第7話

 響き渡る三度の鐘の音とともに、駅前広場は、人で賑わう魔法都市の市場へと姿を変えた。これまで、一体どこに潜んでいたのだろう。西洋風の鎧を着こんだ人や、とんがり帽子にマントを羽織った旅人らしき人たちが、次々と姿を現し始める。異世界から訪れた〝商人〟という体である私は、事前に発行されていた出展許可証を首にさげ、感嘆の息を吐いた。


「すごいなあ」


 ぽつりと、そんな声がもれる。正直なところ、私は圧倒されていた。ほんのつい数分前までは、なんの変哲もなかった現実の光景が、またたく間に、架空の世界へと変わったのである。今となっては、私が見慣れたシャツやジーンズ姿の人たちのほうが、よっぽど浮いて見える始末だった。


 ひとりの女性が、私の前で足を止めた。妖精や、そういった類の人だろうか。肩に流した髪の隙間から、長くとがった耳が見える。


「こんにちは。素敵なサークレットね」


 りりしいまなじりを、やわらかに下げて微笑まれ、私もまた笑顔を返した。


「ありがとうございます。私のアトリエで育てている〝玻璃花はりはな〟で作ったんですよ」

「ハリハナ……」

「玻璃というのは、ガラスですね。ガラスのように透きとおって繊細な花だから、私の故郷では、玻璃の花という意味で、そう呼ばれているんですよ」


 よろしかったら、お手に取ってみてください――椅子を立った私がすすめると、彼女は青色の花をあしらったサークレットを手に取った。


「私、青色の花が好きなのよ。ちょっとした思い入れがあるの」

「思い入れ、ですか」


 私は、瞬きをして女性の目を見る。よくよく見ると、カラーコンタクトを着けているらしい。その瞳は、彼女が手にしたサークレットを飾る花のように、淡い青色をしていた。


 晴れた空を思わせる瞳で私をちらと見やり、女性は妖艶に微笑んだ。


「初恋の花なのよ」


 つまり、彼女の初恋には、青色の花にまつわる思い出があるのだ。それが、今ここにいる〝彼女〟としての思い出なのか、現実での〝彼女〟としてのものなのか、そこまでは、私にはわからない。だけれど、そこを聞くのは無粋というものだろう。


「そのサークレットにあしらった花は、玻璃花のヒメアオイというんですが、〝思い出〟という花言葉があるんですよ」


 とっさに、付け加えた設定だった。サークレットを手にした女性が好みそうな、そんな設定を意識した。案の定、彼女はこの設定をいたく気に入ってくれた。「まあ、素敵」と、両の手のひらが打ち鳴らされる。


 女性は、腰に巻かれていた革製らしきポーチから、小さな袋を取り出した。小銭がこすれるような金属音がする。


「とても気に入ったわ。こちらをいただけるかしら」


 白状するのなら、このとき、私は飛び跳ねたくなるほど、うれしかった。自分の作品を気に入って買ってもらえるというのは、いつだって、それくらいにうれしいことなのだ。


 とはいえ、そんな奇行をお客さんの前でさらすわけにはいかない。


「もちろんです」


 私は、いたって平静を装いながら、にっこりした。


「こちらで装備していかれますか」


 なんて、RPGゲームにあるような文句を添えたのなら「そうさせていただくわ」と、答えが返る。そんなやりとりが、なんだか、むずがゆくて、楽しくて、私は頬がゆるむのをこらえきれなかった。どうしようもなく、わくわくしていた。


 購入したサークレットを身に着けた女性を見送って、私は椅子に座り直した。サークレットがひとつ売れたことによって、空白のできた陳列棚を整える。


「あんたも大概、商売上手なんじゃないか」


 ふいに、すぐ近くで、若い男性の声がした。はっとして顔をあげたとたん、力強い羽ばたきの音が鼓膜を打った。私の眼前を、一羽のカラスが飛び立っていく。


 気がつけば、いつの間にか、店から一メートルほど離れた場所に、一人の青年が立っていた。


 その人を一言で言い表すのなら、黒。それにつきた。髪も、マントも、その下のローブも、何もかもが、影のような黒一色だった。


 風が吹いて、腰まである長い髪が舞う。ウィッグだろうか。地毛であれば、うらやましくなるほどに、さらさらの髪だった。


「もっとも、あんたの場合は、滅多なことでもないかぎり、嘘にはならない。おれが裁くような理由もないが」

「裁く?」


 おだやかではない言葉だった。眉をひそめて聞き返すと、黒ずくめの青年の目が、こちらを見た。切れ長なそれを彩るのは、鮮やかすぎるほどの赤い瞳だった。


「嘘偽りは悪だと、人は定義した」


 瞬きひとつすることなく、その人は淡々と言った。


「悪は裁かれなくてはならない。そうだろ?」


 当たり前のように言われて、私は答えに困窮した。もちろん、嘘をつくことで人をだまし、困らせるようなことは悪だろう。だが、悪とされる嘘や偽りにも、程度というものがある。日本には嘘も方便という言葉があるし、裁かれなくてはならないほどの嘘を定義するのは、とても、むずかしいことであるような気がしたのだ。


 なぜなら、この場には今、真実とは異なる――嘘とも呼べるものが満ちあふれていた。そして、それらは、人を楽しませるようなものばかりだった。だのに、真実とは異なるというだけで、嘘と定義して裁くのは、何かが違う気がした。


「あなたは、嘘を言わないの?」


 苦し紛れな私の問いかけに対しても、その人は表情を変えることはなかった。ただ、私の作ったサークレットを物色して言う。


「言わないな。そうする必要も、資格もないからな」


 嘘をつくのに、資格など必要なのだろうか。そもそも、嘘を言わないということそのものが、この場では嘘になったりはしないのだろうか――ロールプレイをしていることは、彼のいう「嘘」にはならないのだろうか――疑問に思いながらも、私は言及をしなかった。ただ、どこか妙な人だな、とは思った。


 見た感じでは、私よりも年下のようだが、その落ち着いた言動は、長い年月を重ねたものであるようにも感じる。大人びた、というよりは、老成した、という言葉が的確なように思えた。


 と、青年の視線が、私の額へと向く。


「あんたが着けているサークレットは売らないのか?」

「これですか」


 私が、身に着けていたのは、琥珀色の花で彩ったサークレットだった。これを手に取って見せると、青年は「そうだ」と、短く答える。


「ごめんなさい。これは試作品なので、売り物ではないんです」


 本当なら、新作として店に並べる予定だったのだが、不注意により、花びらに目立つ気泡が入ってしまったのだ。もちろん、サークレットとして頭につけてしまえば、一見して、わかるものではない。ただ、これまでの経験から、クレームが付きかねない作品に関しては、極力人手に渡らないようにしていた。


 しかし、青年は引き下がらなかった。


「試作でかまわないさ。それを売ってほしい」

「こちらにあるサークレットも、似たような色合いですけど――」

「そのサークレットには、用がない」


 代替品として、並べてある作品をすすめてみるも、ばっさりと切り捨てられた。よっぽど、この試作品を気に入ってくれたのだと考えれば、うれしさもあるにはあるのだけれど、いささか複雑な気持ちだ。


 こまったな。口の中で、私は困惑を呟いた。作品の欠陥を理解したうえで、気に入ってくれているのであれば、売ってもいいのではないかと思う反面で、中途半端なものをお客さんには渡したくないという思いもある。


 そこでふと、目に留まったものがあった。それは、イベント前にサイトウさんから送られてきた、一枚の依頼書だった。紙には、午後二時過ぎに依頼書を持って広場中央の本部へ来るように、と書かれている。


 ――コトツムギさんに制作していただいたサークレットが、キーアイテムとなるシナリオの依頼書です。もし、都合がよろしければ。


 添えられていた手紙の文面を思い返す。きっと彼は、私にLARPの楽しさを知ってほしくて、この依頼書を送ってくれたのだろうと思う。多少の心苦しさがないわけではない。それでも、今回が初出展である私には、まだまだ勝手がわからないのだ。


「じゃあ、こうしましょう」


 私は店の前に立つ青年に依頼書を差し出して、言った。


「店番で忙しい私に代わって、この依頼の行く末を見届けてきてください。そして、私に事の顛末を教えてください」

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