみるとかなり手慣れているのだろう。

 すると、徐に誠君は腕を組んで何かを悩み始める。カリカリという音は益々近くなっているし、早く名前を付けなくちゃいけないのに、何か問題でもあったのだろうか?


「ま、誠君?」

「あとは……なんて言う名前にするかを考えるだけだな!!」

「そこ大事じゃないよねっ!?!?」


 緊迫した空気など気にせず思わず全力で突っ込みを入れてしまうのだった。

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