第13話 中途半端な家


「……どうします?」


「とりあえず、出て来るのを待ちましょ」


 私たちがマンションの出入り口に目を凝らしていると、やがて見覚えのある男性が目に戸惑いの色を浮かべつつ姿を現すのが見えた。


「一応、動画と静止画を録っておいて」


 私は大神に指示を飛ばすと、古品の挙動に目を凝らした。古品はアーチ形の門を潜ると建物前の歩道に立ち、あたりを見回し始めた。


「身を低くして、ウルフ。さすがに車の中まで探りには来ないわ」


 私たちが顔の上半分だけを覗かせ車内で息をつめていると、突然、古品が糸が切れたようにその場に崩れるのが見えた。


「――あっ」


「大変!……行くわよ、ウルフ」


 私たちは車から飛びだすと、倒れている古品の元に駆け寄った。私たちが容体を探ろうと屈みこんだ瞬間、ふいに背後で「どうかなさいましたか?」と男性の声が響いた。


「あ、あの、こちらの方が急に……」


「それは大変だ。救急車を呼びましょう」


 慌てて振り返った私の目に飛び込んできたのは、携帯を取り出そうとしている男性の姿だった。男性は物慣れた口調で救急車を要請すると、私たちに「どうですか?」と尋ねた。


「心音も聞こえますし、脈も呼吸もなんでもないです。ただ意識が……」


「意識が無いんですね。わかりました。動かさずこのまま救急車の到着を待ちましょう」


 男性が私たちの近くで屈みこむと、やがて通りすがりの人たちがこちらに気づいて集まり始めた。


「……ウルフ、私、丸谷七海の部屋に行ってみるわ」


「えっ、大丈夫ですか?俺も行きます」


「あなたは救急車が到着するまで、ここにいて。お願い」


 私が待機を命ずると、大神は不承不承と言った体で「わかりました」と言った。


「くれぐれも気をつけて下さい。気のせいかもしれませんがどうも嫌な予感がするんです」


「わかったわ。何かあったら呼ぶわね」


 私は古品と大神をその場に残すと、マンションの門を潜った。幸い、オートロックではないようで、私はエレベーターで難なく七海の部屋がある階にたどり着くことができた。


「ええと、たしか彼女の部屋は……ここね?」


 私は資料にあった番号と実際の表示とを頭の中で突き合わせ、思い切って呼び鈴を鳴らした。だが在宅中にもかかわらず、何度鳴らしても中の住人が応じる気配はなかった。


「おかしいわね。……まさか部屋の中でも何か起きてるのかしら」


 私は好奇心に駆られ思わず、ドアの取っ手に手をかけた。すると驚いたことにドアは施錠されておらず、気がつくと私はごく自然に部屋の中を覗きこんでいた。


「あの……ごめんください」


 私が隙間から再度呼びかけてもやはり返事はなく、痺れを切らした私は玄関で靴を脱ぐと、非常識にも初めて訪れた部屋にずけずけと上がり込んでいた。


「ええと、勝手に上がっちゃいましたけど……いらっしゃいませんか?不用心ですよお!」


 私は返答がないのをいいことに、リビングに足を運んだ。無人のリビングを見た瞬間、私の脳裏に依頼者が部屋に乗り込んだ時のエピソードが甦った。

 

 ――まさか、バスルームに?


 私は周囲を見回した後、思い切って脱衣所と思しき部屋のドアを開けた。


「……ここにもいない、か」


 予想外の状況に、私は困惑した。これではただの不法侵入だ。もしかしたら鍵をかけずに外出したのかもしれない――そう思い直した私がリビングに戻ろうとした、その時だった。


「――うっ!」


 突然、背後から何かが私の首に巻きついたかと思うと、容赦ない力で締め上げ始めた。


「むぐ……」


 気道を塞がれた私は短く呻くと、巻きついた物体を両手で掴んだ。だが、どんなに力を込めても物体は首から離れるどころか締め上げる力を強めるばかりだった。


「ぐうっ!……」


 頭が爆発しそうな苦しさと共に目の前が赤く染まり、舌が勝手に口から飛びだした。


 ――なんなのこれっ……生き物?


 襲撃者の正体すら掴めず、自分の首が軋む音を聞きながら私が死を覚悟したその時だった。


「――わん!」


 突然、犬の吠え声が聞こえたかと思うと、「ぎいっ」という謎の悲鳴と共に首を締めあげていた力が消え失せた。縛めを解かれた肺がここぞとばかりに膨らみ、視界が戻った私は身体を折って喘いだ。


「わんわん!」


 再び犬の吠え声が聞こえ、身体を捻った私は目の前の光景にはっとした。見慣れた黒い犬が追いかけていたのは、数十センチほどの黒い蛇のような生物だった。


「ウルフ、深追いはしないで!」


 黒い生物は身体をくねらせながらリビングの方に消え、私と犬も後を追ってリビングへと移動した。


「キッチンの方へ行くわ」


 私はリビングを横切ると、キッチンの方を覗きこんだ。黒い生き物は床から壁へと移動すると、あっという間に換気扇の中へ姿を消した。


「……逃げたっ」


「――わん!」


 足元で黒い犬が吠え、私は屈みこんで犬の背を撫でた。


「ウルフ……もしかしてまた、戻れなくなっちゃったの?」


 私が窮地を救ってくれた犬に声をかけると、小さな『部下』はやるせなさそうに「くうん」と項垂れた。




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