第8話

「店番で忙しい私に代わって、この依頼の行く末を見届けてきてください。そして、私に事の顛末を教えてください」


 そうしてくれたら、このサークレットはさしあげます。と、そう言い切った私に、青年は拍子抜けしたようすだった。


「そんなことでいいのか」


 赤い目がまたたいて、私をとらえた。


「欲がないな。それとも、他人に期待をしないだけか?」


 まっすぐに見つめてくる瞳は、揺らぐことがない。あるいは、この瞳は、何もかもを見透かすことができるのではないか――そんな錯覚に陥るほどだった。


 どうにも、居心地が悪い。耐えきれずに、私がそれとなく目をそらせば、彼は私が差し出していた依頼書を手に取った。


「名前は?」

「コトツムギです」


 私は、ハンドメイド作家としての名義で答えた。


「コトツムギ」


 オウム返しに、青年が繰り返した。


「呼びづらいな。コトでもかまわないか?」

「それは、べつに、かまいませんけど」


 名義に関しては、気に入っているとはいえ、こだわりがあるわけではない。お客さんが呼びづらいというのであれば、コトでも、ツムギでも、呼びやすいように呼んでもらえたらと、そう思った。けれど、


「紡ぐことによって、言葉にみことが宿り、まこととなる」


 ぽつりと、黒ずくめの青年が言った。


「いい名前だな」


 彼は、微笑を浮かべていた。つり目がちのそれが、少し、やわらかなものへと変わる。とっつきにくそうだった印象が、薄らぐのを感じた。


「そのサークレット、ほかのやつに渡すなよ」


 ひとつ。そう念押しをしてから、青年は依頼書を手に、市場の雑踏へと消えた。このようすだと、取り置きをしておいても、ちゃんと彼は戻ってきそうだ。私は、所望された試作品を持ち帰り用の箱にしまおうとして、ふと、作品のモチーフのことを思い出した。


 そのサークレットは、正義をモチーフに作られたものだった。試作品止まりだったため、具体的な設定は決めていなかったけれど、花には、正義をつかさどる女神ユースティティアにちなんだ名前をつけようと、そう考えていた。色はルドベキアから拝借して、形状はリンドウをイメージして作った。どちらも〝正義〟という花言葉をもつ花だ。


 試作品とはいえ、人の手に渡るのだから、やっぱり、ちゃんとした名前をつけておこう。私は通りがかる人たちの接客をしながら、値札用に持ってきていたクラフト紙に、ペンを走らせた。


 ユースティアと、そう名付けた花のサークレットを丁寧に梱包し、私は黒ずくめの青年を待った。


 ところが、予想に反して、その日、彼が私の前に再び現れることはなかった。日が暮れて魔法市の終わりを報せる鐘の音が広場に鳴り響いても、梱包した箱だけを残して私が荷物をまとめ終えても、あの青年が戻ってくることはなかった。



  ※



 品物の取り置きを頼んでおきながら、引き取りにこない。そういうような事例は、残念ながら、ハンドメイド界隈でも、よくあることのひとつだった。やむにやまれない事情でそうなることもあれば、悪気もなしにすっぽかすということもある。だから、私は今回のことについては、あまり深く考えないように努めた。


 どうせ、連絡の取りようなどないのだ。私の対応が悪かったのかもしれないとか、実はそれほど作品を気に入っていたわけではなかったのかもしれないとか、あれこれと悩んでも答えは出ない。自分の神経をすり減らすばかりだ。


 私は気持ちを切り替えるため、その日は食事とお風呂をすませてから、すぐにベッドへと潜りこんだ。昼間の疲れもあって、私が眠りにつくまで、さほど時間はかからなかった。そのはず、だった。


 気がつけば、私は昼間の――あの魔法市があったLARPの会場に立っていた。あれ、と思った。おかしいな、と。ひょっとして、私は夢でもみているのだろうか。古典的な方法ではあったが、ためしに頬をつねってみた。痛かった。


「なんだ、夢だとでも思っているのか?」


 覚えのある声がした。はっとして顔を向ける。いつの間にか、そこには黒ずくめの青年が立っていた。


「あなたは、昼間の」


 私との約束をすっぽかした、あの青年だ。私は、帰りの電車がくるぎりぎりの時間まで、彼のことを広場で待っていた。吐く息が白くなるような時間まで、じっと待っていた。


 もしかしたら、私には、彼に文句のひとつを言う権利くらいはあるのかもしれない。ただ、私は未だにこれが夢なのか現実なのか、判断しかねていた。すると、私の心中を見透かしたかのように、青年が言った。


「いめか、うつつか、胡蝶のゆめ。決めるのは、おまえ自身だよ」


 青年の手が、おもむろに私の手を取った。


「おいで。約束どおり、あの依頼の顛末を教えてやる」


 何を言われているのか、まったく理解できなかった。困惑したまま、手を引かれるがまま、広場にあふれかえる人たちの間を縫うように歩く。ほどなくして、行く手に白いテントが見えた。魔法市を主催した異界渡りのメンバーが待機する本部だった。


「あ、サイトウさん」


 周囲と比べて、頭ひとつ飛び抜けて背の高い男性が見えた。こんなときでも、彼は目印にしやすい人だった。


 私は青年に連れられて、彼の前へと進み出る。だけれど、不思議なことに、私の目が彼のそれと合うことはなかった。サイトウさん――もとい、サイさんは古めかしい懐中時計を確認したかと思うと、ぐるりを見渡して「定刻だ」と、言った。


「それでは、今回の依頼について話をする。依頼主は、隣国イフェイオンの皇帝だ。くれぐれも、しくじってくれるなよ」

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