第9話
イフェイオンの皇帝による依頼の内容は、こうだった。
先代が崩御されたことにより、新しい皇帝となったものの、戴冠式に使われる儀式用の冠が、何者かに奪われた。冒険者たちには、奪われた冠の奪還をしてほしい――
「冠を奪った賊が、この魔法都市に逃げこんだことまでは調べがついている。きみたちには、市場に潜んでいるだろう賊を見つけ出し、冠を取り戻してもらいたい」
しかし、賊と遭遇すれば、おそらく戦闘はまぬがれない。そこで、サイさんは依頼を受けた人たちに向けて、戦闘の基礎を教えてくれた。
異界渡りが主催するLARPでの戦闘は、いわゆる、じゃんけん方式だった。攻撃の手段は、剣と魔法と盾の三種類で、剣は魔法に強く、魔法は盾に強く、盾は剣に強い。逆の言い方をするのなら、剣は盾に弱く、盾は魔法に弱い。そして、魔法は剣に弱いのだ。
もし、両者が同じ攻撃手段を取った場合は、じゃんけんでいうところの「あいこ」となり、次の攻撃を開始する。LARP初心者でも、わかりやすい戦闘ルールだった。勝敗の決め方も、いたってシンプルで、先に三勝したほうが戦闘に勝利したことになるようだ。
「それにしても、先代の崩御にも不可解な点が……いや、これ以上はやめておこう」
ひとりごつように、サイさんが言った。私は、ぴんときた。これは、このシナリオの根底に関わる、重要な情報だ。伏線であり、ゲームなどではフラグとも呼ばれるものだ。
もっとくわしいことを聞きたくなって、私が「あの」と、声をあげたとたん、黒ずくめの青年に腕を引っぱられた。思いのほか、強い力だった。私は、たたらを踏んだ。
「何するの」
抗議する私に対し、青年は「無駄だ」と、抑揚なく言った。
「今、コトは、この場にいる誰にも認知されていない」
言われてみて、私はここへ来てから、一度もサイさんと目が合っていないことに気がついた。それどころか、この青年以外の誰とも、目が合わない。青年は続けた。
「あの日、この場所におまえは存在していなかった」
異界渡りが主催するイベントの当日、たしかに私はずっと店番をしていた。だから、このシナリオには参加していなかったし、ちょっとした挨拶を除いたら、サイさんと言葉をかわすこともなかった。
「これは、あなたが実際に経験したことなの?」
「厳密には違う」
私の手を引いて歩きながら、青年は答えた。
「だが、コトはそう思っていていい。おれは約束どおり、おまえにこの依頼の顛末を見せる。それだけだからな」
つまり、彼は、私との約束を守るために、ここへ現れた――
私の中で、むくむくと疑問がふくれあがってゆく。彼は何者なのだろう。私自身が想像で作り上げた、夢の中の登場人物なのだろうか。そうでないのなら、ここにいる彼は、本当に、私が出会ったあの青年なのだろうか。
けれど、ふくれあがった疑問を、彼にぶつけることはできなかった。そうするよりも先に、彼が足を止めたのだ。
「あれだな」
何かと思って、私も視線を追った。赤い瞳が見つめる先には、布を巻いて顔を隠した、怪しげな男性の姿があった。人で賑わう市場からいくらか離れた、開けた場所だった。
男は走りながら、しきりに背後を気にしていた。そして、それを追うように、鎧を着た男性と、剣を携えた女性が姿を現した。見覚えがある。あのふたりは、たしか、先ほど本部で依頼の内容を聞いていた人たちの中にいた――
「しつこいやつらめ」
逃げていた男が足を止めて、苛立たしげに言った。
「ここで始末してやる」
どうやら、戦闘をするらしい。腰にさげていたつくりもののナイフが抜かれると、追いかけてきた男性と女性も、自らの武器と思しきものをかまえた。おそらくは、あらかじめ戦闘をするために用意されていたスペースだったのだろう。人の気配がなく開けたそこは、ルールに則った安全な戦いをおこなうのに適していると思われた。男が逃げるようにしていたのも、ここへ参加者を誘導するためだったのだろう。
ほどなくして、私と青年の前で戦闘が始まった。互いに振るわれる武器は、決して、相手の身体に接触することはなかった。しかし、繰り出した攻撃が自らにとって不利だった場合には、いかにも攻撃を受けたように演じて、その場から後退する。どちらも経験者なのだろう。役者のそれと比べることはできずとも、目を離せないような迫真の演技だった。
そこで、私はふと思った。今、私のとなりにいる彼も、こうして戦ったりするのだろうか。
きっとそれは、ある種の好奇心だった。この常に余裕に満ちていて、落ち着き払った青年が戦ったとしたら、どんなことになるのだろうか。あわよくば、この青年による演技を見てみたい。
「あなたは戦わないの?」
繰り広げられる戦闘を前に、まるで無関心といったようすで腕を組む青年に、それとなく問いかけてみた。すると、彼は「なぜ」と、軽く首をかしげた。
「おれの目的は、あくまでおまえに事の顛末を教えること。戦う必要はない」
あくまで、戦闘には興味がないといった具合で返され、私はぐっと言葉に詰まった。たしかに、彼の目的を達成するために、戦う必要があるかどうかと聞かれたのなら、答えは否だ。しかし、そうすげなくされると、余計に戦っているところを見てみたくなるというのも、人の性なのではないだろうか。
「戦わないと、サークレットをあげないって言ったら?」
にわかに、青年のまとう空気が変わった。
「約束を反故にするのか」
青年の赤い目が、私を見つめて爛々と光った。
「おまえは、おまえが紡いだ言葉に吹きこんだ命を、偽りへと変えるのか」
――怒っている。
直感的に、私は思った。その一方で、私には、彼が何をそんなに怒っているのかがわからなかった。冗談めかして口にしたつもりではあったけれど、彼には通じなかったのだろうか。そうでなければ、彼は、それほどまでに戦うことが嫌だったのだろうか。
「ごめんなさい。反故にするとか、そんなつもりじゃないんだけど、あなたが戦っているところを見てみたくなって」
目は口ほどにものをいう、とは、よく言ったものだ。理由が理解できずとも、彼の目を見れば、よっぽど私の発言が気分を害するものであったらしいことだけは伝わる。私だって、話をこじらせたいわけではないのだ。素直に謝ると、青年は小さくため息をついた。
「わかった」
柱に預けられていた青年の背が、浮いた。
「おれも、今回の件については、おまえをずいぶんと待たせたようだから」
思わず、私は瞬きをしていた。「今、なんて」
「わかった、と言ったんだよ。おまえの望み、叶えてやる」
呆然とする私を残し、青年は前へと進み出た。先ほどの男女は負けたらしい。気づけば、怪しげな男の足下で、二人は膝をついていた。
「連戦で悪いが、おれとも相手をしてもらえないか」
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