第2話
イフェイオンは、閑静な住宅街の一角にあった。レンガ風のタイルで飾りつけられた二階建ての建物で、その手前には「イフェイオン」と彫金されたプレートをさげる赤いポストがあった。二階へと続く螺旋階段の脇に植わる柿の木には、よく熟れた実が、まるで、ランタンのようにぶらさがっている。
「柿は食べたりしないんですか」
私が聞くと、サイトウさんは「あれは渋柿なんですよ」と教えてくれた。
「干し柿にしようにも、時間も手間もかかりますから、収穫はしないんです」
それに、そのままにしておけば、今の時期には、ランタンみたいに見えるのが気に入ってましてね――付け加えられた彼の言葉に、私は少なからず好感を覚えた。
「私も、ランタンみたいで素敵だなって思ってました」
「コトツムギさんもですか? 気が合いますね」
「私、知っていますよ。夜になると、あの実が、ぼんやりと光るんでしょう。イフェイオン皇国の植物は、実に興味深いですね」
サイトウさんは、すぐに笑った。
「我が国に自生する植物は、魔法種が多いものですから」
店のドア前に立ち、サイトウさんは、かたわらの花壇を見た。
「そこの花壇には、我が国の国花でもあるイフェイオンが植わっていましてね、春になると、六芒星を思わせる花が咲くのです」
「そうなんですか」
聞き慣れない花の名前に、ぱっと見た目が思い浮かばなかった。気の利いた言葉が出てこずに、私は目を泳がせる。けれど、サイトウさんは、それを察してくれたようで、何事かを考えるかのように、手を口元へと当てた。
「たしか、コトツムギ嬢の故郷では、ハナニラなどと呼ばれることが多いようですが」
「ああ、ハナニラ!」
思わず、私は両の手のひらを叩いていた。
「あの白くてきれいな花ですよね。花びらの先が、うっすらと青くなっている――」
「ええ、それです」
サイトウさんいわく、ハナニラは、イフェイオン、ベツレヘムの星などとも呼ばれることがあるらしい。彼は、この花が好きだったため、店の名前をイフェイオンと名付けたようだった。
「二階は、アクセサリーや小物の類を置いていますので、ひとまずは一階から見てみましょうか」
きしんだ音をたてて、木製の古びた扉が開かれる。サイトウさんに「どうぞ」と、うながされて、私は店内へと足を踏み入れた。自然、感嘆の息がもれていた。
決して広くはない店内の壁に、所狭しと吊されているのは、中世ヨーロッパといった風情のある、チュニックやローブ、マントだった。一般の衣料品店などでは、決してお目にかかることのない代物である。
「すごい。さわってみてもいいですか?」
「もちろんです」
快くうなずいて、サイトウさんは壁に固定された姿見を見やった。
「どれも、服の上から着ることができるものばかりなので、試着もできますよ」
そのとき、吊された衣類の向こうから、若い男性の声がした。
「もしかして、オーナー戻りました?」
「ああ、ホシさん。今、戻りました。店番ありがとうございます」
ホシさん、というらしい。姿の見えない異界渡りメンバーに向かって声をかけ、サイトウさんは申しわけなさそうに、私を振り返った。
「すみません。少し、ここで衣装を見ていてもらってもいいですか。留守の間のことを聞いておきたいので……」
「大丈夫ですよ。こちらのことは、おかまいなく」
「ありがとうございます」
サイトウさんは、そう頭をさげるなり、服をかき分けて店の奥へと消えていった。奥から、先ほどのホシさんという人の声と、サイトウさんとの会話が、かすかに聞こえてくる。盗み聞きというのも趣味が悪いので、私は極力ふたりの会話から意識をそらし、店内を見て回った。
店内は、右を見ても左を見ても、どこもかしこも衣装だらけだ。ひとり、店内を歩いていると、ウォークインクローゼットの中にでもいるような気分になる。吊されていた臙脂色のローブに手を伸ばし、ふれてみれば、思いのほか、しっかりとした生地だった。袖口や裾には、金色の糸で植物をモチーフにした刺繍がほどこされている。
なんとなく、いいなと思った。衣装がかけられたハンガーを手に取り、姿見の前で、軽く身体にあててみる。悪くない。服の構造としては、着物のように、身体に巻き付けて着るもののようだった。
かさばる上着を脱いで、適当な場所に置かせてもらってから、ローブをハンガーから外した。服の上から衣装を羽織り、腰のあたりに縫い付けられていた左右二本の紐を結ぶ。改めて、姿見の前に立ってみたのなら、もうそれだけで、いかにもといった具合だった。ファンタジー世界の住人になったみたいで、少し気分が高揚する。
いい歳をした大人のコスプレと言われてしまえば、それまでなのだが、LARPとは自分ではない架空の人物になりきるものなのだ。この程度のことで人目を気にしているようでは、やっていられない。
「早速試着してくれたんですか。似合ってますね」
ひょっこりと店の奥から顔を見せたのは、知らない茶髪の男性だった。見た感じでは、大学生くらいだろうか。おそらくは、彼がホシさんなのだろう。「ありがとうございます」と頭をさげながら、私は軽く挨拶をしておくことにした。
「はじめまして。サイトウさんに、出展のお誘いをいただいているコトツムギです」
「ご丁寧にどうも。異界渡りのメンバーしてます、ホシです。話は、オーナーから聞いてますよ」
ホシさんは、人懐っこそうな顔で笑った。
「オーナーは今、ちょっと得意先と電話してるんで、なんかわからないこととかあったら、おれに聞いてください」
さっき、私のことは「おかまいなく」と伝えておいたのに、律儀な人である。とはいえ、そういうところがあるからこそ、人として信頼できるのだ。未だ、出展の件に関しては保留にしているが、異界渡りが主催するLARPイベントであれば、参加しても問題ないのではないかと思えた。
「ところで、コトツムギさんって〝ことだま〟とかって信じます?」
試着したローブ姿のまま、合わせられそうなマントを探していると、ふいにホシさんが言った。枯れ草色のマントの裾にある刺繍を指でなぞっていた私は、瞬きをして彼を振り返った。
「ことだまって、あれですよね。言ったことが本当のことになるとか、そういう」
「そうですね」
背中で腕を組みながら、ホシさんはうなずいた。
「よくある魔法の呪文とかと同じです。呪文は、公用語じゃない言語が使われることが多いですけど、あれも言葉に宿った力で魔法を真実にするんです」
私は呆けた。それと同時に戸惑った。これは、ロールプレイ――いわゆる、なりきりなのだろうか。それとも。困惑している私をよそに、彼は続けた。
「だから、あんまり滅多なこと、言わないほうがいいです。コトツムギさんの言葉には、力があるんで」
ホシさんが、あどけなさの抜けきらない顔で笑う。そうして、私が見ていたマントを手に取るなり、それを私にあてがった。
「これ、言葉紡ぎのマントっていって、魔法使い向けのマントなんですよ。名前とか、コトツムギさんにぴったりだと思いません? 試着します?」
にこにこと、楽しげに告げられて、私はホシさんの意図を察した。なるほど、つまりはそういうことなのだ。
「びっくりした。ホシさん、商売上手なんですね」
「この手のことが好きな人のツボは、これでもおさえてるつもりなんで」
悪びれもなく笑うホシさんは、けれど、不思議と憎めない愛嬌があった。おもしろい人だと思った。
「皇帝お抱えの仕立屋さんがすすめてくださるのであれば、ぜひ」
ホシさんのなりきりに便乗した私が言えば、彼もまた笑った。
「もちろんです、コトツムギ嬢。あなた様には、見ていただきたい品が山ほどありますから。ささ、まずはこのマントを羽織ってみてください」
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