8着目 妄想は現実に

 制服のポケットから取り出した、黒卵をPCの前に転がす。

 蒼白い電光が亀裂から漏れ出て、黒殻を破る。

 破れた破片は転がる卵を止める『台』に変形。

 三角錐の映像機器を飛び出させる。


『Bluetoohとの接続を開始。同期PCに表示されている画像・動画を、立体データに変換します』


 先の尖った錐から伸びる青い光線に、俺の顔が照らされる。


 無機質に告げる人工音声を聞くのは、二度目だ。

 一度目は、ホロアクティが届いた時に真っ先に試して失敗した。


――宵月レヴィアのホログラム、その投影を。


 市川に言ったことは嘘じゃない。事務所か本人の許可。それが無かったら、ホロアクティはエラーを起こす。


 それが普通。世の中、そうそう上手いことは起こらない。

 自分の中で燻る火種を、膨らむ期待と願望を萎ませるために、俺は赤いエラーを求めた。


 顔に掛かる青い光が朱に染まることを望んでいた。

 だから俺はもう配信画面なんか見ちゃいない。黒卵のデバイス・ホロアクティに釘付けだ。


 そう思っていた俺の眼球を――――青白いライトが貫いた。


「まぶしっ⁉」


 たまらずのけ反る。

 そしたら椅子ごと派手に倒れて、尻もちをつく。

 予想外の光量に目がチカチカ痛む。滲む涙を拭いながら、見てみればPCのモニター全体が蒼白い光の奔流を放っている。


「はっ⁉ え⁉ なんだよ、これ⁉」

『――個人用兼試験機【ホロアクティB4N】と同期PCとの同調作業完了。ディスプレイに立体映像再生機能を追加。投影領域拡張作業に移行……成功しました』


 明らかな異常事態に冷や汗がぶわっと背中から湧き出る。


 やばいヤバイやばい‼ いや、やばいことになるかもって思ってたけど、ヤバさの方向が全然違う! PC内のデータが壊れるくらいの想定しかしてなかった‼


 部屋を見渡してコンセントを探す。

 で、電源! こういう時は電源ぶち切るしかない! あれ? 電源どこだ? 

 俺は自室をうろつき、PCの電源を探したが……無い! 

 なんで⁉ つーか一面見渡すばかりのコスプレ服! 邪魔! 服を掻き分けて自室で慌てふためく俺はふと閃く。


 PCに刺さっているコードを辿れば電源見つかる!

 閃きに誘われて、俺は怖くて背けていたPCへと振り向いた。


 途端。



『 ――ふぁーはっはっはぁーーー‼ 』

 PCの前で、高笑いと共に一柱の堕天使が降臨した。



 誰も踏んでいない新雪を思わせる、柔らかい清純さを秘めた長い銀の髪。

 鏡面のように透き通った海面を閉じこめた碧眼マリンブルーは傲慢に染まっていて尚、円らで愛らしい。


『待たせたな! 聖丘はじめ! 我が使徒となる眷属よ!』


 名前を……呼ばれた。

 たったそれだけで、俺は腰からへたり込む。


 いつも画面の向こうから聞いていた声。それが当たり前だと思っていたから気づかなかった――――次元かべが、取り払われている。


 彼女が発した声が直接、俺がいる空間内を振動して、音として伝わる。

 その余りの多幸感に、俺は尊死を覚悟した。


 でもかの堕天使は、死にかけてる俺のことなど意に介さず、傲岸不遜に胸を張る。


『誇れ! 汝は選ばれた! 神すら嫉妬した至高の美を有する堕天使にして、電脳バーチャル界に降臨したアイドル――――Vtuber宵月レヴィアにな!』


 妄想は現実に。

 虚構がドヤ顔でこちらにやってきた。


「おぎゃぁぁあああーーーーーっ⁉⁉」


 精神だけ転生して、俺は盛大にオギャる。


 訳が分からなかった!


 わけが! 分からな! かった‼


 頭ン中にあった理性の防波堤が『ありがたさ』で決壊し、胸ン中で『尊み』が氾濫して、目ン玉から溢れる『すこ』の感涙にむせぶ。


 限界を越えた感情に膝ガクガク、腰から力が抜けて、盛大に床に突っ伏した。


『え? え? ど、どうしたのじゃ? なぜ崩れ落ちておる⁉』

「あぅっ、〝いやっ……ぢょっと……」


 あ、あ、あぁああああ⁉ 話しかけられてる⁉ 俺、レヴィアたんに話しかけられてる⁉ あまつさえ……心配されてる……?


「あ、ムリこれ、死ぬ」

『無理なのか⁉ 死を決意するほど⁉ そんなにわらわの服を仕立てるのが嫌なのか⁉ な、汝これがどれだけ誉れ高いことなのか分からんのか!』

「ち、ちがっ⁉」


 まずい、勘違いされた⁉ 

 意図がすれ違った気配を感じて、死ぬ気で顔を上げる。違うんだレヴィアたん! 俺の死因はあくまで尊みであって、レヴィアたんの依頼が嫌なんじゃなくて。


 そう思っても、一度オギャった呂律はすぐには戻らない。その一瞬の内に、レヴィアたんはワッとなって叫ぶ。


『妾は知っておるぞ、汝のデザイナーとしての功績を! 例えば汝が2年前に手掛けた【螺旋欲デザイア】コレクション』


「……え? 今なんて?」

 胸を満たしていた尊みが一瞬で忌々しさに塗り替わる。


螺旋欲デザイア】コレクション。

 それはファッションデザイナーとして俺が手掛けた最初で最後の作品群コレクションであると同時に黒歴史の作品。


 当時患っていた、溢れんばかりの中二病(気の迷い)を詰め込んだアレがよりにもよって、推しの口から飛び出て――――俺はすぐに耳を塞ごうとした。


『専ら黒と白ベースの生地! 意味ありげなアルファベットの羅列! 肘や膝のとこだけ布を切ってチェーンで結ぶ斬新なデザイン!』

「うっっっっぐぅっ‼」


 脳内分泌された羞恥が、胸の真ん中を握りつぶす。

 ヤベェ、息できない! さっきとは別の意味で!


 呻き倒れる俺など目に入らないかのように、レヴィアたんは俺の作品がどれだけ良かったか力説してくれた。


『それだけではない。【螺旋欲】コレクションが、他のシリーズ服と違うのは膨大なアクセサリの種類ぞ。眼帯とかシルバー骸骨スカルとか龍剣ドラゴンブレイドのネックレスに……あっ、【罪運フェイトリング】も一部の少年少女はハマりにハマっておった!』

「そりゃあそうでしょうねぇぇええ……」


 どうやら同族(中二病)の琴線には触れられていたらしい。次第にレヴィアたんの熱弁に拍車がかかり、身振り手振りが加わる。


『服は今も着ておるぞ! あれを着て事務所に行くとな、所属ライバーの人達みんな優しい目で見てくれ……て?』

「?」


 声が小さくなっていく。不思議に思って俺が顔を上げると――――レヴィアたんは青白く光る自分の指先や爪先を、目を丸くして見つめていた。


 そして一言。


『ナニコレ⁉』

「あっ、気づいてなかったんですね」


 自分が立体化していたことに気付いていなかったレヴィアたん。目を白黒させて、頭の翼がパタパタパタと羽根を撒き散らす。


『えっ、えっ? あれ⁉ わた……妾、なんでこんな風になっとるのじゃ⁉』

 あたふたと慌てふためき、ワンピースの裾を何故か抑えてる堕天使。


 あ、その仕草、たまんねぇな。心のアルバムに大切に保管して、俺はレヴィアたんの後ろにあるデスクを指さす。

 指先が示す方向を振り向いて、レヴィアたんはデスクの上で稼働している黒卵を目にした。


『ホロアクティ⁉ なぜ汝がこれを持っておる⁉』

「テスターの懸賞に当たりました」

『うそぉん⁉』


 堕天使っぽさ皆無、本心から驚いてるレヴィアたんだが、事実なのでしょうがない。でも、本当にどうしてレヴィアたんを立体映像ホログラム化出来たんだ? 前、試した時はこんなことなかったのに……不可解さに考え込む俺だったが、


         『 良―いではないかぁ‼ 』


 肝心のレヴィアたんは瞳にいっぱいの喜びを湛えていた。

 振り返りざまに広げた両手に合わせて、頭に生えた翼のはためきが激しくなる。にひっと笑って、全身から喜びを放つその姿は、俺には白く輝いて見えた。


『RAVFIC本番でも、ホロアクティは使われる。この場はその予行練習に最適だ! ますます汝は妾の使徒デザイナーに相応しい!』


 そう言ってはにかむ堕天使に、目を瞬かせる。

 ありがたさと尊みインパクトから回復してきた俺は今更ながら、自分の身に降ってきた幸運……いや、奇跡のデカさに尻込みする。


「ほ、本当に良いんですか? 俺なんかで……」

『なんか、などではない! そもそも、汝なにか勘違いしておらぬか?』


 立体であることにすぐ慣れたのか、レヴィアたんはいつかの3D配信で魅せた華麗なウォーキングで、ずいっと俺の表情を覗き込む。すぐ近くまで迫った空色の瞳は、俺の顔を映し取ったまま、ニヤリと傲慢に歪んだ。


『汝に拒否権などないっ! 妾が、汝を選んだのだ! それが全てじゃ‼ ――汝はどうなんじゃ、聖丘はじめっ‼』


 唯一人、自分だけが尊く素晴らしい。

 故に――――俺が選ばれたことは必然なのだ、と。

 堕天使が自然に纏っている傲慢な雰囲気が、言外にそう訴えてきた。

 

 降って湧いた奇跡を、推しに肯定されて…………ないだろ。


 ことわる理由なんかないだろ。


「やらせてください。必ず……貴女に劣らない羽衣を作ります」 


 口から勇んで飛び出た決意が、衝動的に俺を突き動かす。

 俺は宵月レヴィアの手を取り、熱く握り締める。


 そしてこの決意の丈が伝わるよう――――彼女の手の甲に額を押し当てた。

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